溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
 無理やり車の後部座席に押し込まれた果林は腑に落ちない面持ちで燃え盛るアパートを振り返った。

「果林さん」

「はい、なんでしょうか」

「住居を移されて社宅に入るにはご親戚の方にお知らせしなくてはなりませんね」

「はい」

「叔父さまにお伝えしておきましょう」

「はい?」

「羽柴さんの叔父上宅まで頼む」

「かしこまりました」

 運転手はルームミラーの中でうやうやしく頷いた。

「・・えっ、叔父さんの事まで」

「はい、社員の家族構成は把握しておかなくてはなりませんからね!」

「宗介さん、それは職権濫用」

「プライバシーの侵害も含まれるでしょうか?」

「それは分かりませんが今、ドン引きしています」

 そして果林の叔父は宗介の身なりに驚き、手渡された名刺に腰を抜かした。

「つ、辻崎、辻崎株式会社の副社長さん」

「はい、お初にお目に掛かります。辻崎宗介と申します」

 叔父は縮こまり茶托を差し出す叔母の指先は震えた。

(おおーーーい)

 宗介の登場で果林のアパート全焼云々は吹っ飛び「アパートが焼けたの」「あ、そうか」程度で終わってしまった。

「という事でお住まいを無くされた羽柴果林さんには我が社が所有する社宅をご用意致しました。そちらへの入居につきましてはご了承頂けますでしょうか」

 叔父は火事で焼け出された姪の渡りに船とばかりに二つ返事で頷いた。

「ぜ、是非!よろしくお願い致します!」

「では失礼致します」

「叔父さん、叔母さん遊びに来てね」

「元気でな」

「副社長さんに可愛がって貰いなさいよ」

「え、それどういう意味!?」

「元気でな」

「なに、その今生(こんじょう)の別れみたいな言い方やめてよ!」

「達者でな」

「叔父さん!?叔母さん!?」

 それはもういつの時代かは不明だが、奉公(ほうこう)に出される娘の気分で果林は車の後部座席に押し込まれた。
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