自信家CEOは花嫁を略奪する
自販機にプリペイドカードをかざし、ミネラルウォーターのペットボトルを二本買う。ガチャンガチャンと大きな音が二回響いた。そんな様子を目で追いながらも和眞はじっとしていて動かなかった。
「……はあ」
比較的大きめの声がもれる。まさか璃桜の弟が乗り込んでくるとは思いもしなかった。いや、それ以前にあの駐車場での接触未遂事故の相手が璃桜の弟であることのほうが絶句レベルの驚きだ。こんな偶然があるだろうか。
(いや、ないだろう。刑事が石を投げたら犯人に当たったくらい奇蹟レベルの話だっての)
二本を左右それぞれ一本ずつ持ち、応接室へ戻る。樹生は背筋を伸ばして姿勢よく座っていた。
いかにも育ちのいいお坊ちゃんという感じだ。さすがは華原グループ創業家の跡取り、とまで思って苦笑する。人を揶揄できる身分ではない。自分だってそうだ。松坂グループの創業家の跡取りとして何不自由なく暮らしてきたのだから。
「それで、話って?」
「先週の木曜、姉は総務課の人たちと食事に行ったと聞きました」
うん、と相槌を打ちながらペットボトルのキャップを外して銜える。
「でも僕は、姉と松坂さんが銀座の高そうなフレンチに入っていくのを見ました。あなたはタクシーで店の前にやってきた」
ブッと思わず水を噴き出しそうになったのを辛くもこらえる。それから両眼を見開き、樹生の顔を凝視した。
「君……」
「ビックリしました。出かける際は必ず同行者をつけるように言われている姉が、一人で店の前に立っていたこともそうだし、男性と待ち合わせをして二人で食事するなんてことも考えられないことですから」
「…………」
「確認したいんですが、あなたは姉に婚約者がいて、結婚を控えていることをご存じでしょうか。もし知らなかったら、そういうことなんですが」
なにがそういうこと、だ――そう言いそうになって踏みとどまる。そしてもう一度、じっと樹生の顔を見つめた。
(こいつは本妻の子だ。愛人の娘である璃桜を嫌っている可能性があるし、そっちのほうが自然だ。ってことは、俺を非難しにきたというより、騙されていると忠告しにきたのかも? いや、そんなこともないか)
意図が読めない。まだ様子見だろう。
「知っているよ。有名人の息子だろ」
少し揶揄した言い方をすれば、樹生は視線を下げ、ペットボトルに手を伸ばした。
「そうです。議員の息子なんでバレたらヤバいです。ウチだけじゃなく松坂さんもですよ」
「頑張ってくれた社員を労っただけだけど」
「会社の社長って、社員が退職するたびに高級レストランに招待するもんなんですか?」
「…………」
「僕もこのままいけば、将来そういうポジションに就くんで、こういった話は勉強になります。でも、バカじゃないから、そんなことはないってことくらいわかっています。特別な関係だから設けた場でしょう? 本当のことを話してほしいです」
鋭く向けられた言葉を和眞は驚きなしに受け止めた。そして、あぁそうか、と思った。
樹生が着ている制服を、今まで見ていたのに認識していなかった。彼は子どもで、まっすぐ純粋なのだろう。だからまだ駆け引きなんてものはできないのだ。
「本当のことって?」
「姉との関係です」
「うちの社員だった。総務課に勤務していたから日ごろから接点があって相応に親しかった。だから労った」
「あなたは二度も姉と朝まで過ごしていますよね」
「二度?」
「パーティがあった夜と、先週の木曜です」
「パーティの件は確かに。スイートルームを押さえたから、部屋は別だったけどね。先週のことは、彼女がそう言ったのかい? 二人で泊まったって」
樹生は眉間にしわを刻み、唇を噛んだ。それを冷静に眺める。
「いいえ。だけど、母は姉に監視をつけています。それなのにあの夜は一人で出歩かせ、宿泊を許しました。あなたが一緒だと判断したからだと考えています」
「監視って、なかなか物騒だね」
「理由はわかりませんけど、絶対に一人にさせません。家で、部屋いる時でも、定期的に様子を確認するよう住み込みの使用人たちに指示していますから」
華原史乃の璃桜への執着はよほどのことだと察せられる。愛人の娘はそれほど目障りなのか――と思う反面、当の本人である璃桜は史乃に対し、奥様やお母さまと呼び、感謝していると述べる。二人の関係があまりにも不可解で、和眞は樹生の言葉をすんなり受け入れられなかった。
「君は俺になにを言いたくてここまで来たんだ?」
「責任を取ってほしいんです」
「責任、ね」
「姉はあなたのことが好きなんですよ」
「…………」
「本当です」
少し声がブレた。そう感じた。和眞は樹生の様子はじっと観察し、彼が今の言葉を述べた後にわずかに肩を揺らせて吐息をついたことを見逃さなかった。
手を伸ばしてまたペットボトルを取り、ゴクゴクと飲んでいる。緊張したのだろう。
「何回か、用事があって姉の部屋に入ったことがありますが、経済紙とかけっこうありました。経済に興味があるのかって思っていたら、その雑誌に憧れている起業家が載っているからと言っていました。就職先も、その人の会社だからという理由だと聞きました。興味なかったから聞き流していましたけど、今にして思い返せば、全部つながっている。姉はあなたが好きなんです」
探るようなまなざしを向けてくるものの、和眞は答えない。樹生は話を続けた。
「きっと、今も喜んでいると思います。でも間もなく意に沿わない相手と結婚します。家と会社のためにです。松坂さんのことは思い出にしたいのかもしれません。それに対し、あなたはどう対応するつもりなんですか?」
「君はどうしてほしいの?」
「僕の希望は関係ないでしょ?」
「あるだろ。あるからわざわざ乗り込んできたんだろ? あぁ、聞き方が悪かったね。姉とくっつけって思ってるの? それとも結婚が控えているから近づくなって思ってるの?」
樹生の目線がきょろきょろと落ち着かないように泳いだ。苦しい質問だったようだ。だが結局、この二者択一しかない話だ。
樹生が冷静に答えられるよう、今度は和眞がペットボトルに手を伸ばして間合いを与える。しばし沈黙した樹生だったが、意を決したのか、口を開いた。
「……僕は、破談を願っています」
「どうして?」
「犠牲になる必要はないからです」
「姉さんが決めたことだろ?」
「身内として反対しているんです」
「君、腹違いの弟だろ。しかもその腹違いを産んだ本人が家に住んでいる。傍から見たら、とても彼女ら親子を好意的に受け止められる状態じゃない。それでも反対なの?」
すると樹生は何度かかぶりを振ってから、まっすぐ視線を向けてきた。
「ずっと嫌いだった。二人だけじゃない。両親だって嫌いだった。正気の沙汰じゃないと思っていた。でも、中学を卒業した日の夜、母に呼ばれて、事情を聞きました。それから冷静に家の状況を観察するようになって、少しは理解できたかなと思います。少なくても、姉が両親、特に母に感謝しているばかりか頼っていて、その恩に報いようと考えていることはわかりました。今回の縁談は姉にとっては一石二鳥なんだと思います。でも、その考え方は間違っている」
「一石二鳥?」
和眞の問いに、うん、と頷く。
「中森さんは家の中ではお荷物の邪魔者です。でも目を離すとアルコールに手を出して危険です。母はそんな中森さんの面倒を見ています。父を誘惑した女なのに。憎いはずなのに。姉は結婚を理由に中森さんを家から追い出し、母から遠ざけようと考えているのだと思います」
「母親が出たいと言ってるんじゃないか?」
「それもあると思いますが、本当に嫌なら、とっくに出ていってますよ。だって生涯必要な金は手に入れているんですから」
璃桜を華原家の戸籍に入れるため、その交換条件に生活の保障をしたのだろう。その段階で出ていけばいいものを住み続けているのだから、中森陽子からしたら史乃のことは眼中にないのかもしれない。
「松坂さんのこともネット程度ですが、調べさせてもらいました。特定の交際相手は作らないそうですが、あなたにとって姉は都合がいい女なんですか?」
「……なんか、誤解されてる気がするよ」
「誤解? まさか。でも、僕にとって松坂さんの評価はどうでもいいんです。都合がいいからつきあっているんなら僕は二人の関係を暴露します。そうじゃなく本気なのなら、破談にするのを手伝ってほしいんです。それが今日、ここに来た理由です」
「……はあ」
比較的大きめの声がもれる。まさか璃桜の弟が乗り込んでくるとは思いもしなかった。いや、それ以前にあの駐車場での接触未遂事故の相手が璃桜の弟であることのほうが絶句レベルの驚きだ。こんな偶然があるだろうか。
(いや、ないだろう。刑事が石を投げたら犯人に当たったくらい奇蹟レベルの話だっての)
二本を左右それぞれ一本ずつ持ち、応接室へ戻る。樹生は背筋を伸ばして姿勢よく座っていた。
いかにも育ちのいいお坊ちゃんという感じだ。さすがは華原グループ創業家の跡取り、とまで思って苦笑する。人を揶揄できる身分ではない。自分だってそうだ。松坂グループの創業家の跡取りとして何不自由なく暮らしてきたのだから。
「それで、話って?」
「先週の木曜、姉は総務課の人たちと食事に行ったと聞きました」
うん、と相槌を打ちながらペットボトルのキャップを外して銜える。
「でも僕は、姉と松坂さんが銀座の高そうなフレンチに入っていくのを見ました。あなたはタクシーで店の前にやってきた」
ブッと思わず水を噴き出しそうになったのを辛くもこらえる。それから両眼を見開き、樹生の顔を凝視した。
「君……」
「ビックリしました。出かける際は必ず同行者をつけるように言われている姉が、一人で店の前に立っていたこともそうだし、男性と待ち合わせをして二人で食事するなんてことも考えられないことですから」
「…………」
「確認したいんですが、あなたは姉に婚約者がいて、結婚を控えていることをご存じでしょうか。もし知らなかったら、そういうことなんですが」
なにがそういうこと、だ――そう言いそうになって踏みとどまる。そしてもう一度、じっと樹生の顔を見つめた。
(こいつは本妻の子だ。愛人の娘である璃桜を嫌っている可能性があるし、そっちのほうが自然だ。ってことは、俺を非難しにきたというより、騙されていると忠告しにきたのかも? いや、そんなこともないか)
意図が読めない。まだ様子見だろう。
「知っているよ。有名人の息子だろ」
少し揶揄した言い方をすれば、樹生は視線を下げ、ペットボトルに手を伸ばした。
「そうです。議員の息子なんでバレたらヤバいです。ウチだけじゃなく松坂さんもですよ」
「頑張ってくれた社員を労っただけだけど」
「会社の社長って、社員が退職するたびに高級レストランに招待するもんなんですか?」
「…………」
「僕もこのままいけば、将来そういうポジションに就くんで、こういった話は勉強になります。でも、バカじゃないから、そんなことはないってことくらいわかっています。特別な関係だから設けた場でしょう? 本当のことを話してほしいです」
鋭く向けられた言葉を和眞は驚きなしに受け止めた。そして、あぁそうか、と思った。
樹生が着ている制服を、今まで見ていたのに認識していなかった。彼は子どもで、まっすぐ純粋なのだろう。だからまだ駆け引きなんてものはできないのだ。
「本当のことって?」
「姉との関係です」
「うちの社員だった。総務課に勤務していたから日ごろから接点があって相応に親しかった。だから労った」
「あなたは二度も姉と朝まで過ごしていますよね」
「二度?」
「パーティがあった夜と、先週の木曜です」
「パーティの件は確かに。スイートルームを押さえたから、部屋は別だったけどね。先週のことは、彼女がそう言ったのかい? 二人で泊まったって」
樹生は眉間にしわを刻み、唇を噛んだ。それを冷静に眺める。
「いいえ。だけど、母は姉に監視をつけています。それなのにあの夜は一人で出歩かせ、宿泊を許しました。あなたが一緒だと判断したからだと考えています」
「監視って、なかなか物騒だね」
「理由はわかりませんけど、絶対に一人にさせません。家で、部屋いる時でも、定期的に様子を確認するよう住み込みの使用人たちに指示していますから」
華原史乃の璃桜への執着はよほどのことだと察せられる。愛人の娘はそれほど目障りなのか――と思う反面、当の本人である璃桜は史乃に対し、奥様やお母さまと呼び、感謝していると述べる。二人の関係があまりにも不可解で、和眞は樹生の言葉をすんなり受け入れられなかった。
「君は俺になにを言いたくてここまで来たんだ?」
「責任を取ってほしいんです」
「責任、ね」
「姉はあなたのことが好きなんですよ」
「…………」
「本当です」
少し声がブレた。そう感じた。和眞は樹生の様子はじっと観察し、彼が今の言葉を述べた後にわずかに肩を揺らせて吐息をついたことを見逃さなかった。
手を伸ばしてまたペットボトルを取り、ゴクゴクと飲んでいる。緊張したのだろう。
「何回か、用事があって姉の部屋に入ったことがありますが、経済紙とかけっこうありました。経済に興味があるのかって思っていたら、その雑誌に憧れている起業家が載っているからと言っていました。就職先も、その人の会社だからという理由だと聞きました。興味なかったから聞き流していましたけど、今にして思い返せば、全部つながっている。姉はあなたが好きなんです」
探るようなまなざしを向けてくるものの、和眞は答えない。樹生は話を続けた。
「きっと、今も喜んでいると思います。でも間もなく意に沿わない相手と結婚します。家と会社のためにです。松坂さんのことは思い出にしたいのかもしれません。それに対し、あなたはどう対応するつもりなんですか?」
「君はどうしてほしいの?」
「僕の希望は関係ないでしょ?」
「あるだろ。あるからわざわざ乗り込んできたんだろ? あぁ、聞き方が悪かったね。姉とくっつけって思ってるの? それとも結婚が控えているから近づくなって思ってるの?」
樹生の目線がきょろきょろと落ち着かないように泳いだ。苦しい質問だったようだ。だが結局、この二者択一しかない話だ。
樹生が冷静に答えられるよう、今度は和眞がペットボトルに手を伸ばして間合いを与える。しばし沈黙した樹生だったが、意を決したのか、口を開いた。
「……僕は、破談を願っています」
「どうして?」
「犠牲になる必要はないからです」
「姉さんが決めたことだろ?」
「身内として反対しているんです」
「君、腹違いの弟だろ。しかもその腹違いを産んだ本人が家に住んでいる。傍から見たら、とても彼女ら親子を好意的に受け止められる状態じゃない。それでも反対なの?」
すると樹生は何度かかぶりを振ってから、まっすぐ視線を向けてきた。
「ずっと嫌いだった。二人だけじゃない。両親だって嫌いだった。正気の沙汰じゃないと思っていた。でも、中学を卒業した日の夜、母に呼ばれて、事情を聞きました。それから冷静に家の状況を観察するようになって、少しは理解できたかなと思います。少なくても、姉が両親、特に母に感謝しているばかりか頼っていて、その恩に報いようと考えていることはわかりました。今回の縁談は姉にとっては一石二鳥なんだと思います。でも、その考え方は間違っている」
「一石二鳥?」
和眞の問いに、うん、と頷く。
「中森さんは家の中ではお荷物の邪魔者です。でも目を離すとアルコールに手を出して危険です。母はそんな中森さんの面倒を見ています。父を誘惑した女なのに。憎いはずなのに。姉は結婚を理由に中森さんを家から追い出し、母から遠ざけようと考えているのだと思います」
「母親が出たいと言ってるんじゃないか?」
「それもあると思いますが、本当に嫌なら、とっくに出ていってますよ。だって生涯必要な金は手に入れているんですから」
璃桜を華原家の戸籍に入れるため、その交換条件に生活の保障をしたのだろう。その段階で出ていけばいいものを住み続けているのだから、中森陽子からしたら史乃のことは眼中にないのかもしれない。
「松坂さんのこともネット程度ですが、調べさせてもらいました。特定の交際相手は作らないそうですが、あなたにとって姉は都合がいい女なんですか?」
「……なんか、誤解されてる気がするよ」
「誤解? まさか。でも、僕にとって松坂さんの評価はどうでもいいんです。都合がいいからつきあっているんなら僕は二人の関係を暴露します。そうじゃなく本気なのなら、破談にするのを手伝ってほしいんです。それが今日、ここに来た理由です」