溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
新しい暮らし

薄水色の封筒

 青い空、白い雲。

「・・・・・はぁぁぁ」

 ブラックもブラック、真っ黒黒な職場を退職して1週間、果林はそれまで溜め込んでいたシーツやブランケットなどの大物を洗濯機に放り込んだ。眩しい日差しを浴びながらリビングルームで大の字になってみたが気分は低空飛行だ。

(んーーーーーーー!取れない!)

 2年間職場で着ていたカッターシャツにはあの忌々しい菊代の香水の残り香が染み付いている。羽織るたびに「申し訳ございませんでした」と頭を下げなければならない卑屈な自分の姿が頭を過った。

(ああ、洋服買い替えたいなぁ)

 銀行の預金通帳を広げて見たが残高はたかが知れている。それに勢いで退職したもののこれからの生活はどうすればよいと言うのか。果林は洗濯物を干し終えるとコンビニエンスストアへと走った。そして手にしたのは履歴書、その足でハローワークに向かったが25歳の女性パティシエールの求人は無かった。こうなればインターネットの企業ホームページの採用窓口に突撃あるのみだ。

ピコン

(また駄目だった・・・くぅぅぅ!)

 携帯電話のメールボックスに届くのは不採用<またの機会がございましたらよろしくお願い申し上げます>ばかりだ。

「このままでは来月のお米が買えない!」

 遥か昔、ベルサイユ宮殿で「パンがないならお菓子を食べれば良いじゃない」とマリーアントワネット妃が名言を残したが、現在の果林の財政状況はそれに近かった。今夜の食事は冷凍ご飯と焼き鳥の缶詰、ローテーブルで「いただきます」と手を合わせているとインターフォンが鳴った。

(・・・・誰だろうこんな時間に)

 宅配サービスの勧誘かといぶかしげな面持ちで玄関扉を開けると、深紅の薔薇の豪華な花束が目の前に飛び込んで来た。

「うわっ、な、なに!」

「果林さんこんばんは」

「そっ、宗介さん!」

 玄関先でにこやかに微笑んでいたのは仕立ての良い濃紺のスーツに焦茶のシルクのネクタイを締めた辻崎宗介だった。それは掃き溜めに鶴、築40年の1LDKのアパートに相応しくない異空間で思わず果林はたじろいだ。

「な、なんでわた、私のアパートをご存知なんですか!」

「私は果林さんの事ならなんでも知っていますよ」

「まさかスリーサイズまで!」

 果林は思わず両手で貧相、いや小振りな胸を隠した。

「んーーーー、残念ながらそれは分かりませんがそれは追い追い」

「お、おい、追い追いおいおい」

 宗介は深紅の薔薇の花束を果林に手渡すと満足げな顔をした。

「似合っています」

(どこがですか、私なんてぺんぺん草ですよ、ぺんぺん草!)

 次に宗介は一通の封筒を手渡した。薄水色したB4サイズの大きな封筒には辻崎株式会社のロゴが入っていた。

「これは、これは何ですか?」

「果林さん、これはあなたが新しい世界へと踏み出すためのチケットです」

「チケット」

「中身を確認して数日中に総務課のメールアドレスまでお返事を下さい」

「・・・・そう、総務課」

「はい。辻崎株式会社の総務課です」

 宗介はそれだけ告げると深々と頭を下げそれにつられて果林もお辞儀をした。カンカンと軽い音で錆だらけの階段を降りた赤茶の革靴はいつか見た黒い車の横に立った。すると運転席から黒いスーツの男性が小走りに降り、白い手袋で後部座席の扉を開けた。宗介は「また」といった雰囲気で片手を挙げると車内へと乗り込んだ。低いエンジン音を残して走り去る高級車、果林はそのリアウインドーを見送った。

「というか、宗介さんて誰?何者?」

 ローテーブルに置かれた深紅の花束を振り返った果林は大輪の薔薇の本数を数えてみた。25本だった。

「ま、まさか私の年齢もご存知ですって言う事だったりします?」

 果林の背筋に冷たいものが走った。
< 15 / 51 >

この作品をシェア

pagetop