さりげない、あと





正直なところ、私は三瀬くんが気になっていた。

気になっていたけれど、女たちのやっかみを受ける覚悟もなければ彼をごはんに誘う勇気などない。

彼のいう、『大人を武器に』は私にはできないことは分かっている。

教育係として彼の近くにいられることに誇りをもとう。

今日は、三瀬くんと初めての営業である。
正直彼より私の方が緊張している。


「がんばろうね、三瀬くん」


「はい」


「分からないことがあったら正直に言うんだよ」


「はい」


「あ、お腹空いてない?飴ちゃんなら待ってるよ」


かばんからのど飴を取り出して彼に差し出せば、彼の肩がまた揺れる。


「田舎のばあちゃん元気かなあ」


「なんで今田舎のばあちゃん思い出してるのよ」


「くっ、はは、やっぱり面白い、星子さん」


そう言って笑いながら「ありがとうございます」と私の手から飴を受け取る。
彼の指が私の手のひらに触れただけで少し心臓がはねた。だめだ、ときめくな私。

正直営業は苦手だった。それとなく避けていた私に、三瀬くんを育てるためだと上司から背中をおされた。彼の前で逃げたいだなんて思っちゃだめだ。先輩としての威厳を保たねば。

先方の会社へと足を踏み入れる。
隣をみれば三瀬くんは緊張も特に感じられず堂々としたものである。

ーーーやっぱり、三瀬くんって不思議。

大きな会議室に通され、名刺交換をそこそこに私は準備していた資料をカバンからとりだ、

あれ。


「どうかしましたか、川北さん」


目の前の頭の固そうなおじさんが私にそう言った。どうしたもこうしたもかばんに入れたはずの資料がない。
からだ中から汗が吹き出す。
わたし、会社でちゃんとかばんに入れてきたよね。え、本当にいれた?
今までに広げたこともないくらいにカバンを引っ張って中に目を凝らす。ない、これ、確実にない。

ばっ、と三瀬くんの方を見れば三瀬くんはすべてを察したようた小さく頷いてみせた。


「今回のプレゼン資料は、のちほどメールにてお送りいたします。私の個人の携帯からでよければみていただいてよろしいでしょうか」


三瀬くんは、自らのカバンからスマホを取り出して「画面が小さく申し訳ございません」と爽やかな笑顔を見せた。
ああ、これが大人の余裕かと思う。
焦って何も策が出てこなかった私を華麗に抜き去っていった三瀬くんが隣にいるのにとても遠くに感じた。


先輩、いや、何が教育係だ。
後輩の足を引っ張るなんて。


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