政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
「急すぎませんか?」
「なにが?」
「まだ納得してお返事したわけでもないのに、いきなりお宅に伺うなんて」
紗彩の頭の中ではまだ、結都からのプロポーズがきちんと理解できていないのだ。
そんな状態で結都の母に会うなんて、なにか失敗しそうで怖くもあった。
「大丈夫だよ。父にはもう会っているし、母だって君を気に入ると思うよ」
結都の母は、国内だけでなく海外にまで美味しいものを求めて出かけるようなタイプだという。
「君みたいに新商品の開発している職業なんて、母からみたら最高のはずだ」
結婚に向けての環境が整い過ぎている気もするが、目の前の相手はなぜか嬉しそうだ。
「もう一度、状況を整理させてください」
紗彩は深呼吸してから、この結婚についての説明を求めた。
この前は気が動転していて雰囲気に流されてしまったが、今日こそ冷静な気持ちで判断したかったのだ。
「わかった。君に求めているのは、戸籍上の妻だ。だから、その、普通の夫婦である必要はない」
「は、はい」
紗彩は言葉の意味がわかると、目の前の結都が見られないくらい動揺してしまった。
結都も照れ隠しなのか、ゴホンとわざとらしく咳をする。
それで気を取り直したのか、あらためて事情を話し始めた。
自身が白川ホールディングスの社長のひとり息子であること。
幼いころから父の会社に入社するより、消防士になることを目指していたこと。
父に大反対されたが、それを押し切って消防士になったこと。
「父からは、この仕事を続けるなら、早く結婚して身を固めることが条件だといわれている」
「どうして?」
「それは……」
ここまでわかりやすく話してくれたのに、なぜか言いにくそうに口を閉じている。
「どうしてですか?」
紗彩が言葉を重ねると、やっと難しい顔をして話してくれた。
「結婚するとなると、相手の人生に対して責任があるだろう?」
「そうですね」
「それくらい消防士の仕事に真剣だって、結婚することで証明しろということだ」
会社を継がないなら、実家を頼らなくても妻と生活していけることを示せということだろうか。
なんだか丸め込まれた気もするが、父親の立場ならそう考える気もする。
「この前、恋人のフリだったのは?」
「ああ。いかにも結婚前提で付き合っていますという形をとれば、しばらくは父も納得すると思ったんだ」
フリだったものがいきなり結婚することになって大丈夫なのだろうかと、紗彩は考えた。
「お父様が納得なさるでしょうか。それに、うちの会社に援助していただくのは筋が違いませんか?」
「妻の実家を援助するのは当たり前だろう?」
簡単そうに言われたが、紗彩には引っかかる言葉だった。
親を頼るなという意味で結婚をせかされているとしたら、妻の家への援助を求めるのはおかしい。
確かに白川ホールディングスの助けは欲しい。ハッと紗彩の脳裏にひとつのアイデアが浮かんだ。
「それなら、お父様やお母様にプレゼンさせてください!」
「プレゼンテーション? なぜ?」
「ほんとうに梶谷乳業の製品を美味しいと納得していただいてから、援助をお願いしたいです」
ここで甘えてしまってはいけない。まだまだビジネスにうとい紗彩だが、納得できる道を選びたい。
(ダメでもともと。一生懸命開発した商品を、味わっていただきたいだけ)
紗彩は覚悟を決めて、結都に微笑んだ。
「白川家に伺う日はいつになりますか? いくつか考えている商品を完成させますので」
その時、廊下のガラス窓が、ピカッと光ったような気がした。
それからゴロゴロと小さな音が聞こえてきた。どこか遠くで雷が鳴りはじめたようだ。
窓に打ちつける雨粒の音が大きくなってくる。
そろそろ梅雨明けが近いのだろうかと思わせる荒れ模様になってきた。
天気予報を見ておくんだったなと、紗彩は的外れなことを考えていた。