政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
結都は簡単に言うが、紗彩の内心は穏やかではない。
ドキドキするとか、ときめくとか、そういった次元を超えた話だ。
たしかに憧れていた人だけど、心の中で想っているだけでよかった。
結都が消防士を続けるために協力した見返りに、会社に援助してもらえるのだって十分すぎるはずだった。
ふたりともお互いの利益のために行動しただけなのに、こんな展開になるなんて信じられない。
(結都さんと一緒に住むことになるなんて、どうしよう)
彼の運転する車の助手席に乗っているだけでときめくのに、同じ家で暮らして意識するなと言われても無理な話だ。
ポーカーフェイスでやり過ごすほどの演技力を、紗彩は持ち合わせていない。
帰りの車内では、お互いに無口になっていた。紗彩は暮れていく景色を眺めながら悶々としていたが、時間だけは過ぎていく。
足立病院に着いたらもうすっかり日が暮れていて、ギリギリお見舞いの時間に間に合った。
病室に顔を出すと、夕食を済ませた母はぼんやりとテレビを眺めている。
興味があって見ている顔ではなく、ただ音のする方を見ているように感じられた。
「お母さん」
「あら、紗彩。お帰りなさい」
「こんばんは」
「まあ、白川さんも来てくださったの?」
結都が顔を見せると、母がハッと瞳を輝かせた。
「どうでした? 紗彩はちゃんとご挨拶できたかしら」
「はい。両親ともに喜んでくれました」
「とても優しいご両親で、うちの製品も気に入ってくださったのよ」
気になっていたのか「よかった」と目を細めて、心から安堵したような表情だ。
「お見舞いのお花をいただいたわ」
「とっても綺麗ね。あ、紗彩、一階のカフェがまだ開いているからいるから飲み物を買ってきて」
「それなら俺が」
「大丈夫。私が行ってくる。お母さんはチャイね」
「ええ」
「結都さん、ミルクとお砂糖は?」
「ブラックで」
「紗彩ったら、結都さんの好みを覚えなくちゃ」
「はあい」
笑ってごまかしたが、結婚予定の恋人という設定なのに初歩的なミスをしてしまった。
紗彩は母に疑念を抱かせないよう、足早に病室を出る。
紗彩が病室を出てすぐに、母から結都に相談を持ちかけたことは知らされることはなかった。