溺愛のち婚約破棄は許しません  副社長は午前零時に愛を絡めとる
10月5日 

 Apaiser(アペゼ)は無事オープンを迎えたがオーナー(果林)の動きはどこかぎこちなく、副社長(宗介)は腰をさすっていた。



「え・・・・そうなんですか」

「そうなんだよ、来賓(らいひん)のみなさんが果林さんが疲れているようなので大丈夫なのかと心配していたよ」

「申し訳ありません。緊張していたのでそう見えたのかもしれません」

「そうなら良いんだが無理は禁物だよ」

「あらあらあら、あまり張り切らないでね」

 そう笑いながらナフキンで口元を拭う佳子の目は三日月のように細くなにかを察知したようで果林は内心冷や汗をかいた。


「え・・・・そうなんですか」

「そうなんだよ、来賓(らいひん)のみなさんが宗介の様子がおかしいと心配していたよ」

「様子がおかしい、ですか?」

「ああ、腰を痛めたんじゃないかと気に掛けていたよ。大丈夫なのか宗介」

「問題ありません」

ぐふっ

 宗介は我関せずと澄まし顔でビーフステーキにナイフを入れたが果林は明らかに動揺した。案の定、佳子の目は猫の目のようになって果林と宗介を交互に見た。

「あらあらあら、あまりお(いた)はしないでね」

 やはり佳子は昨夜2人が結ばれたことに気がついている。

(あわあわあわ)

 果林は顔が火照り脇に汗をかいた。

(そ、宗介さんは動じないんだな)

 微妙な家族団欒(かぞくだんらん)は果林にとって気恥ずかしく居心地の悪いものだった。

(はぁ〜緊張した!)

「果林さん、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、お義母さんは私たちのことに気付いていますよ」

「私たちの事?ああ、セッ・・・・」

「それ以上は言わなくて結構です!」

「そうですか」

 鼻歌まじりの宗介はチェストの引き出しから1枚の紙を取り出した。果林がApaiser(アペゼ)オープンの日まで保留にしていた書類だ。

「はい、お約束ですよ」

 宗介は片手に消しゴム、朱肉と印鑑を持ち、リビングテーブルには婚姻届が広げられた。

「さぁ、果林さん!シャープなペンソーは消して下さい!」

「あぁ、シャープペンシルですね」

「はい!」

 果林は消しゴムを受け取ると、婚姻届が破れない様にゆっくりと丁寧にこれまでの人生を消した。

「私、宗介さんの奥さんになるんですね」

「はい!」

「宗介さんが私の旦那さんになるんですね」

「そうなりますね!」

「幸せです」

「私はその倍幸せです」

「私はその倍の倍の倍幸せです!」

 宗介は果林の口をついばむと両手を広げて「これくらい幸せです!」と顔をほころばせた。すると果林はリビングの端から端まで指先で線を引くと「私はこれくらい幸せですよ!」と答えた。

「私はこれくらい幸せですよ!」

 とうとう宗介は2年の片思いが成就した喜びでリビングの中をぐるぐる回り始めた。

「宗介さん、喜びすぎですよ」

「まだまだ足りません!」

 果林は婚姻届に印鑑を力強く捺した。これで2人はこの婚姻届を市役所に提出すれば晴れて夫婦になる。夫婦になる筈だった。
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