政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~


「紗彩、あなた今日は公休日だけど予定は?」

「学生時代からずっと希実(のぞみ)に頼まれて続けている、病院の受付のアルバイトに行く日なの」

父が亡くなったとき、紗彩は大学二年生だった。
会社が傾いてしまったので、家計のことを考えた紗彩は卒業まで奨学金とアルバイトで乗り切った。
紗彩のために、あちこちから時給のいい仕事を探してきてくれたのが親友の足立(あだち)希実だ。
定期健診の受付という短時間でお金になるバイトを紹介してくれたのも、希実が足立病院の院長の娘だからできたのだろう。

「午前中だけだから、なかなか引き受けてくれる人がいないみたい」
「しかも毎年二月だけだなんて、珍しいバイトね」

社長である母がうんうんとうなずいているのは、梶谷乳業では正社員の副業を認めているからだ。
厳しい経営の中で賃上げもままならず、優秀な社員やパート従業員が次々に辞めてしまった。
苦肉の策としてダブルワークを認めたことで、ようやく人員の流出がおさまったという事情がある。

「あの頃は、希実ちゃんのお父様にお世話になったものね」

父が足立病院に入院していた当時を思い出したのか、母の声がほんの少ししんみりしてきた。

「あのね、お母さん。このバイト、ステキな人がいっぱい来るのよ!」

話題を変えようと、慌てて母の気を引く話題に切りかえた。

「そうなの? いい人に出会えるといいわね」

二十五にもなって恋人すらいない紗彩を残念に思っているのか、母はこういった話題に敏感だ。
母が笑顔になってくれたので、ホッと胸をなでおろす。

母に『ステキな人がいる』といったのは、うそではない。
今日のバイトが、消防士や警察官といった公安系公務員の人たちの定期健診の受付だからだ。
もちろん年齢の幅は広いけれど、若い消防士や警察官には背が高くてキリっとした人が大勢いる。
大学時代からこのバイトを続けている紗彩は顔を覚えてもらっていて、中には礼儀正しく挨拶してくれる人もいるのだ。

(あの人に会えるかな)

ほんの少しワクワクしながら、紗彩は屋敷の通用門から自転車を押し出した。
黒のダウンジャケットを着て手袋もしっかりはめて、完全防寒体制だ。なにしろ自転車で風を切ると、まだまだ二月は肌寒い。
紗彩の愛車は、赤のシティサイクル。ロードバイクほどスポーティーではないが、ママチャリよりはスピードが出る。
愛用の銀色のスポーティーなヘルメットも着用してこぎ出した

梶谷家の門の前はやや坂道になっている。
帰りは体力が必要だが、朝は下りだからペダルを踏むと気持ちよく走り出す。
広い通りに出ると、そこからは市内の中心部まであっという間だ。
市役所と市民広場のある大通りの交差点を左折したら梶谷乳業への一本道、右折したらすぐに足立病院の立派な建物が見えてくる。

(今日もいい一日になりますように)

白い息を吐きながら、紗彩は足立病院の自転車置き場にすべり込んだ。




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