さりげない、あと
「高橋、あいつ喋ったか」
そう言って歩く先で自分を待っていた溝口先輩がポケットに手を突っ込んだまま眉間に皺を寄せる。
「喋りましたが、やっぱりペリクとは会ったこともないし顔も知らないそうです。
本当にただの薬の売買の手下として利用されてたみたいですね」
「未成年なのにな、ちょっとかわいそうだ」
悔しそうに口をへの字に曲げた溝口先輩に俺は少し驚く。少なからず自分も思ったことではあるが、この人にもそういう感情があるのか、と。
事件の真実しか求めていないし、すぐ怒鳴るし、いつもタバコ臭いし。
もう何年も会っていない、父親に雰囲気が似ていて苦手ではあった。
「先輩にも、情とかそういうのあるんですね」
「どういう意味だコラ」
そんなことを話しながら、俺たちは捜査会議がおこなわれる部屋へと足を踏み入れる。
ここはいつだって異様な雰囲気だ。
人間、いつだって欲望の塊であり、正義に溢れるやつなんてほんの一握りしかいない。
誰が1番に成果を上げるか、そんなハングリー精神のようなものでここは埋め尽くされている。
そして俺には少し気になることがあった。
この捜査で言葉にされる用語に少し馴染みがあったからだ。
溝口先輩に聞いても、今回のこと意外でそんな言葉はないと突っぱねられている。
「半グレ集団の『アイマイ』だが、暴力団と手を組んで『レホメディ』の売買をおこなっている。
我々は一斉検挙に踏み切りたいが、なにせ」
俺たちは正直なにもつかめていなかった。
似顔絵が何枚にも重なって映し出される画面。
その画面をこの捜査のトップが手のひらで叩く。
「この『ペリク』というふざけたやつの顔がわれない」
情報はあえてそうしているかのように、攪乱している。
『アイマイ』のトップが男なのか女なのかも分からない状態だ。こんなので一斉検挙に踏み出すことはできず地団駄をふむ毎日。
「ひとまず、地道にアイマイに関わりのあるやつ、売買に加わったやつを調べ上げて捕まえていくぞ。
アイマイに入っているやつは星のタトゥーが入っている。分かりやすい印をつけてくれてるから探しがいはあるだろうな。下っ端でも見つけ次第どんどん捕まえろ!」
「はい」と大勢のきれのいい返事がそこに響いた。
少し遅れて小さく返事をしたあと、メモをしていた手帳を視界に入れる。
アイマイ、ペリク、レホメディ
そして、
星のタトゥー。星、スター。
「あ」
思い出した。
隣に座っていた溝口先輩が「なんだよ」と驚いたように俺を見る。
つらかった思い出の中の刹那は、忙しい日々の中で忘れがちになってしまう。
俺に手を差し伸べた恩師だけをしっかりと胸に刻んではいたが、それ以外はいらない記憶として封印していたように思う。
少し父に似ている先輩と、この捜査がなければ絶対に思い出さなかった記憶だ。
「つまり、お前は小学生の時にこの『アイマイ』や『ペリク』そして『レホメディ』という言葉が出てくる物語を読んだということだな」
「はい」
「それはどこかに出されているのか」
まさか、そんなレベルのものじゃなかった気がする。
俺は思い出して、思わず笑ってしまった。
「小学生が書いたもので、世に出ることはなかったと思います。読んだ人も限られてる」
「読んだやつはどれくらいいるんだ」
「まず、物語はリレー形式で2人で書いていたので、そいつらと、それからそれを読んだ俺と先生。
この4人は確実です」
「にわかに信じ難いが物語の内容は覚えているのか」
俺は、あの空き教室での日々を思い返した。つらく、逃げ出したい毎日の中であの時間が唯一の救いだったのは確かだ。
「たしか、スター国という国があって、そこにはレホメディという魔法の薬があるんです。
それを狙って悪党集団アイマイがスター国を侵略してくるみたいな話だった気がします」
「ほう」
「そして、アイマイのリーダの名をペリクといい、やつは仮面を被って顔を隠しているという設定です」
少し挑発的で馬鹿にしたような笑みを浮かべていた溝口先輩が真面目な顔つきに変わった。
無理もなかった、自分も思い出しながら話していてもひっかかることがある。
俺と先輩しかいなくなった会議室。進まない捜査の情報が画面いっぱいに映し出されていた。
「それ、書いたやつの名前を覚えていないのか。そいつがペリクって可能性があるだろう」
丸っこい字と、少し達筆な字が交互に描かれていたそれ。
「もう1人の方は分かりませんが、物語をつくりあげた人の名前は知っています」
「覚えてるか」
確か、俺はそいつをあの空き教室で何度か口にしている。
「星子、だった気が、」
表紙に書かれた漢字4文字。
「川北、星子、だったと思います」