溺愛のち婚約破棄は許しません 副社長は午前零時に愛を絡めとる
宗介の告白
(これで、宗介さんと仲直り出来ると良いけれど)
果林は気分を害した宗介の気持ちが少しでも和らげばと考え、好物のタルトタタン(りんごケーキ)を焼いて振る舞うことにした。14階食堂の板前の板さんとすっかり打ち解けた果林は厨房を借り林檎の皮を剥いていた。板さんは慣れた手付きの果林の一挙一動に感心した。
「はぁ〜手慣れたもんだね」
「初めはオーナーに叱られてばかりでしたよ」
「うちの娘なんざ目玉焼きひとつ満足に作れねぇんだ」
「大丈夫ですよ!」
「おっ、バターと砂糖の次は小麦粉かい?」
「タルトを作っているんです」
「タルトぉ?」
「ケーキで言えばスポンジの部分です」
果林は宗介に思いが届くように願いながら小麦粉を篩に掛けた。
ぽーーーん
「あっ、やばっ!」
エレベーターの扉が開いた。宗介に内緒で作る筈のタルトタタンだった。果林は慌ててキッチンの下に隠れたがそこに立っていたのは宗介によく似た雰囲気の白髪の男性だった。
「お帰りなさいませ」
「おや、可愛らしいお客さまだね」
「あ、あの」
「果林ちゃん、社長さんだよ」
「えっ!」
(やっぱりそうですよねーーーー!)
辻崎 宗一郎
辻崎株式会社 代表取締役社長 宗介の実父
「私が宗介の父親の宗一郎です」
「羽柴果林です」
「果林さんには宗介が世話になっているようだが失礼はないかね」
「えっ、そんな失礼だなんて!」
果林は深々とお辞儀をし宗一郎の顔を凝視した。
「あっ!あの時の社員さん!」
「覚えていてくれたんだね、あの時はお世話になったね」
「いえ!とんでもない!」
果林がchez tsujisakiに勤務していた時のことだ。とある男性社員のオーダーを取ったのだが手の甲や手首にアトピー性皮膚炎の症状を見つけ「お口にされる物でアレルギーはありますか?」と確認した。
「ナッツ類が駄目なんです」
「かしこまりました」
果林は的確にナッツ類が含まれないケーキを数種類紹介した。その接遇に感心した宗一郎はもう一度chez tsujisakiを利用したが果林は宗一郎のナッツアレルギーについて明確に記憶していた。
「社長さんだとは気が付きませんでした」
「果林さんの機転には感心したよ、宗介には勿体無いな」
「も、勿体無いとは?」
「おや、宗介はまだプロポーズをしていないのか。甲斐性のないやつだな」
(ぷ、プロポーズ!?)
果林はこれまでの宗介の行動や言動を振り返ってみた。
(あれがそうか!?)(いや、あの時!)(いやいやあれか!)
思い当たる節が多すぎて脳内は支離滅裂状態だった。
「で、果林さんは今はなにをしているのかな?」
「りんごのケーキを焼こうと思って板さんとりんごの皮を剥いていました」
「そのケーキには」
果林は満面の笑みで答えた。
「ナッツは入っていません!」
「大当たり!いやいや、俺が嫁に貰いたいくらいだ」
宗一郎は「後で食べに来るよ」と手を振った。エレベーターの扉が閉まると板さんが目を見開いて果林に詰め寄った。
「果林ちゃん、やっぱり宗介さんと出来てたのか!」
「いやいやいやいや」
「いや、そうだと思ってたんだよ」
「いやいやいやいや」
「若い、いや宗介さんは若くねぇが、男女が一緒に暮らしてたら自然とそうなるわなぁ」
「ちがっ、違います!」
「いや、違わねぇ」
果林の顔がりんごのように真っ赤に色付いた。
「やっぱりそうじゃねぇか、めでたい、めでたい!」
言葉に詰まっていると板さんが包丁を研ぎ始めた。
「さぁ、仕事仕事!」
「はい!」
果林は皮を剥いたりんごを薄くスライスし、砂糖とバターで炒めてキャラメリゼにした。
ジュウウウウ
厨房は香ばしい匂いに包まれた。
「こりゃ美味そうだな」
「タルトの生地に詰めて焼くんです」
「果林ちゃんのタルトなんたらに合わせて今夜は洋食だな」
「あっ、もしかして和食の予定でしたか?」
果林は慌ててまな板の上の食材を見遣った。
「いや、鮭の塩焼きをムニエルに変更するだけだ、問題ねぇ」
「ありがとうございます、突然ごめんなさい」
チーーン
宗介への思いが詰まったタルトタタンが焼き上がった。
「はじめまして」
上座から宗一郎、妻の佳子、佳子とは宗介の実母だ。その向かいに宗介と果林が着座した。
「宗介の母の佳子です、果林さんね。お会いできて嬉しいわ」
「羽柴果林です、副社長さんにはお世話になっています」
「あら、まぁ副社長だなんて、今更ねぇ?」
「そうだな、なぁ宗介」
「はい」
宗一郎と佳子は顔を見合わせて頷き合った。
(い、今更とはどういう意味なのだろう)
その阿吽の呼吸に果林は一歩退いた。
「あ、それではケーキを切って参ります」
「あら、今更参りますなんてねぇ?」
(い、今更?)
宗一郎はうんうんと頷きながらコンソメスープを口に運んでいる。果林はこの雰囲気はなんだろうと戸惑いながら冷蔵庫で冷やしたタルトタタンを裏返し包丁を当てた。そして包丁の刃先がスッと入った感触に安堵した。
(良かった、久しぶりに焼いたから上手く焼けるか心配だったけれど美味しそう)
6等分に切ったタルトを白い小皿に取り分けてゆく。それにしてもカトラリーや皿はどれも上質な物ばかりで指先が震えた。
(そうだった、ここは社長宅の食堂!)
厨房の果林を期待の眼差しで凝視する3人の微笑みに思わず顔が引きつった。
(・・・・・っうっ!)
「お待たせいたしました」
「あら、まぁ美味しそう!これはなんと言うの?」
「タルトタタンです」
「母さん、食べてみて本当に美味しいから」
「そうだぞ、果林さんのケーキは今まで食べた中で一番美味いぞ」
「そうなのね!いただきます」
佳子が焦げ目の付いた飴色にフォークを入れるとカリッとひびが入りその隙間から甘酸っぱいりんごの香りが広がった。底に敷き詰められたタルトはしっとりと柔らかくタルトタタンを口にした佳子の表情はパッと明るくなった。
「本当!美味しいわ!」
「嘘なんか言わないよ」
「そういう意味じゃないわ!果林さん、温かい味がするわ!」
宗介が表現する温かい味は佳子から引き継いだものなのだろう。
「これからずっと果林さんのデザートが食べられるなんて幸せだな」
(・・・・・ずっと?)
やはりここでも怪しげな言葉が転がり出て来る。
(宗介さんはなにを企んでいるんだ)
果林は隣の席で澄まし顔で紅茶とタルトタタンを味わう宗介の顔を見た。