さりげない、あと
「じゃあね、川﨑くん」
星子が僕を「ヨウくん」と呼ばなくなってしばらく経ったその日。
笑顔で女の子たちの群れに紛れていく様子もなく1人で荷物をまとめて帰っていく星子の背中に「また明日」と声をかけた。
「うん、また明日」と。
当然のようにそう言ってくれるのが嬉しい。
そうだ、また明日会える。
星子が教室を出ていって、僕は隣の空いた席に目をやった。
再度星子が戻ってこないことを確認してゆっくりと立ち上がる。
まるで悪いことをする前の人みたいに少々前屈みで誰にもバレないように星子の席の椅子をひいた。
そして星子の席に座る。
とくに何をするわけでもない、星子がいつもみている景色がみたかった。
といっても隣の席だから大きく変わることもないのだけれど。
机の中にそっと手を入れると、自分の机の中よりたくさん空間がある。星子はある程度の教科書などは持って帰っている真面目な子だ。
そして1つのノートだけが取り残されていた。
「…」
それを取り出して、じっとそれを見つめた。
ノートの表紙には丸っこい字で「川北星子」と太い黒いペンで名前が書かれている。
そしてパラパラととノートを軽く指先でめくる。
連続して捲られるノートから溢れる微風が顔を掠める。
いつも真剣に書いているノートはきっとこれだ。
僕は机の上にそれを置き、次は1枚丁寧にめくった。
「…スター国、物語?」
小さく自らの口から溢れたそれ。彼女の丸っこい字をそのまま読んだだけだ。
そしてもう一枚めくる。
そこで気づいた。これは星子の考えた物語だと。
「ふっ、」
彼女の空想の世界をのぞきみることは、罪悪感も少なからずあったけれどワクワクした。
笑みが溢れながら、僕は彼女の物語を読み進めていく。
地球から遠く離れたところにある『スター国』
そこには、お姫様リンデルがおり、心が清らかでうぶで、どんな人間にも分け隔てなく接している人気者のリンデルは、おおらかな父と、優しい母のもと幸せな生活を送っていた。
そこにあらわれるのが、ワンドという男である。
貧乏だけどイケメンのワンドと高貴なお姫様リンデルとの恋模様という、なんとも女の子が好きそうな物語が書き連ねられている。
星子は、こうやって空想を書き綴ることで現実の嫌な部分からうまく顔を背けているのだろう。
なんで、逃げ道が僕じゃないんだろう、ふとそう思った。
僕は隣の自分の机へ手を伸ばし、ペンケースから鉛筆を取り出す。
この物語はまだ完結していない。
僕は、星子の席で彼女の丸っこい字の下に物語の続きを書き殴った。