溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
 企画室に先回りした宗介は平静を装いながらも額の汗を拭った。数分後、果林と宇野がガーリックの匂いを漂わせながら「ただいま戻りました」と笑顔で扉を開けた。

(ぺ、ペペロンチーノ!)

 果林と宇野がガーリックの匂いを気にせず食す間柄になったのかと焦った宗介は宇野を果林から引き剥がしApaiser(アペゼ)の図面をスチールデスクに広げて見せた。

「うおっと、何だよ宗介」

「うるさい!」

 そして果林に手招きをすると図面のテラス部分、(けやき)の樹の端に丸を付けて赤く塗り潰した。

「これは何でしょうか」

「ここにはカリンの木を植えようと思います」

「カリンの木ですか」

「果林さんがこの店のオーナー兼パティシエールになる記念樹です」

「えっ!記念樹!良いんですか!?」

「はい」

 少し赤ら顔になった宗介は軽く頷いた。

「果林さんと私の木です」

「私と宗介さんの木ですか?」

「はい」

「ちょっと意味が分かりませんが」

 宗介はその図面の上に赤鉛筆で何重もの円を書きながら髪の毛をいじった。

(照れてる?宗介さん、カリンの木で照れてる?)

「果林さん」

「はい」

「カリンの花言葉はご存知ですか?」

 宗介は果林の顔を覗き込みながら(ささ)やいた。

「花言葉には疎くて・・・・ごめんなさい分かりません」

 宗介はスチールデスクに落としていた目を上げて果林を凝視した。薄い唇がゆっくりと動いた。

「カリンの花言葉は<唯一の恋>です」

「こ、い・・・・こいですか?」

「はい」

 その目は熱を帯びていた。果林はその意味を把握したが咄嗟(とっさ)におどけてみせた。

「あぁ、お魚の鯉ですね!」

「魚の鯉ではなくここの恋です」

 その指先は果林と自身の胸を交互に指差した。薄らと気が付いてはいたが宗介は果林に特別な感情を抱いている。思わず魚の鯉だと茶化してみたが何とも形容し難い甘い空気が漂った。

「果林さん」

「え・・・と、はい」

 するとそこで宇野が間に割って入った。

「はいはいはい、職場に魚の話は要らない!」

「宇野!なんだおまえは!」

「はい、散った散った!宗介は自分の業務に戻れよ!」

 宇野は丸めたポスターで宗介の頭を軽く叩いた。

「はい、果林ちゃんも仕事仕事!」

「宇野っ!」

 こうして辻崎株式会社の双璧は睨み合った。果林を中心に宗介と宇野は度々小競り合いを起こし、宗介は企画室スタッフから開店準備の妨げになると出入り禁止を喰らった。その数日後、会社公認の職務が発生した宗介は小躍りでApaiser(アペゼ)に入店した。それはApaiser(アペゼ)プレオープン告知の記念撮影だった。

「はーーい、こちら向いて下さい」

(果林さん、そのエプロン姿、可愛いです!)

 宗介は携帯電話のカメラでガーデンテラスの緑の中で恥じらう果林の姿を連写した。ところが会社広報誌や地元新聞社のカメラに満面の笑みで応える企画室部長である宇野の手はApaiser(アペゼ)オーナー果林の腰に回されていた。

「宇野!おまえ結婚披露宴の記念撮影じゃないんだぞ!」

「はっはっはっ、羨ましいか!」

「ぐぬぬぬぬ」

「宗介さん、宇野さんも落ち着いて下さい」

「果林ちゃん、Apaiser(アペゼ)の制服似合ってるよ」

「ありがとうございます」

「ぐぬぬぬ」

 Apaiser(アペゼ)オープンの日は近い。
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