政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~



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ふたりで暮らす話がまとまってから、紗彩は慌しい日が続いた。
まず世間の目をごまかす意味もあって、結都の母が希望した吉日に入籍した。

そうなるとお互いの職場にも報告しなくてはならないし、手続きなどもある。
紗彩は深く考えることは放棄して、流されるままに書類に名前を書いていく。
結都の同僚からもお祝いが届いたりしているから、きっと職場に報告したのだろう。
形だけの妻とはいえ役割は果たそうと、結都に相談して内祝いは紗彩が選んで送っている。

『ありがとう。助かった』

たったひと言でも結都から言われたら嬉しいものだ。
ふと、あの無表情な結都が職場でどんな顔をして結婚の報告をしたのだろうと想像してみる。
からかわれたりしているだろうか、照れることはないのだろうか。
答えを聞いてみたい気もするが、書類上の妻としてはどうしても踏み込めない。

紗彩も会社に結婚の報告をしたが、結婚相手が白川ホールディングスの御曹司だと伝えていない。
相手は市の消防士で、偶然同じ白川姓だったことにしている。
これは母からの指示というより、厳命ともいえるものだった。

『結婚したことは公表してもいいわ。でも結都さんの家のことは、今は内緒よ』

『今は』ということは、母なりの考えがあってのことだろうが紗彩にはわからない。
それに金子との縁談にこだわっていた山岡からの視線も痛い。
「金子さんとは、いいご縁だと思ったんですがねえ」と、今さらのようにグチグチと言ってくる。
結都のおかげで白川ホールディングスの援助を受けられるんだと言いたいところだが、母の言いつけを守っていた。

政略結婚してから、紗彩にとってなにかとストレスがたまる日々が続いていた。
人生の大きな決断だというのに、どこか他人事のような気分だった。

(だって、愛のある結婚じゃないから)

言い訳だとわかっていても、紗彩はそう思うことにした。
来春に式を挙げる予定だった希実からは『なんで紗彩の方が先なのよ!』と文句を言われたが、青年会議所のパーティーがきっかけだと話すと納得してくれた。
相手が消防士の白川結都だと知ると、受付のアルバイトを紹介したのだから『私が縁結びの女神なのね』とますます満足そうだった。

梶谷乳業でも白川ホールディングスの援助が決まった話は大きなニュースとなった。
病床にある母も納得のうえ、山岡を社長代理として新製品発売に向けて準備をしていくことになった。
生産ラインについては田村工場長の努力で効率化し、しばらくは現在のものを利用することになった。
そのうえで増産するために、新しい工場を建設する予定だ。

母や希実、梶谷乳業の仲間にうそをついている心苦しさはあったが、それ以上にみんなからの祝福を笑顔で聞くのが辛かった。
会社のための結婚だったはずが、こんなにも周囲を巻き込むことになるなんて想像していなかったことが悔やまれる。
そんな自分の心さえ押し殺していれば、すべてがいい方向にいくはずだと紗彩は信じたかった。

実際に結都との生活が始まると、紗彩はもっと困ったことになった。
結都は洋館の一階にある客間に住んでもらって、紗彩はこれまで通り二階の自室で眠っている。

平常心を保つため、紗彩は毎朝起きるときに呪文を唱えることにした。

(結都さんは、単なる同居人)

これを三回心の中で繰り返してから、ベッドから出るようにしている。
そうしないと赤面しそうな状況が、一日に何度も起こるのだ。





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