さりげない、あと



僕はスキップでもしそうな足取りで家に帰る。
ノートは自分の手に握りしめられていた。

星子との、好きな女の子とのつながりを両手に抱えて。
だけど自分の家についたとたんにその明るい気持ちからどんよりと一気にゲリラ豪雨でも振り出しそうな気持ちに切り替わる。

ああ、最悪。あの休み時間に戻りたい。
そんなことを思いながら、玄関の戸をあける。


「…ただいま」


当然言葉に返答はない。
足音がうるさいので静かに歩けと怒られたばかりである僕は音を立てないようにゆっくりと歩いた。

そこで、正面から母親がでてくる。


「びっ、くりした、音立てなさいよ気持ち悪い」


「ただいま」って言ったんだけれど。そう思ったが実際僕の声は星子と話す時とは裏腹に掠れて小さくて情けない声をしていたのだろう。


「ごめんなさい」


「はやく部屋に入りなさい、お兄ちゃんがリビングで勉強してるの」


「うん」

僕は返事をして自分の部屋に向かう階段を登った。

普通という定義は僕には分からないけれど、僕の家に父親はいない。
1年前に出ていった。
詳しい理由は分からなかったが、母親がいうには「父親には女ができた」だそうだ。

僕は父に懐いていた。

ぶっきらぼうだけど頭が良くて物知りで、色んなことを教わった。

母はそんな僕が嫌いだ。

そして5つ上の兄ばかりをかわいがっている。

そして母はついに僕を捨てるのだ。
1人で2人の息子をみることはできないと言っていた。小学校を卒業するタイミングで僕は叔父のところに引っ越すことになっている。

母はそれが楽しみなんだそうだ。

自分の部屋に入り、僕は机の上にノートを置く。
そしてパラパラとめくった。

もうすぐ会えなくなることを星子にいつ話そう。
どんな顔をするんだろうか。


「おい」


部屋のドアがあいた。
顔を覗かせたのは兄だ。


「こっちこい、お前」


兄はつくづく、猫被りがうまいと思う。
母の前ではニコニコ笑っているのに僕の前では悪意を表面に堂々とだしてくる。

僕はこの時間が大嫌いだ。兄が言うには、「母親の機嫌は自分がとっているのだから、俺の機嫌はお前がとれ」と、そういうことだそうだ。

おそらく母は買い物にでもでかけたのだろう。

少しでも時間をかせごうと僕はゆっくりと立ち上がったが、兄はそれがむかついたのか粗い足取りでこちらにやってきて僕のお腹を蹴った。


「っ」


「生意気なんだよ、お前」


声を出してたまるかと思った。だが平然としようとすると兄はそんな僕を気に食わないのかもっと僕を蹴る。


「誰のおかげで、この家が平和に保たれてると思ってんだよ」


平和?よく言う。僕からしたらあの色んな奴らが小さな場所に敷き詰められた教室の中よりも家の方がよほど息苦しい。


「お前は、大好きな父親にも捨てられ、次は母親に捨てられるんだ!ざまあみろ!!」


兄のあしが僕の鳩尾にあたった。
込み上げてくる気持ち悪さで思わず咳き込む。
兄は苦しげな僕をみて満足そうに笑った。

そして兄は言う。


「お前は誰からも必要とされてないんだよ」



そんなこと、僕が一番分かっている。


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