1日限りのニセ恋人のはずが、精鋭消防士と契約婚!?情熱的な愛で蕩かされています
「いい家ですね」
運転席から結都がじっと屋敷を見ている。
「父が亡くなってから手入れが行き届かなくって、庭なんて悲惨なくらいですよ」
ハッと息をのむのがわかった。
「それは、残念でしたね。お悔やみ申しあげます」
「もう五年経ちますし、落ち着きましたから」
父がすでに亡くなっていることは話していなかったから、気を遣わせてしまったようだ。
他人行儀な挨拶を交わすのが、今のふたりの距離だとあらためて痛感した。
「では、失礼します。ほんとうにありがとうございました」
「こちらこそ」
とっぷりとあたりは闇に包まれているから、門灯がなければこのあたりは真っ暗だろう。
紗彩が通用門から中に入るまで、車を停めたまま待っていてくれているようだ。
ヘッドライトの明るさに見守られているようにすら感じられた。
(こんな貴重な経験、もう二度とないかも)
最高の時間だったと、紗彩は今夜の結都の姿を胸の奥に大切にしまいこんだ。
ずっとあこがれていた人の恋人の役を頼まれて、内心はドキドキだった。
でも白川社長もいい方だったし食事も美味しくて、見合い相手だと無理に迫られた金子との不愉快な出来事はすっきり忘れられた。
***
その夜から、紗彩は家でも会社でも、つい顔が緩んでしまうのを感じている。
思い出は心の奥にしまい込んだはずなのに、ふとした瞬間に結都の顔が浮かんでくるのだ。
恋人のフリを頼んできたときの難しそうな顔、はにかんだような笑顔。
紗彩が白川社長と話し込んでいる時の、チョッとつまらなそうにした顔。別れ際のしんみりとした口調も忘れがたい。
(たくさんの表情を見られただけでもよかった)
結都を想うだけで仕事ははかどるし、心が穏やかになるなんておかしい気もするが、紗彩の心は晴れやかだ。
うっとうしい梅雨に入って自転車通勤が面倒な季節になったのに、少しも苦にならない。
(たった一回、親しくしてもらっただけなのに)
結都と過ごした数時間は、いつの間にか紗彩の中で大切なものになっていた。