政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~



***




結都が梶谷乳業に着くと、大騒ぎになっていた。
門にいるはず守衛の姿はないし、本社ビルにむかって大勢の人が駆けていく。
暗くてよく見えないが、ビルから煙が上がっているようだ。なんとか駐車場に車を停めて、結都はひたすら走った。

「火事だ!」
「本社の一階が燃えている」

消化器を持っている人、スマートフォンで連絡をとっている人の姿があるが、紗彩はいない。
どうやらビルは停電状態らしく、明るいのは工場の方角と敷地内の外灯だけだ。
ビルの正面入り口は自動ドアだから、動かなくて中に入れない。
手動で開けたとしても、真っ暗な中に入るのは危険だ。

消防署への連絡が早かったのか、もう消防車のサイレン音が聞こえてきた。
すぐに仲間が駆けつけてくれるだろうと思いながら、結都は人混みの中に紗彩の姿を探す。

「紗彩!」

結都はここに防災訓練で来たときのことを思い出した。
去年の防災訓練の時に、紗彩は倉庫の話しをしていた。あそこからなら、ビルの中に入れるのではないか。
同期の三枝に連絡しながらも、結都は走り続ける。

「白川?」

コール音が聞こえてすぐに、三枝が出てくれた。

「梶谷乳業で火災発生。逃げ遅れた人がいるから、救援にむかう」
「おい! 白川!」

すぐに電話を切ったが、出動してくる隊員たちには結都が現場にいると伝わるはずだ。

「紗彩!」

今日は休みで、紗彩たちと食事の予定だった結都はカジュアルな普段着だ。
なんの装備もしていない自分になにが出来るかわからないが、紗彩を探さなければならない。
たまたま火に強いといわれるレザー仕立てのジャケットを着ていたし、コットンのタートルネックと厚手のコットンのパンツだ。
厚底のブーツをはいているし化繊の物は身につけていないから、迷わず結都は正面からは遠い倉庫の裏手を目指した。

走っているうちに、シャッターを開けるのに暗証番号が必要なことを思い出した。
義母に連絡をとろうかと考えながら裏手に回ったら、シャッターが半分くらい開いた状態になっていた。
紗彩は使っていない倉庫部分はふだんは鍵をかけていると言っていた。
誰がなんのためにと訝しく思ったが、気にしていては手おくれになるかもしれない。
すでにこの辺りも焦げ臭いにおいが漂い始めている。
思い切りシャッターを押し上げて、倉庫の中に飛び込んだ。
薄暗くて距離感がつかめなかったが、スマートフォンの明かりを頼りになんとか引き戸を目指して走る。

煙がどんどん倉庫に流れ出てくるから、引き戸が全開の状態なのがわかった。
ますます単なる火事にしては状況がおかしいと思ったが、紗彩を探すのが先だ。

暗闇と煙の中、スマホの明かりをかざして目を凝らすと、廊下に人が倒れているのがわかった。
駆け寄って、うつぶせになっている人を抱き上げると紗彩だった。
一瞬で、血の気が引くとはこのことか。
何度も火事現場を経験している結都も、この時ばかりは紗彩が生きていることだけを願った。

「紗彩」

耳元で名を呼ぶが、反応がない。首筋で脈をとると、ちゃんと鼓動している。

(生きてる!)

それだけが嬉しい。だがどう見ても普通の状態ではなさそうだ。

「ゆい……」

声が届いたのか、紗彩がかすかにつぶやいた。

「たす……けて」
「大丈夫だ、紗彩! 絶対に君を助ける!」

低い姿勢で倒れていたので、煙はあまり吸っていないと思われるのが不幸中の幸いだ。
結都は紗彩を抱き上げた。ギリギリ研究室までは延焼していないが、もう一刻の猶予もない。
一階フロアとつながるドアが閉まっていてよかったと思いながら、結都は紗彩を抱きしめたまま倉庫を駆け抜けた。



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