さりげない、あと
目を覚ました瞬間、頭に痛みが走る。
「ぐっ、」と喉から溢れた声。手足は椅子に縛られて身動きが取れなくなっていた。
おもりのような頭を上げると、星子も同じように気を失って椅子に縛られている。
「…子さん、星子さん!起きてください!」
叫ぶように声を出すが、彼女は動かない。
何度も何度も名前を呼ぶ。
頭から流れる血が目に入っても拭うこともできなかった。悔しい。
助けるために手を差し出すことをできない。
どうやらあのあと俺たちは中に入れたようだった。会員制のバーなどとうたってはいるが、棚に酒など並んでおらず、ここが取引場所だったのは明確だ
ここに来る前に溝口先輩には『オールドハンド』が取引場所の可能性が高いという情報は送っている。勘がいいあのおっさんは絶対にここに向かっているはずだ。
その間に俺はどうなろうがどうでもいい。星子だけは助け出さねば。
しばらくしてそこに足音が響いた。そして姿をあらわしたその男。さきほど俺を殴った男と同じやつだった。
手の甲には星のタトゥーが入っている。
「俺と同い年くらいかな、随分若い刑事が来たんだね」
「…お前がペリクだろ、川﨑ようた」
そう言うと、そいつは高らかに笑って気を失っている星子に近づいた。
「誤算だね、星子を巻き込むなんて」
「っ、近づくな」
「いやー、初恋の女の子にこんな形で再会するなんて」
取り出した銃の先で星子の輪郭をなぞる。
手に目一杯の力を込めて、縄を解こうとするがなかなか取れそうにない。
あたりを見渡すと、綺麗にされていない床に果物ナイフのようなものが落ちていた。
だがそれは到底手に届く範囲にはなく、星子がいる場所の近くにある。
ふと、潜入調査の時に木下を一発のパンチで黙らせた星子の姿を思い出した。なんで、このタイミングで。
わずかな可能性に欠けて、俺はペリクに話しかける。
「俺、お前と小学校が同じなんだよ」
「はあ?なんだよ急に」
「お前と、星子さんの2つ下の後輩だ」
少し興味がわいたのか星子から少し離れて俺の方に足を向ける。
「お前たちが卒業したあと、俺は空き教室で『スター国物語』を担任と見つけたんだ」
「あれ、読んだの」
「ああ、読んだ。俺はあの時、両親から虐待を受けていた」
「っ」
ペリクの顔が歪む。犯人を説得する時は初心にかえれと溝口先輩はよく言っていた。「人情系は意外と役立つ」と。ばかばかしいと思った。人の情けがあるやつが犯罪なんて犯すか、と。
辛い過去なんて、すくなからず生きている人間には必ずあることだ。それの大きさなんて人によって違う。
俺の過去を説得材料にできるものなら、とことん利用してやる。ペリク、俺はお前と違って今を生きているんだ。
「俺もあの時、つらかったが『スター国物語』に、救われた1人なんだ」
「…なんだよそれ、だからって真実知るために星子を利用して、一般人巻き込んでちゃ正義の刑事さん失格じゃんよ!」
ふっ、と息をもらす。
「星子さん、お前のことすっかり忘れてたよ、ペリク」
「っな、」
「俺たちにとって、大切だったあの思い出は、あの物語は、彼女にとっては何の意味もなさない暇つぶしみたいなものだ」
ペリクの手が、小刻みに震えていた。初恋に縛られてできた残物を大事に抱えて、自分を作り上げたペリクにとってその言葉は屈辱であっただろう。
「所詮、今を楽しんで生きている人たちにとって、俺たちの辛い過去なんて、どうだっていいんだ。
お前はあの物語を書いた日から一歩も前に進めちゃいない」
「っ、うるさい!」
「星子さんだって、お前の顔をみたところで何も感じないんだよ!」
「うるせえって言ってんだろ!」
ペリクは星子を椅子ごと蹴り飛ばして床に倒した。
星子が力なく床に転がる。
頼む、起きろ。
荒々しく肩で息をするペリクに俺は畳み掛けるように言葉を吐き出す。
「お前、すごいよな、昔、実の兄を半殺しにしたんだろ、俺にはこわくてできなかったことだ」
ペリクはこちらを振り向いて、ゆっくりと俺に近づく。
「お前に何が分かるんだ」
唸るように俺にそう言った。
分かるさ、感情の吐き出し口がわからなかった幼い日。俺は割れた窓ガラスから差し伸べられた手を握った。だから今ここにいる。
こいつは、俺と違い1人でここまで来たんだ。
だが、同情なんてしてやるか、悪は、悪だ。
「今の状況は、星子さんがリンデルで、俺がワンド、そんでお前がペリクってところかな」
挑発するようにそう言った俺に、ペリクは静かに銃を向けた。
「じゃあ、俺はお前を殺していいってこと?そんで星子もレホメディも守るってそういう最後かな」
「…どうかな」
カチャ、と銃の音がそこに響く。
物語の最後なんて、誰にも分からない。俺は結局あれの結末を知らない。
知らなくて、いい。
「最後は、姫のグーパンですべてを終わらせるって話だよ、ヨウくん」
ペリクが反射的に銃を持って振り返ろうとしたが、幾分が星子の方が早かった。
「いけ」と小さく呟く。
星子がかました一撃はペリクという名のただの川﨑ようたをうちのめすのに時間はかからなかった。
川﨑ようたの体が地面に倒れる。
あっけなく、手に持たれていた銃は床を転がった。
そして泣き出しそうな顔で川﨑ようたが星子を見つめる。
「グーでいく?普通」
そう言ったやつに、星子は「ふん」と鼻を鳴らして、地面に転がっている銃を拾い上げると俺のもとに近づいて「これどうしよう」と聞いてきた。
「ひとまず、これ解いてくれませんか」
「あ、うん、分かった!」
こちらに近づいて縄を解いたあと、「痛かった」と星子が頭を抑える。
俺は、「ちょっと待っててください」と星子を椅子に座らせたあと、川﨑ようたに近づいた。
そして手錠を取り出す。
「詳しい話は、署できくから」
川﨑ようたの手首に手錠をかけて、へたり込んでいるからだを起き上がらせる。
やつはもう、星子の方は振り返らなかった。
地下からでれば、予想通り溝口先輩が待ち構えており何台ものパトカーが止まっていた。
「お手柄だったが、一般人巻き込んでんだからな、始末書かけよ」
「はい、すみません」
「そんではやく彼女連れて一緒に病院行け、アホが」
川﨑ようたを引き渡したあと、俺は再度地下に戻った。
星子は大人しく椅子に座っていた。
少し放心状態になっている様子だった。無理もない。
切られたヒモのあとと、床に転がる果物ナイフ。
星子は目を覚ましたあと、床に倒れた時にナイフを拾い上げて紐を切った。
あそこでこちらの予想通りに動いたことには正直驚いたけど、星子ならきっとそういうこともやるんだろうな、とも思った。
「大丈夫ですか、星子さん」
彼女の座っている前にしゃがんでそうきくと、彼女の瞳がこちらを向く。
「色々さ、ききたいことはたくさんあるの」
「…はい」
「でもね」
パチン、と星子さんの手のひらが自分の頬にあたる。
「いくら情報を取るためとは言え、女と寝るなんてどうかしてるよ」
「っ、」
「今回の件、私にとってはそれが1番ショックなの」
そう言った星子に、俺は堪えきれなくてクスクスと笑う。
「な、なんで、笑ってるの」
「殺されかけといて、ショックなことそれなんだ」
「悪い?」
「いや」
俺は伸ばした手で彼女を引き寄せる。
ずっと、俺は俺としてこうしたかったのだと思う。
「星子さんらしいな」
「なによ、というか、あなたって本当はそうやって笑うんだね」
「え?」
星子さんの手が俺の背中にまわった。
「私、三瀬くんだろうが高橋くんだろうが、あなたのことが好きだよ」