自信家CEOは花嫁を略奪する
その頃、璃桜は高級ホテルの衣装室にいた。半年後、ここで結婚式を挙げるので衣装合わせに訪れたのだ。
式に必要な諸々の決め事はすべて璃桜に一任されていた。主人公である花嫁の好きにしていいから、というのは聞こえがいいが、ようは淳也には興味がなく時間を割かれたくないだけのことだ。
それはこっちの台詞で、それこそ嫁ぎ先が全部決めてくれたらいいのに、と思っている璃桜であるが、なにか言えるはずもなく、粛々とせねばならないことに専念していた。
「こちらのほうも素敵です! すごく似合ってます!」
史乃から直々に同行を命じられた使用人の田中が一着着るごとに騒ぎ立てる。史乃は絶対に璃桜を一人で行動させなかった。IFSSに勤めていた時はそうでもなかったものの、辞めてから顕著になった。家の外に出る時は必ず誰かが付きそう。それは璃桜的には鬱陶しいけれど、史乃には逆らえないから仕方がない。
一部の使用人たちも監視だと囁いているが、彼らとて華原家の夫人になにか言えるはずもない。誰もが史乃の指示に黙って従うだけだ。
「やっぱりドレスって素敵ですねぇ~」
「そうね」
呆れモードで返事をするものの、すっかりドレスにときめいている田中には璃桜の気持ちなどとても慮れない。それに彼女はまだ十九歳だ。結婚式やウエディングドレスに憧れを抱いているのだろう。
そしてなにより、璃桜と淳也が愛し合って結婚するのだと思っているのだ。若い彼女に大人の、いや、ビジネス諸々のいやらしい側面をわざわざ教える者がいないだけだ。
「ありがとう」
「どれがお好みですか? 私は二着前のフリルふんだんのがいいかなって思います」
「派手じゃない?」
「花嫁さんですよ? 派手なほうがいいですよ」
「そうかしら。私はどっちかと言ったら、落ち着いた感じがいいけど……」
すると脇から店員が口を挟んできた。
「華原さまならマーメイドタイプはいかがですか? ベールを総レースにすれば、落ち着いていながらもゴージャス感が出ますが」
言いながら、並んでいるウエディングドレスの中から二着選んで差し出してきた。
「今までベルラインをメインに選んでいましたが、こちらも試してみてはと思います」
一着は立ち上がった大きな襟が付いているノースリーブタイプ、もう一着は胸元が開き、刺繍レースの袖がついたタイプだ。どちらもそれぞれに露出度が高い。
「これはちょっと恥ずかしいです。露出部分はなるべくないほうが希望なんですが」
「そうですか? 華原さま、プロポーションがよろしいので、絶対お似合いだと思いますけど」
思わぬお褒めの言葉に璃桜の頬は赤くして口ごもると、
「お嬢さま、着てみるだけでもしましょうよ!」
と、またもや田中が勢いよく勧めてきた。
二人に押し切られる形でとりあえず試着することになった。
それから約一時間。
二着以上に試着し、なんとか決まった。結局、もともとからアプローチしていた首肩腕はレースの豪華なベルラインのウエディングドレスになった。田中が「やっぱり華やかなほうがいいです!」との主張に璃桜が折れた形だ。
というのも璃桜も淳也同様にどうでもいいと思っているわけで、他人が似合うからこれがいいとプッシュしてくれるなら、それがよかろうというところに落ち着くだけのことだ。
さらにそこからお色直しのカクテルドレスを選ばないといけなくて、璃桜はめまいに覚えたものの、好みの着物を見つけてすぐに決まった。田中は着物なんて意外だと言っていたが、璃桜はけっこう着物が好きだった。それに華道、茶道、香道を嗜む璃桜には着物は身近なものであったからだ。
ホテルのカフェでお茶をして、家に戻ったのは六時を過ぎた頃合い。車を降り、家に入ろうとして駐車場とは異なる場所に向けてバイクウェア姿の男の姿を捉えた。
(あれ、樹生さん、よね? どこに行くんだろう)
裏庭にでも行こうとしているのだろうか。しかも四角い箱を持っているのも気になる。虫の知らせのような感覚に駆られて追いかけた。
「樹生さん、こんなところでなにをしてるの?」
「え?」
追いついた場所では樹生がバイクジャケットを脱いで座り込んでいる。箱の蓋が開いていて、それが救急箱であることがわかった。
「ちょ! どうしたの!?」
「なんで見つけるかな。ったく。転んだんだよ。バイク乗るの反対されてるから部屋でシップ貼ってるの見られたらイヤだからさ」
璃桜が聞いてもいないことを先んじて答えるのは、誰にも言うなと婉曲にくぎを刺しているつもりなのだろう。
「ぶつけたのは腕だけ?」
「あと、右側の太もも、かな。右から落ちたから」
「頭は打ってない?」
「それはない。腕と足でカバーした。それにメットもしてるし」
「ホントに?」
「あのねぇ。そんなに鈍くさいないよ」
璃桜は安堵の吐息を落とし、樹生の手からシップを取り上げて貼ってやった。続けて軽く包帯を巻く。それが終わればパンツ脱ぐように促すと、樹生はびっくりしたように目を丸くした。
「なに? シップ貼るから」
「いや、いいよ。足は自分でできるから」
「腕が痛いんでしょ? 早く脱いで」
二人は睨み合うように互いを見ていたが、先に樹生が音を上げた。
「気持ちはうれしいけど、僕も十八なんだよ。さすがに恥ずかしいだろ」
「え?」
「え、じゃない。いくら姉弟だって、女の人の前でパンツ一丁になるのは恥ずかしいって言ってるんだよ」
「…………」
ハッキリ言われ、璃桜の顔が見る見る真っ赤に染まった。
「どこまで天然なんだよ」
「でも、えーっと、腕が痛いなら私が手当てしたほうがいいじゃない」
「いいことないよ。それよりさ、このこと、絶対に父さんたちには言わないでよ」
「……まぁ」
「まぁじゃないって! ただでさえ、あれはダメだこれはダメだって言われてるんだよ。やっと説得してバイク乗れるようになったのに、ちょっと転んだだけで禁止されたくないから」
必死の樹生の顔を流し見ながら太ももにシップを貼り、それが剥がれないように包帯を巻く。手を動かしながら璃桜は両親に向け、彼がバイクに乗りたいと訴えていたことを思い起こした。安全第一に粘り取った承諾をここで無にしたくない気持ちはわかる。とはいえ、両親だって彼のことを心配して反対していたのだ。
手当てを終えると樹生が慌てたようにパンツを穿き、ジャケットを着こんだ。
「どうして事故を?」
「事故じゃないよ。ネコかなんかが飛び出してきたから咄嗟に避けたらスリップしたんだ。なぁ、頼むよ」
華原家の者で、ようやく生まれた男児。だから今までずっと樹生は璃桜とは違った窮屈な生活を強いられている。バイクは彼の息抜きなのだ。そう思い、璃桜はうっすら微笑んだ。
「……わかったわ。このことは黙っておく」
そう答えると樹生は一瞬大きく目を見開いたあと、大きくゆっくり息を吐き、安堵したように肩を上下させた。
「助かった」
「でも、もし調子が悪くなったらすぐに病院に行くのよ? 保険証から怪我したのがバレる、なんて思わないようにね」
すると樹生がニマっと笑った。
「わかってるよ、大丈夫。じゃ、これ、ありがとう」
救急箱を指さし、そのまま放置して歩き始めた。妙な勘繰りをされないため、璃桜に元の位置に戻しておいてもらうつもりなのだろう。スタスタ歩いていく樹生の背を見送り、璃桜はふっと肩の力を抜いた。
腹違いの弟。嫌われていると思っているし、それは仕方がないと理解している。今朝、そう言っているのを聞いたのだから。それでもこんな風に話ができたことはうれしい。嫌なこと続きの毎日だが、少し気持ちが浮上した気がする。
良くも悪くもあと半年でこの家を出るのだ。そうなると、樹生と顔を合わせる機会はほとんどないだろう。
璃桜は大きく深呼吸をすると、救急箱を手にして立ち上がった。
 
式に必要な諸々の決め事はすべて璃桜に一任されていた。主人公である花嫁の好きにしていいから、というのは聞こえがいいが、ようは淳也には興味がなく時間を割かれたくないだけのことだ。
それはこっちの台詞で、それこそ嫁ぎ先が全部決めてくれたらいいのに、と思っている璃桜であるが、なにか言えるはずもなく、粛々とせねばならないことに専念していた。
「こちらのほうも素敵です! すごく似合ってます!」
史乃から直々に同行を命じられた使用人の田中が一着着るごとに騒ぎ立てる。史乃は絶対に璃桜を一人で行動させなかった。IFSSに勤めていた時はそうでもなかったものの、辞めてから顕著になった。家の外に出る時は必ず誰かが付きそう。それは璃桜的には鬱陶しいけれど、史乃には逆らえないから仕方がない。
一部の使用人たちも監視だと囁いているが、彼らとて華原家の夫人になにか言えるはずもない。誰もが史乃の指示に黙って従うだけだ。
「やっぱりドレスって素敵ですねぇ~」
「そうね」
呆れモードで返事をするものの、すっかりドレスにときめいている田中には璃桜の気持ちなどとても慮れない。それに彼女はまだ十九歳だ。結婚式やウエディングドレスに憧れを抱いているのだろう。
そしてなにより、璃桜と淳也が愛し合って結婚するのだと思っているのだ。若い彼女に大人の、いや、ビジネス諸々のいやらしい側面をわざわざ教える者がいないだけだ。
「ありがとう」
「どれがお好みですか? 私は二着前のフリルふんだんのがいいかなって思います」
「派手じゃない?」
「花嫁さんですよ? 派手なほうがいいですよ」
「そうかしら。私はどっちかと言ったら、落ち着いた感じがいいけど……」
すると脇から店員が口を挟んできた。
「華原さまならマーメイドタイプはいかがですか? ベールを総レースにすれば、落ち着いていながらもゴージャス感が出ますが」
言いながら、並んでいるウエディングドレスの中から二着選んで差し出してきた。
「今までベルラインをメインに選んでいましたが、こちらも試してみてはと思います」
一着は立ち上がった大きな襟が付いているノースリーブタイプ、もう一着は胸元が開き、刺繍レースの袖がついたタイプだ。どちらもそれぞれに露出度が高い。
「これはちょっと恥ずかしいです。露出部分はなるべくないほうが希望なんですが」
「そうですか? 華原さま、プロポーションがよろしいので、絶対お似合いだと思いますけど」
思わぬお褒めの言葉に璃桜の頬は赤くして口ごもると、
「お嬢さま、着てみるだけでもしましょうよ!」
と、またもや田中が勢いよく勧めてきた。
二人に押し切られる形でとりあえず試着することになった。
それから約一時間。
二着以上に試着し、なんとか決まった。結局、もともとからアプローチしていた首肩腕はレースの豪華なベルラインのウエディングドレスになった。田中が「やっぱり華やかなほうがいいです!」との主張に璃桜が折れた形だ。
というのも璃桜も淳也同様にどうでもいいと思っているわけで、他人が似合うからこれがいいとプッシュしてくれるなら、それがよかろうというところに落ち着くだけのことだ。
さらにそこからお色直しのカクテルドレスを選ばないといけなくて、璃桜はめまいに覚えたものの、好みの着物を見つけてすぐに決まった。田中は着物なんて意外だと言っていたが、璃桜はけっこう着物が好きだった。それに華道、茶道、香道を嗜む璃桜には着物は身近なものであったからだ。
ホテルのカフェでお茶をして、家に戻ったのは六時を過ぎた頃合い。車を降り、家に入ろうとして駐車場とは異なる場所に向けてバイクウェア姿の男の姿を捉えた。
(あれ、樹生さん、よね? どこに行くんだろう)
裏庭にでも行こうとしているのだろうか。しかも四角い箱を持っているのも気になる。虫の知らせのような感覚に駆られて追いかけた。
「樹生さん、こんなところでなにをしてるの?」
「え?」
追いついた場所では樹生がバイクジャケットを脱いで座り込んでいる。箱の蓋が開いていて、それが救急箱であることがわかった。
「ちょ! どうしたの!?」
「なんで見つけるかな。ったく。転んだんだよ。バイク乗るの反対されてるから部屋でシップ貼ってるの見られたらイヤだからさ」
璃桜が聞いてもいないことを先んじて答えるのは、誰にも言うなと婉曲にくぎを刺しているつもりなのだろう。
「ぶつけたのは腕だけ?」
「あと、右側の太もも、かな。右から落ちたから」
「頭は打ってない?」
「それはない。腕と足でカバーした。それにメットもしてるし」
「ホントに?」
「あのねぇ。そんなに鈍くさいないよ」
璃桜は安堵の吐息を落とし、樹生の手からシップを取り上げて貼ってやった。続けて軽く包帯を巻く。それが終わればパンツ脱ぐように促すと、樹生はびっくりしたように目を丸くした。
「なに? シップ貼るから」
「いや、いいよ。足は自分でできるから」
「腕が痛いんでしょ? 早く脱いで」
二人は睨み合うように互いを見ていたが、先に樹生が音を上げた。
「気持ちはうれしいけど、僕も十八なんだよ。さすがに恥ずかしいだろ」
「え?」
「え、じゃない。いくら姉弟だって、女の人の前でパンツ一丁になるのは恥ずかしいって言ってるんだよ」
「…………」
ハッキリ言われ、璃桜の顔が見る見る真っ赤に染まった。
「どこまで天然なんだよ」
「でも、えーっと、腕が痛いなら私が手当てしたほうがいいじゃない」
「いいことないよ。それよりさ、このこと、絶対に父さんたちには言わないでよ」
「……まぁ」
「まぁじゃないって! ただでさえ、あれはダメだこれはダメだって言われてるんだよ。やっと説得してバイク乗れるようになったのに、ちょっと転んだだけで禁止されたくないから」
必死の樹生の顔を流し見ながら太ももにシップを貼り、それが剥がれないように包帯を巻く。手を動かしながら璃桜は両親に向け、彼がバイクに乗りたいと訴えていたことを思い起こした。安全第一に粘り取った承諾をここで無にしたくない気持ちはわかる。とはいえ、両親だって彼のことを心配して反対していたのだ。
手当てを終えると樹生が慌てたようにパンツを穿き、ジャケットを着こんだ。
「どうして事故を?」
「事故じゃないよ。ネコかなんかが飛び出してきたから咄嗟に避けたらスリップしたんだ。なぁ、頼むよ」
華原家の者で、ようやく生まれた男児。だから今までずっと樹生は璃桜とは違った窮屈な生活を強いられている。バイクは彼の息抜きなのだ。そう思い、璃桜はうっすら微笑んだ。
「……わかったわ。このことは黙っておく」
そう答えると樹生は一瞬大きく目を見開いたあと、大きくゆっくり息を吐き、安堵したように肩を上下させた。
「助かった」
「でも、もし調子が悪くなったらすぐに病院に行くのよ? 保険証から怪我したのがバレる、なんて思わないようにね」
すると樹生がニマっと笑った。
「わかってるよ、大丈夫。じゃ、これ、ありがとう」
救急箱を指さし、そのまま放置して歩き始めた。妙な勘繰りをされないため、璃桜に元の位置に戻しておいてもらうつもりなのだろう。スタスタ歩いていく樹生の背を見送り、璃桜はふっと肩の力を抜いた。
腹違いの弟。嫌われていると思っているし、それは仕方がないと理解している。今朝、そう言っているのを聞いたのだから。それでもこんな風に話ができたことはうれしい。嫌なこと続きの毎日だが、少し気持ちが浮上した気がする。
良くも悪くもあと半年でこの家を出るのだ。そうなると、樹生と顔を合わせる機会はほとんどないだろう。
璃桜は大きく深呼吸をすると、救急箱を手にして立ち上がった。