さりげない、あと




俺は、行動にうつした。
助けたいと思ったから。

そうでもして正義を振り翳していないと、どうにかなりそうだったからだ。
自分の緊張とは裏腹に増田の家の呼び鈴は簡易に鳴る。

「…え、なんで、先生」

玄関からできたのはどことなくやつれた顔をしている増田だった。
俺は笑顔をつくって片手を軽くあげた。

「よっ」

「どうしたんですか」

玄関のドアからこちらに駆け寄ってきた増田が焦燥を隠せない瞳で俺を見上げる。

「あー、今、ここら辺で不審者の情報があってな、見回りしてたんだ」

よくこんな咄嗟に嘘がつけたものだと自分自身に驚きながら俺は先の玄関の方へと瞳を向けた。

「親御さん、いるか?」

「っ、え」

「一応注意するように親御さんにも話しておこうと思って」

すると、増田は少し考えるように顎を触ったあと「うーん」と小さく唸った。

「伝えておきます、母に」

そう言った増田。おそらく中にいるのだろう、母親が。
ふつふつと怒りに似た何かが込み上げてくる。

今、助けを求めてくれたらすぐに手を伸ばせるのに。
家の中の怪物は、いつ君を殺すか分からないのに。

子ども手を上げるなんて考えられない。

家の中で無邪気に笑っているひよりを思い浮かべた。
ひよりが、自分を恐れるようになると思うと嫌で嫌でたまらない。恐怖で支配するなんて絶対にあってはならないことだ。


「増田、何かあるなら正直に、」


「隼人、何してるの」


玄関の戸があいて冷たい声が聞こえた。
増田が肩をあげる。これは怯えなんだろう、きっとそうだ。


「あ、お母様ですか?こんにちは、隼人くんの担任の長谷川と申します!」


「担任?」

母親が眉を顰めた。なぜ、担任が何も連絡なく家に?そう言いたげだ。


「ここら辺で不審者が目撃されまして、注意喚起のため、生徒たちの家をまわっておりました」


「ああ、そうですか。うちの隼人は無事なのでおかまいなく、じゃっ、ほら、中に入るわよ」


「あっ、待ってください!」


逃すか。絶対に。
増田の小さな手を痛いほどの力で握っているのを俺は知っている。
足をとめた母親。俺は声をかけたものの何を言ったらいいのか分からなかった。
心の中は、この怪物を絶対に逃すものかと怒りに満ち溢れているのに。

俺は今にも泣き出しそうにしている増田に声をかけた。


「また、来るから」


増田が返事をする前に、母親が家の中に彼を押しこんだ。荒々しく閉まる扉。
俺は顔中に溜まっている汗を手の甲で拭う。吐いた息が震えていた。

俺は、どう頑張ればいい。

帰り道、脳内で考えをめぐらせる。児童相談所か、警察か。
でも確固たる証拠がないと、あの痣が母親からつけられたものだという証拠が。


「増田、おはよう」

「おはようございます」

あれから学校の中の彼は、何事もなくニコニコと笑って学校生活を送っていた。
注意深く彼の腕をみていたが、あれから新しくつけられた痣はないようだった。

だけど、時々彼はお腹や脇腹を手でさする仕草をするようになった。

学校の中で増田は俺となるべく話さないようにしている気がした。自分がそうしたかったのか、母親がそう言ったのか。おそらく後者だろうと思った。

そして、彼は家というテリトリーになると学校でみせる表情とは違ってくる。

何かに怯え、無理矢理引き上げた口角がひくひくと痙攣する。


「何か勘違いしてるようですが、何もないですので。これ以上は学校の方に連絡させていただきますから」


だから、あえて俺は何度も増田の家に出向いた。
適当にあしらっていた母親がやっと俺の目を見てそう言ったのは、5回目の時だったか6回目の時だったか。

今まで学校に言わなかったのは、自分のやっていることがバレればまずい状態になるからだと確信していた。

母親の後ろで増田が怯えたように「お、おかあさん」と小さな声で母親を呼ぶ。

なんで、助けを求めないのだろう、俺は手を伸ばしているじゃないか。


「虐待、してますよね」


「っ、は?」


母親の顔つきが変わった。


「腕だとわたしにバレたから、周りに見えないところに傷がつくように暴力をふるっている、違いますか?」


「なっ、何を根拠に!!」


「注意深く増田くんをみていたら気づきます。担任ですので」


「はったりよ!!あなた教育者失格だわ!このことは学校に報告させてもらいます!」


「報告して困るのはそちらでは。あなたのやったことが明るみになって、この家に居られなくなるのはあなたです。はやく増田くんを手離してあげてください」


「っ、」


俺の言葉に母親がぎゅっと拳を握った後、すべてを諦めたように顔を俯かせた。そして小さくため息をつく。

「そうね、あなたの言うとおりだわ、もういいです」

先ほどとはうって変わり、小さな声でぶつぶつと早口でそう言ったあと、家の中に入っていく母親。
その場には俺と増田以外誰もいなくなった。

これは、このまま増田を家の中に入れてしまえばひどい目にあってしまうのではないかと思い、俺は増田へ手を伸ばす。


「行こう、増田」

「…どこに?」

「警察へ」

「っ、なんで?僕も母さんも何もしてないよ」

「増田はもちろん何もしてない、お母さんから暴力を受けてたんだろう、もう苦しまなくていいから」


増田の瞳から涙が溢れた。
そしてふるふると首を横に振る。

頼む、『助けて』って言ってくれ、この手を掴んでくれ。


「僕が悪い子だから、お母さんは俺がいい子になるようにしてくれてるだけ」

「増田」

「大丈夫だから、もう、お願いだからここには来ないで先生」


俺の正義は、間違っていた。
増田が家の中へと、地獄へと戻っていく。大きな声で彼を呼んでも、もう彼が出てくることはなかった。


ーーー次の日

「長谷川先生」

職員室へきたのは増田だった。
『よく頑張りました』のスタンプがデスクに転がった。


「僕、お父さんのところに行くことになりました」


その言葉は、俺にとっては願っていたことであったが増田の瞳は憎しみに溢れていた。


「あの状況のお母さんを1人になんてできない。そう思ってた。いや、今も思ってるよ」


「…増田」


「あの大きな家にお母さん、ひとりぼっちになっちゃったんだよ。たぶん死んじゃうんだよ」


「増田、それは色々サポートの仕方が」


「先生や周りがなんと言おうと!僕にとっては大好きな母さんなんだよ!これで母さんが死んだら先生のせいだ!僕ははもう母さんに会えないんだよ!先生のせいだ!」


「ま、増田、頼む落ち着いてくれ」


感情をあらわにした増田の小さな体を抱きしめるようにしてとめれば、増田の手が俺の腕を強く掴んだ。
しゃくりあげながら、増田は小さな声で呟く。



「本当に僕のことを助けたいなんて思ってたんなら、先生のやったことは迷惑で、余計なことだった」



彼が俺のデスクを蹴った衝撃で、『よく頑張りました』と呑気に笑っているクマのスタンプがコロコロと転がって地面に落ちていった。



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