溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
 叔父と叔母の様子がおかしいことに疑問符を抱いていた果林だったが、きらびやかな車窓からの眺めを見ているとそんな事は吹っ飛んでしまっていた。会社所有の社宅ならば辻崎ビルに近く通勤も便利だろうと果林はまだ見ぬ新しい住まいを思い描き胸躍らせた。

(どんな感じかな、アパート、まさかマンションだったりして!?)

「はい、着きましたよ」

「はい?」

 到着したのは辻崎株式会社の正面玄関の車寄せだった。運転席から降りた運転手がうやうやしく後部座席のドアを開け、果林が茫然としていると宗介が不思議そうな顔をして車内を覗き込んだ。

「どうしましたか?降りて来て下さい」

「あ、あのーーここは本社ビルでは?」

「はい、ここが会社所有の社宅です」

「は、はぁ」

 果林は嫌な予感がした。それは数分後に的中した。宗介はエレベーターホールで黒いカードキーを階層ボタンにかざし上階へ向かう矢印を押した。

「はい、どうぞ乗って下さい」

「は、はい」

 一般社員が出入り可能な7階の屋上庭園を通過したエレベーターの箱は上昇し続けた。

「8階は秘書のフロア」

「はぁ」

「9階は本部長クラスのフロア」

「はぁ、本部長」

「10階は常務取締役クラスのフロア」

「そうですか」

「11階は私のフロア」

「そ、宗介さんのフロアとは副社長のお部屋ですか?」

「そうです」

「12階は父のフロア」

「ち、父とは父の父で社長さんですか」

「そうなりますね」

「宗介さん、い、今私たちが向かっているのは」

「16階の私の部屋です」

「ですよねーーーー!」

ぽーーーん

 ここはいつか見た風景。以前「お茶を飲んでいきませんか?」と強引に誘われ連れ込まれそうになった宗介の部屋だ。

「ここが会社所有のしゃ・・・社宅ですか?」

「はい!」

 家財道具一式、住む場所を無くした果林に選択の余地は無かったが(だま)された感が半端なかった。

「どうぞお入り下さい」

「はい」

「靴は脱いで下さい」

 宗介の赤茶の革靴の隣に泥だらけの黒いパンプスが並んだ。

「では、あらかじめご説明致しますね」

「・・・・・はい」

 白い大理石のエレベーターホールまでは清掃員が掃除、分別ごみ、燃えるごみなどのペールが壁に埋め込まれそれも回収してくれるのだと言った。

「部屋の中は自分で掃除すれば良いんですね」

「はい」

 制服やスーツは8:00にクリーニング店が集荷に来るので備え付けの棚に入れておく様にと説明があった。

「あの、タオルや細々とした物の洗濯はどうすれば良いのでしょうか」

「あぁ、ランジェリーですね!」

 それは大丈夫だとドラム式の洗濯機を叩いて見せた。

「最新式なんですよ」

 ロボット掃除機もかき集めたゴミを自動で処理する最新型なのだとそれを抱き抱えてドヤ顔をした。

(家電製品マニアなんだな)

「ここが果林さんのお部屋です」

「ここが、会社所有の社宅ですか・・・・立派ですね(20畳は軽くある・・・!)」

「そうですか?普通だと思いますが」

(副社長さんならこれが普通なのかもしれませんが!これは普通じゃありません!)

 フローロングは柞の木(いすのき)で紅色を帯びた褐色、壁紙はアイボリーで優しい雰囲気だった。

急遽(きゅうきょ)秘書に準備させました。必要な物があれば遠慮なく仰って下さい」

 その部屋があまりにも立派すぎて口をあんぐりと開けていた果林だったが中に入ってみると真新しい木の香に包まれ、家具の優しい手触りに一瞬で心奪われた。

「か、可愛い、かわいいです!」

「可愛いですか!そうですか!」

 腕を組んでいた宗介は壁に寄り掛かって満足げに微笑んだ。クローゼットは埋め込み式でチェストやリビングテーブルも白味の強い楠の木(くすのき)で自己主張せず広々として見える。見上げると天窓が付いていた。晴れた日は青空が気持ち良いだろう。壁の窓からはchez tsujisaki(しぇ つじさき)の庭園にある(けやき)の樹を見下ろす事が出来た。それにしても16階は高すぎる。地上に吸い込まれそうになった果林はもう2度と下は見ないでおこうと誓った。

「温かい造りですね」

「はい、辻崎株式会社のシンボルツリーは(けやき)、幸せの象徴だと言われていますから」

「なるほどです」

 そして振り向くと立派なベッドが鎮座していた。

「・・・・大きいですね」

「ベッドはクィーンサイズです」

「クィーンサイズのベッドは初めて見ました」

「このサイズだと2人でも広々です」

「2人」

「はい」

(2人、もしかして、もしかしてですか?)

 身の危険を感じながら周囲を見回してみたが電化製品が見当たらなかった。

「あの、失礼ですがキッチンは」

「リビングにミニキッチンがありますから使って下さい、食事は14階の食堂で食べます」

「しょ、食堂?」

「テレビはリビングにありますから一緒に見ましょうね」

「・・・・・はい」

 浮き足立ち嬉しさが隠せない宗介はルールツアーを続けた。

 「ここがバスルームとトイレです」

 2箇所のセパレート式のバストイレと洗面所のすりガラスの扉には鍵が付いていた。これならば2人でも難なく使える。その脇にはウォークインクローゼットとシューズボックス、コートなどはここに掛けるのだと言う。

(コート、私は冬もこの社宅に住むのか?)

「奥がリビングルームと書斎です」

 リビングルームも温かな造りでフローリングは柞の木(いすのき)、壁はアイボリー、家具も白味の強い楠の木(くすのき)で揃えられていた。

(会社の副社長さんの部屋って黒とか金とか大理石かと思ってた)

 カーテンも落ち着いたグリーンで森の中にいる様だ。リビングルームの隅にはバーカウンターと冷蔵庫があった。中を見ても良いですかと尋ねると「どうぞどうぞ」と鼻息荒く勧めるだけあって中はミネラルウォーターと赤ワイン、数本のビール、チーズが整然と美しく並べられ清潔そのものだった。

「まるでどこかのお店みたいですね」

「整理整頓が基本です」

 働く気力が皆無だった木古内和寿とは雲泥の差だった。

「次は私の部屋です」

「えっ、そんなプライベートな場所まで!良いです、結構です!」

「果林さんには私の全てを知って頂きたいのです」

「全てを知る」

「はい、すべてを、です」

 宗介の部屋も果林の部屋と同じ造りでやや広い。そしてこちらにはこれまた存在感が半端ないベッドが鎮座ましましていた。

「こ、このベッドはかなり大きいですね」

「キングサイズです」

「キングサイズ、ゴロゴロ転れそうですね」

「転がってみますか?」

「あ、いえ。この格好ですし」

 果林は全身泥だらけだ。しばし考えた宗介は自室から新品のTシャツとデニムのシャツ、ハーフパンツを持って来た。

「大きいとは思いますが着て下さい」

「・・・・・?」

「買い物に出掛けましょう」

「買い物、誰のですか?」

「果林さんのお洋服です!ランジェリーも必要ですしね!」

(やっぱりランジェリー大好き人間だ)

 そうと決まればと宗介は秘書室直通の内線電話の受話器を取った。

「あ、あの!私お金なくて買えません!」

 宗介は見たことも無いクレジットカードを胸ポケットから取り出した。

「車を回してくれ」

 果林は車の後部座席に押し込まれた。
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