溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
「お待たせ致しました」

 宗介はアフォガートを口に含むと満足気に息を吐いた。次にタルトタタンにシルバーのカトラリーで切り目を入れゆっくりと口に運んだ。

「やはり果林さんです」

「私、ですか」

「温かな味がします」

「ありがとうございます」

 宗介は木古内和寿が自分たちを険しい面持ちで睨んでいる事に気付き呆れ顔で溜め息を吐いた。

「オーナーはいつもあのように険しい顔をなさっているのですか?」

「ああーーー、どうでしょうか」

 果林が日々の辛さを誤魔化して自虐的に笑って見せると宗介の表情が深刻なものになった。

「果林さん、そこは笑う所ではありませんよ」

「ご、ごめんなさい」

「あぁ申し訳ありません。私もつい感情的になってしまいました」

「ごめんなさい」

 果林が俯き加減になると宗介は慌ててスーツのポケットから小さな白い包みと白い封筒を取り出した。果林がなんだろうと不思議な顔をすると「これは出張先で購入した土産とお守りです」と微笑んで見せた。

「お土産、私にお土産ですか?」

「小町紅、紅花(べにばな)の口紅です」

「口紅」

「水で溶いて使う自然由来の口紅で匂いは殆どありません」

「水で溶いて使う、珍しいですね」

「小筆で塗るのだと説明を受けました」

「小筆、なんだか和風で素敵ですね」

「色味の濃さが調節出来るので飲食店の方にもお勧めだそうです」

「お勧め、お勧めですか」

「私が持っていても意味がないので受け取って下さい」

「あ、ありがとうございます!」

 そして手渡された白い封筒には<退職願>と書かれていた。

(退職?誰がって・・・・私が?)

 そこで木古内和寿の怒号が閑散としたフロアに響いた。

「果林!モタモタすんな!」

「は、はい!」

 そのやり取りを耳にした社員たちは居心地が悪そうに次々と席を立った。宗介はその様子を眺めながら腕組みをしてフロア全体を見渡した。

「しっ、失礼します!」

「はい」

「お土産ありがとうございました!」

「こちらこそ受け取って頂きありがとうございます」

 果林は手渡された白い包みの小箱と封筒をサロンエプロンのポケットに入れた。
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