溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
 耳元に風を感じた。

(・・・・・・ん)

 鎮痛剤を服用した果林はいつの間にかリビングのソファで眠り込んでいた。西日が差し込む光の筋、肩に触れる温もりと心地良い重さに目を見遣ると隣で宗介が寝息を立てていた。

(!?)

 見回すとそこは宗介の部屋で果林が仰向けになっているのはシダーウッドの香りがするキングサイズのベッドだった。

(これは、ベッドまで運んでくれたんだな、ん?)

 宗介の部屋はリビング続きで抱えて運ぶには丁度良い距離だと思われた。

(ングググぐ)

 起きあがろうとするが鎖骨に伸びた宗介の腕が兎に角重い。

(脱力した人間の重さ・・・・・・半端ない)

 果林が身体をよじっていると宗介の腕から力が抜け、朦朧(もうろう)としながらも目が覚めた様子だった。

「宗介さん、宗介さん起きて下さい」

「・・・・・ん」

「宗介さん」

 夢か(うつつ)か、事もあろうか宗介は果林の頭に頬擦りすると優しく抱きしめ子どもがぬいぐるみを撫でるように手を動かし始めた。身体中を這い回る指先は意志を持ち、これは明らかに寝た振りをしているのでは無いかと勘繰る程だった。

(・・・・・ちょっ)

「宗介さん、起きていますよね!」

 指先がルームウェアの裾から中へ差し込まれた。

「宗介さん!」

「ちっ、ばれたか」

(・・・・・ちっ!?今、ちって舌打ちしたよね!?)

 果林が宗介に向き直ると優しい眼差しが捉えて離さずゆっくりと唇が重なった。

「・・・・・!」

「腕、やっぱり痛いですか?」

「腕よりも!今、き、キスしましたよね!」

「キスなら一度しているじゃないですか」

「あ、あれは、なんて言うか雰囲気に流されて!」

 宗介は果林の額に口付けで呟いた。

「宇野ではなく私を選んでくれたんですね」

「そ、それは」

「ありがとうございます」

 宗介の指先がルームウェアの裾をめくった。

「ちょっ」

「ちょ?」

「こういう事は、怪我が治ってからにして下さい!」

 すると宗介は言質(げんち)を取ったと言わんばかりの表情を浮かべてベッドから起き上がった。

「分かりました。怪我が治ったらにします」

「ぐっ、ぐぬぅ」

「でも気持ち良かったでしょう」

「ぐっ、ぐぬぅ」

「我慢は禁物ですよ」

「宗介さんは我慢して下さい!」

 穏やかな物腰に見え隠れする素顔の宗介に果林の心はときめいた。

「もーーー!」

「牛ですか」

「もーーー!」

「美味しそうな牛ちゃんです」

「もーーー!」

 果林はクッションを宗介に投げ付けた。

「さぁ、夕食ですよ。今夜は食べやすい献立をお願いしました」

「なんですか?」

「冷たいお素麺です、それならお箸で摘みやすいでしょう」

「ありがとうございます」

 これまで木古内和寿から身体の具合を気遣われる事など皆無で熱があっても働かされた。宗介とは互いを思い遣れる穏やかな暮らしを営むことが出来るだろう。2人の結婚生活の輪郭が見えたような気がした。

「なんですか?」

「宗介さんといると幸せだな〜って思いました。」

「それなら婚姻届に印鑑を捺して下さい」

 眩しい笑顔が屈み込んで来た。

「そ、それは」

「お素麺を食べたら捺しましょう」

「それは」


 エレベーターの中で詰め寄られて汗が滲んだ。

「うーん」

 そして素麺を(すす)る食卓では宗介の大立ち回りが話題に上った。



「え、そうなんですか!?」

「そうなんだよ、こいつはchez tsujisaki(しぇ つじさき)のパティシエを踏みつけたらしいぞ」

「父さん、虫の横に靴を《置いただけ》です」

「あらまぁ、困った子ねぇ」



「え、そうなんですか!?」

「果林さんに慰謝料600万円払えと殴ったらしいぞ」

「父さん300万円です。あと300万円は割られた窓ガラスの賠償金です。それに殴ってはいません」

「あらまぁ、暴れん坊さんねぇ」



「え、そうなんですか!?」

「今日は果林さんを婚約者だと叫んで女性社員が泣いているらしい」

「叫んではいません」

「同じようなものだろう」

「父さん、今夜婚姻届が仕上がりそうです」

「あらまぁ、情熱的ねぇ」



 和やかな一家団欒、果林に逃げ場はなかった。

(印鑑捺すか)

 宗介は無言で素麺をすすり続けた。
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