政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
見上げると、紗彩がひそかに待っていた人が目の前にいる。
「お、おはようございます! すみませんお待たせして」
希実との会話を聞かれたかと思って、必要以上に慌ててしまった。
「大丈夫だよ。今年もよろしく」
「は、はい」
ドキドキしながら受診券を受け取り、受付表にチェックを入れた。
(白川結都さん……北消防署の消防士さん)
名前と職業しか知らないが、彼こそが紗彩が待っていた人なのだ。
「問診表はお持ちですか?」
決められた通りのセリフを言いながら、つい彼の顔を見てしまう。
彫りの深いキリっとした顔立ちだが、少し切れ長の奥二重の目は温和な印象だ。
清潔な短めの髪型で肩幅が広いから、余計に顔の小ささが強調されいている気がする。
背は百八十センチくらいあるのだろう。紗彩が座ったまま見上げると、ずいぶん高く感じた。
「そうだ、駐車券をお願いします」
やや高いソフトな声を聞いて、紗彩の胸の鼓動はどんどん早くなっていく。
「は、はい」
受け取った駐車券に丁寧にスタンプを押して差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
軽く手が触れてしまったとき、彼が少し微笑んだように見えた。
顔がポッと赤らんだ気がして、紗彩は恥ずかしさについ下を向いてしまった。
「ご苦労さまです」
顔を下げながら挨拶するだけで精一杯だった。
うつむいたままドキドキしている紗彩のことなんて、彼は気にもとめていないだろう。
「どうした?」
結都が立ち去ると、すぐに希実が小声をかけてきた。紗彩があまりに挙動不審だったからだろう。
「うん、大丈夫。チョッと咳き込みそうになっただけ」
空咳をしてごまかした。
結都を初めて見かけたのは、学生時代の恋が終わって、紗彩が自信喪失していた頃だった。
希実に頼まれてこの受付のアルバイトをした時に、記憶に焼き付いてしまったのだ
初めての受付に戸惑い、しかも体格のいい男性に囲まれて紗彩はパニックになってしまった。
誰から駐車券を預かったかわからなくなってしまった紗彩を、さり気なく助けてくれたのが結都だった。
『こっちは俺のかな』と、間違えた紗彩に苦情を言うのではなく、フォローしてくれたのだ。
たくましくて、真面目そうで、どこか穏やかな優しさを感じさせる人。
消防士という仕事と名前しか知らないのに、紗彩は忘れられなくなっていた。
ひと目で男性を意識するようになるなんて、自分でも信じられないくらいだ。
いつもキリッとした雰囲気の人なのに、今朝はかすかに笑った顔を見られるなんてバイトのご褒美だろうか。
今頃は内科の診察かな、それとも心電図検査かなと考えていたら、聴診器をあてられている上半身裸の結都がパッと浮かんできた。
(なに考えてるの、私!)
ますます顔が火照ってしまったので、雑念を振り切ろうと頬をペチンと叩いた。
「今日はおかしいよ、紗彩」
「そう?」
けげんな顔をされても、この気持ちを親友の希実にすら打ち明ける気にはなれなかった。
仕事と家のことで精いっぱいの今、紗彩は恋に浮かれるわけにいかないのだ。