さりげない、あと




演じることは意外と簡単だった。
呼ばれる名前は違うし、環境もまるで違う。

潜入調査を専門としている課のやつらにもちゃんと話を聞き、俺はこの捜査に踏み切った。やつらは言っていた。やるときは己に別の人間の皮を被せろ。
それが自分だと錯覚させろ。

ここにいる自分は、自分じゃない。

高橋ではなく、『三瀬』として。


「星子さん、おはようございます」

「おはよう」

彼女も、今の俺と同じで別の人間の皮を被っているのだろうか。屈託のない笑みを浮かべている川北星子。

本当に彼女がペリクとするなら、彼女は化けるのがうまい。妖怪みたいだ。

まずは彼女と距離を縮めることに全力を注いだ。
彼女と営業に向かう前、俺はわざと彼女の鞄から資料を抜き取った。

やっていることは嫌がらせと変わらなかったが、彼女の素性を知るためだった。少し心が痛い。

俺がみた川北星子という人間は、純粋で、巻き込まれ型で、イケメンが好きで、人に懐かれ、怒られやすい、少女のような大人だった。

小学生の頃、スター国物語を読んだ時に抱いた星子の人物像のままだ。


「三瀬くんってなんだか不思議な人だね」


昔、長谷川先生が俺にやっていた『あと』の確認。俺はあれを思い出した。服を剥ぎ取るなんて真似をしなくたって徐々に知っていけばいい。

星子はおそらく、三瀬という人間のことを好きになっている。

先生が持っていた『スタンプ』と同じものをデスクの端に置いていた。警察官になったところでつかわないものだと思っていたが、ここで役に立つとは。

やっぱり、過去の中の刹那は大事にしておくものだ。

星子の手の甲にスタンプを押しながら、彼女の素肌を見える範囲で確認する。

星のタトゥーは入っていない。

なんだか、少し安心をしてしまった。なんでか分からなかった。
自分の見ていたい部分の裏を知りたくなくなっていたからだろうか。

潜入してしばらく期間が経った頃、星子と自分が送信したメールの資料が書き換えられていたことが発覚する。

その犯人は星子を妬んでいた、木下という女だった。一つも興味の分からない醜い理由だとは思ったが、星子の本性を炙り出すにはちょうど良い人材ではあったのだと思う。

だが、木下をグーパンで殴り飛ばした時も星子は星子だった。


「ここの社員だけじゃない、先方の会社にまで迷惑かけたんだよ?私は今それにめっちゃ怒ってます、グーでぶん殴るぐらい」


密かにその光景を見ている俺は、素で笑ってしまった。ああ、そうだった。
俺はあの空き教室で彼女の書くくだらない物語にも救われていた。

日常的な暴力に怯えて、『助けて』と言えない自分の弱さ、いつか誰からも忘れられて死んでいくんだろうと、子供ながらに思っていた。
ろくな大人にならないんだろう、と。

あの時、あの空き教室に長谷川先生がいなければ、あのスタンプがなければ、あの物語がなければ、
俺は、ここにいないだろう。

ーーーー「リンデル姫だけじゃない!!お前も言っていいんだ!!」

あの時叫んだ『助けて』は、ここまでの道をつくった光である。

封じ込めていた過去を、川北星子という人間と『スター国物語』というふざけた物語によって思い出されていく。
あの時から今までがむしゃらに頑張ってきた。つらい過去を振り切るように。

俺は、なんで今この人と手を繋いで歩いているんだろう。


「星子さんってどんな子供でした?」


「何よ急に」


「知りたいなと思って」


「わりと、巻き込まれ体質だったかも」


「巻き込まれ体質?」


「うん。自分でも知らないうちによく分かんないことに巻き込まれててね」


「例えば?」


「女の子たちってさ、グループで何かしらの問題がおこるでしょ?悪口を言った言わない、誰かの好きな人をとったとらないとか。
関わった覚えがないのによく巻き込まれてたんだよね」


「そう、なんですか」


「以外と小学生の頃からそういうのってあるのよ」


「えげつないですね」


「でしょう。まあ、私はそういうのから逃げたくてよく現実逃避してたけど」


「どうやって」


「恥ずかしいから言わない。陽キャの三瀬くんには分かんないし」


「言ったでしょう、俺も昔喋らなかったって」


「そういえばそうだったね」


「で、現実逃避って?」


「物語、書いてたの」


「ものがたり、ですか」


「そう、どんな内容だったか忘れちゃったけど」


「読んでみたいなあ星子さんが考えた物語」


「やめてよ、恥ずかしいから!しかももうそのノートどこにあるか分かんないし!」


「ふーん」


「しかも小学生の頃だけだよ、中学に上がってからはもっと賢く生きようと必死だったから。
誰にでもいい顔して愛想笑いして」


ノート、どこにあるか分からないし。そうかやっぱり彼女は持っていない。
俺は一度彼女の家に上がった時にそれとなく探したが、確かにノートはなかった。もしかしたら実家にあるのかも。
いや、今まで疑ってこなかったが、先生が星子に返さなかったという可能性もある。

いずれにしろ、星子は今、起きているこの騒動に何も関与していない可能性が高いんじゃないか。

そう結論を出した時、俺は柄にもなく喜んでいた。

溝口先輩にはどやされるだろう。
でも、彼女は巻き込まれ型である。すくなからず、自分の知らないうちに巻き込まれているかもしれない。

あと、調べることは一つだけ。




「やっと、だ」




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