さりげない、あと





近所の幼稚園で子供向けに劇をするという毎年恒例のイベントに向けて私達は準備をしていた。

そのイベントが終われば大急ぎで文化祭の準備が始まるという流れが毎年あり、文化祭が終われば3年生は引退する。

幼稚園では分かりやすい話にしようと「桃太郎」をすることになった。

川から流れてくる桃の色塗りを真剣にしていれば依田先輩が私の前にしゃがんだ。

「半分手伝う」

「大丈夫ですよ!あとちょっとで終わります」

桃太郎が生まれてくる大きな桃に色を塗っているため、あとちょっとで終わりますは大嘘であった。それはおそらく依田先輩にも伝わっている。

だけど、2人きりになったら緊張で何話したらいいのか分からない。


「もうひと通り終わったから手伝う。効率よくやろう」

わたしが返事をする前に色を塗る筆を手にとった依田先輩。袖を捲れば裏方の仕事で鍛えられているのか意外と男らしい腕がみえる。たしか動画でも腕まくりしてたなあ。かっこいい、好き。


「ありがとうございます」


いつもいつも『好き』ってバレないようにするのが大変。だって気づかれてしまったらそこで私の恋があっけなく終わりを迎えてしまいそうだから。


「ひよりは今回何役なんだ?」


演劇部に私の苗字は私を含めて2人いたため、私は多くの部員から下の名前で呼ばれている。

もちろん、依田先輩からも。
嬉しいけど、演劇部じゃなくなっちゃったら、引退しちゃったら、もう名前を呼んでくれないかもしれない。


「鬼役です。しかもボスじゃなくてすぐやられちゃう小さな鬼」


「そうか。なんか小さい鬼ってかわいらしいよな」


『かわいらしい』とその言葉だけありがたく心に留めた。依田先輩が私に『かわいいらしい』って言った。『かわいい』って言った。やった。

嬉しくてふっと小さく息をもらす。


「私、なんだか悪役を好きになっちゃうんですよね」


「悪役?」


「はい。根っからの極悪人は嫌ですけどほら、憎めない悪いやつっているじゃないですか」


アニメや映画、ドラマでは悪役は悪役でしかないけれど時には主人公に協力してくれたり、なんだか同情してしまう悪役もいるわけで。
私は善人が善人になりきれない悪が好きだ。


「まあ、なんとなく分かる気がする」


「ですよね!」


顔を上げれば、依田先輩も私の方を見ておりその整った唇が弧を描く。
そして髪の毛と眼鏡という壁の先にある、綺麗な瞳。

見惚れてしまうくらいは許してほしいものだ。


「ひより」

依田先輩が私に手を伸ばした。
思わず肩が上がる。
先輩の指先が私の頬に触れて、やや強みに拭われた。


「絵の具ついてる」

「え」

「取れないな」


先輩の手がいまだに私に触れている。無理、心臓爆発する。だけど離れてほしくない。
わけのわからない葛藤を脳内で繰り返しながら、目を強く瞑った。


「ごめん、力強かったか」


先輩の手の温度が離れた。
目を開けると、先輩が心配そうに私を見つめ首を傾げている。

「あ、えっと、大丈夫です。すみません、ありがとうございます」


「まだ取れてないけど」


「いいです!また汚れちゃいそうなんで、これが終わったら顔洗いに行ってきます!」


「分かった」


そう言って小さく笑った依田先輩。
私は筆を握ってまた視界をピンク色にうつす。
この時間が長く続けばいいと、ゆっくりゆっくり丁寧に塗る。


「先輩、動画がバズってるの知ってますよね」


「……まあな、部活に来る前に同じクラスの友達からみせてもらった」


「怒ってます?」


「別に怒ってはないけど、俺にも肖像権はあるから。ひとまず動画を勝手にあげた東田と部長はあとで呼び出す」


「ひえ」


やっぱりご立腹じゃん。


「でも、悪い意見じゃなくて、その、イケメンとか、かっこいいって、そういうコメントで溢れかえってますよ」


依田先輩はバツの悪そうな顔をする。
自分が端正な顔をしていることは理解していて、あえて隠しているのだろう。
なんで?と聞きたいところだけれどそこまで踏み込めない。嫌われたくないし。


「コメント、みます?」

「あとでな」

これははぐらかしの「あとでな」だと言うことは嫌でもわかった。先輩、あまり顔を褒められるの好きじゃないっぽい。

部活中眼鏡をとったり髪をあげたりするため、少なからず演劇部の部員は依田先輩がイケメンということを知っているがあえてそれを本人に言うことは今までしなかった。

真剣に部活をしているものが大半だったからだ。

でも不思議。なんで依田先輩かっこいいのに演者として表にたたないのだろう。


「先輩」

「ん?」

「聞きたいことがあるんですが」

「今度の劇のことか?」

「いや、違います」

「じゃあ、あとでな」


先輩は自分の顔の小ささにそぐわない大きな黒縁眼鏡を押し上げながらそう言った。




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