さりげない、あと






半泣きのまま、私は部室を出て描き途中の脚本を握りしめた。
無理かも。そう思った。

今すぐそれを破り捨てて、全てから逃げたいと思った。

人の感情に、本音に、踏み入ることは差し迫るテスト勉強やただ形通りの脚本を書くことより疲れて、逃げたくてできればやりたくないことだと思った。

なんでわざわざ嫌われにいっているんだろう、私。
やっていることが無駄なことでしかないんじゃないだろうか。

勝手に人の気持ちを踏み荒らして、自己満足に走っているだけなんじゃない。

自己満足の残物にしか思えなくなってしまった紙の塊を私はくしゃくしゃにして廊下に落とした。

飛んで行った塊をぼんやりと目で追う。


「あらら、こんなところに努力の結晶捨てちゃダメだよ」

視界に入ったその人はくしゃくしゃになった脚本を拾い上げた。
そして両手でシワを伸ばしながらゆっくりとこちらに近づく。


「花野先輩」

「脚本、進み具合どう?」


耐えきれなくなった私は、涙を堪えることができずに「ぐっ、」と喉からなんとも言えない声を絞り出す。
少し慌てた様子の花野先輩が私の肩に手を置き、「どうしたの」と私にきいた。
もう何が何だか分からなくなり、「依田先輩が依田先輩が」と連呼する私。

1人で弱っている時に手を差し伸べられると、ダメだと思っても縋ってしまうのは、人間の悪いさがなのだと私は思う。
こうやって、泣いてしまえば人を悪者にしたてあげることだってできてしまうのだからだ。

こういう汚い自分が嫌い。

どうやったってこの世界に善人なんていない。

花野先輩は苦笑いで、「場所を移動しよう」と私を連れてゆっくりと歩き出した。




中庭の花壇の前に少しの段差があり、花野先輩とそこに並んで座った。

「落ち着いた?」

私は花野先輩に奢ってもらったパックのオレンジジュースをちびちびと飲みながら小さく頷く。

「すみません、迷惑かけてしまって」

「いいんだよ。脚本行き詰まっちゃったとかそういう感じ?」

そう問われて、私は地面を視界に入れる。
もう、ずるいと思われてもいいや。


「依田先輩に、最後に劇に出てほしくて説得しに行ったんです」


「ああ、なるほど」


花野先輩は私の言葉で全てを察したようだった。
こぼれでた自分の言葉は決して不満などではなかったものの、好きの前にある『知りたい』という欲をぶつけてしまった後悔だった。

「ひよりは依田のことずっと好きだもんね」

「えっ、なんで」

「そりゃ気づくよ、ずっと依田のこと目で追ってるし」

「依田先輩には気づかれてますかね」

「どうだろう、あいつ鈍感だからなあ。でもひよりが依田の壁を取っ払おうとしてるのは気づいてるんじゃないかな」


「迷惑って思ってますよね」


「俺は依田じゃないから分かんないけど、少なくともひよりのことが嫌いだから拒んでるとかじゃなくて、

ただ、向き合うべき自分の本音を他人からぶつけられることは誰だってこわいよ」


目を背けたいことを無理矢理正面からぶつかられれば確かに逃げたくなる。やっぱり私は間違っていたんだと思う。
鼻を啜り上げて、「最低だ、わたし」とこぼしたそれに、花野先輩はゆっくりと首を横に振った。


「あいつが、本音を隠しきれていないのも悪いんだよ、表に立ちたくないなら本気で本音を隠しきらないと、ひよりみたいな手を差し伸べる子を無駄に傷つける」


「…やっぱり、依田先輩は演者として表にたちたいんですよね」


「たぶんね。だけど、彼の足枷になってるのは過去の傷ついた思い出なんじゃないかな」


「傷ついた思い出?」


花野先輩は、足を伸ばしてつま先を左右に揺らす。
彼はずっと依田先輩の本音を知りながら、それは依田先輩を傷つけることだと理解していた。
だから、隣で見守っていたのだろう。
私はそこまで大人になれなかった。


「うちさ、副部長いないでしょ」

その問いに私は小さく頷く。入部してから気になっていたことではあるけれどなんとなく触れてはダメなことなのかと思っていた。


「中学時代に、俺と依田ともう1人一緒にずっと演劇頑張ってきた同級生がいたんだ。

もちろん中学時代は依田も演者として表に出ていたよ」


花野先輩は、自分の手を開いたり閉じたりしながら言葉を続ける。


「…依田は今みたいにメガネもしてないし、顔も隠してなかったから、それはもうチヤホヤされてて。
部員だけじゃなく、先生からもね。

本人もそれは気に食わないってずっと言ってたし、それでのし上がるつもりもなかったけれど、周りはやっぱり依田を色眼鏡でみるんだ。

主役を決める時だって、依田目当てで観にくる人もいるだろうからと依田が勝手に指名される。本人が希望をしてなくてもだ」


ーーーー『自分が生まれもった容姿は、誰かを魅了できるかもしれないけど時にそれが足枷になって、本当に欲しいものがある時に手を伸ばせなくなる』

私が依田先輩に放った言葉は、真実で、残酷な言葉だったのだ。


「依田はよく、主人公を追い詰める悪役を希望してたよ。あいつらしいよね」


「…はい」


「俺と、依田と、もう1人のやつは同じ高校に入って演劇部を一から作り上げようって約束してたんだ。俺が部長で、もう1人のやつが副部長で」


花野先輩は思い詰めるように言葉をか細くして、そして依田先輩が先ほど見せたみたいに下手くそな笑みを浮かべる。
大丈夫だ、自分は傷ついていないって。


「中学最後の舞台、やっぱり主役は依田だった。けど、本番、やつは来なかったんだ。もう1人のやつが主役を希望していたのを知っていたから」


「っ、え」


「依田の正義は、やつにとっては『お情け』っていう名の悪だったんだと思う」


「でも、依田先輩は…」

「うん、分かってるよ。どうにかしようとして自分なりにもがいて苦しんだ結果だ」


花野先輩は、伸ばした足をきゅっと縮めて膝に手を置いたあと小さなため息をついた。


「結局、依田とそいつはそのまま縁がきれて、高校も別のところにいった」


「…だから依田先輩は」


「うん、まあ、それが大きな理由。卒業式の時にそいつが依田に言った最後の言葉が依田にとっては堪えたんだと思う」


「…なんて」



「『お前の後釜になるくらいなら、死んだ方がましだ』って」



ああ、言葉って呪いだ。




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