自信家CEOは花嫁を略奪する
ピンポーン、とドアフォンが鳴った。
時計を見れば十時半だ。こんな時間に誰だ、と思いつつ出ると、坂戸淳也だと名乗った。
「え? あ、どうも。ウチの階、わかる?」
動揺しながらそう言えば、淳也はほんの少し沈黙してから答えてきた。
『いえ、申し訳ないですが、ここで待っています』
ロビーで話がしたいということか。和眞は京を振り返った。
「あーー、俺はやめとくわ。二対一じゃ、向こうはえらくプレッシャーだろう」
「けど、もしアメリカに行くことになるなら、お前がこまごま説明してやるほうがいいんじゃないか?」
「それは決まってからでいいだろう。まずはサシで話してこいよ」
「了解」
スマートフォン片手に一人マンションのロビーに向かう。エレベーターが下降する中、よく淳也がこのマンションを知っていたなと思ったが、さっきまで京と華原家のことでやり取りをしていたことを思い出し、なるほど、と納得した。坂戸淳也は政治家の息子で私設秘書だ。和眞の住まいを調べるなどお手の物だろう。
それよりも、と思う。
京との会話で二人とも淳也が破談を決めたと言うと決め込んでいることに笑いがこみ上げてきた。
(決まってねぇっての。けど、京がその前提だってのは心強い)
アメリカには行かない、璃桜と結婚する――そう言いにきたのかもしれないのだ。
二人の縁談は単に年頃で家同士釣り合いが取れるとか、知人を介して紹介を受けたから段取られたものではないのだ。政治家と企業家による利益を見込んだ、昔風に言えば政略結婚なのだ。
そして金銭的に大きな後ろ盾を得た坂戸淳也は、未来において国会議員として権力を得続けることが約束されたも同然で、一時の感情で決定を覆すなど周囲が許さない状況にある。
エレベーターが止まり、シュッという音とともに開く。そこから住人以外でも出入りできる広いロビーに進んだ。この時間なので照明はかなり落とされているものの、暗くて困るまでではない。
和眞はロビーに置かれているソファに淳也を見つけた。背を向けて座っているが、落ち着かないのか頭がせわしなく動いている。和眞が近づけば、気配に気づいたようで顔を向け、立ち上がろうとした。それを手で止める。
「俺も座るからいいよ。あ、なにか飲む?」
「いえ、すぐ帰りますから」
「そ。じゃあ、始めようか」
和眞の言葉に淳也は頷き、大きく息を吸い込んだ。
「結論から申し上げます。華原璃桜さんとのことは破談にして、交際相手と二人でのアメリカ行きを望んでいます。お力をお貸し願いたい」
満額回答だ。和眞はほっと肩を揺らして安堵した。
「ありがたい。断ると言われたらどうしようかと心配だった」
「……そんなこと、思っていないくせに」
口を尖らせて言うと、淳也はふとわずかに笑った。
「いえ、断るつもりでしたよ、本当に本気で。そんな簡単な話じゃありませんからね。政治家は選挙で負けたらただの人どころかサル以下だ。さらに、強い政治家は黒星なんてつかない。田舎は世襲ガッチリで安泰ですけど、都会はなかなかそうはいかない。世襲だって厳しいです」
「だな。オートマチックライティング、なんて言うんだから」
地方の選挙区で、代々その区を治めている政治家の場合、住人は自分の意識とは関係なく、自動的にその政治家の名を書くという都市伝説だ。本当かどうかはわからないが、それだけ地盤が固いということだろう。
「親はもちろんですが、後援会の面々を説得するのは無理です。大きな後ろ盾ができて安泰の未来が約束されているのに、他に好きな人がいるから破談にする、なんて言ったって受け入れるわけがない。怒るどころか相手にすらしないだろうし、話を聞きもしないでしょう。全部投げ出して逃げるしかない。今までは……僕一人では情けないけど無理でした。せっかく得たチャンスなので掴みたいと思います」
和眞が、うんうん、と頷く。
「なにもなく渡米しても、京がうまくやってくれるだろう。とはいえ、それにしたって仮住まいとかなんとか段取りは必要だ。あ、ちょっと待って」
手に持っているスマートフォンをタップした。
「京、Done!だ。二人が落ち着いて生活できるセッティングまでどれくらいいる? それから二人の仕事にアテは?」
淳也が複雑なまなざしで見つめてくる中、和眞は了解了解と繰り返し言いながら何度も頷いている。そして電話を切った。
「カノジョのほうはネイリストだから、そっちの方面で仕事先を探すと言ってる。問題は君のほうで、どんな仕事ができるかで変わってくる。そのあたりは京と直接やりとりして決めてもらえればいいけど、あっ、俺たちはずっとボストンに住んでいたから、このあたりにコネが多い。ショップでもするかってな感じならロスとかお勧めかな。日本人が多いから住みやすい思う。ニューヨークはあんまお勧めしない。魅力ある街だが、とにかく物価が高い」
「そうですか。僕は企業で務めたことがないのでビジネスでは難しいかと思います。彼女の仕事を考えたら、ロスのほうがいいかもしれません」
「わかった。いずれにしても、二週間から三週間くれって言っていた」
「そんなにすぐに?」
驚く淳也が小気味よかったのか、和眞にんまりと笑った。
「京のことをいたく気に入ってる爺さんがいるんだが、その爺さん、ホワイトハウスにも顔が利く大物でさ、いろいろ協力してくれる。俺も二、三回会ったことがある。ま、こっちのことは任せろ。で、君はどう処理するつもりなんだ?」
「説得は無理なのでそちらの段取りに合わせて動きます。僕ができることと言ったら、ホテルに行って式の申し込みをキャンセルするくらいかな。あとは気づかれないよう荷物をまとめて消えておきます」
「了解。璃桜への説明は俺がする」
「お願いします。どんな言い方でもかまいませんよ。彼女がなるべく傷つかないように盛ってもらって大丈夫です」
「わかった。スマホ出して、俺と京の連絡先送るから」
淳也もポケットからスマートフォンを取り出し、連絡先を送り合えば話は終わった。淳也は立ち上がって礼儀正しく頭を下げると帰っていった。
最難関は突破した。あとは璃桜の心を解きほぐし、受け入れさせるだけだ。とはいっても、璃桜がもっとも気遣っている華原史乃は味方なのだから難しい問題ではない。
和眞はホッと安堵し、胸を撫で下ろしたのだった。
時計を見れば十時半だ。こんな時間に誰だ、と思いつつ出ると、坂戸淳也だと名乗った。
「え? あ、どうも。ウチの階、わかる?」
動揺しながらそう言えば、淳也はほんの少し沈黙してから答えてきた。
『いえ、申し訳ないですが、ここで待っています』
ロビーで話がしたいということか。和眞は京を振り返った。
「あーー、俺はやめとくわ。二対一じゃ、向こうはえらくプレッシャーだろう」
「けど、もしアメリカに行くことになるなら、お前がこまごま説明してやるほうがいいんじゃないか?」
「それは決まってからでいいだろう。まずはサシで話してこいよ」
「了解」
スマートフォン片手に一人マンションのロビーに向かう。エレベーターが下降する中、よく淳也がこのマンションを知っていたなと思ったが、さっきまで京と華原家のことでやり取りをしていたことを思い出し、なるほど、と納得した。坂戸淳也は政治家の息子で私設秘書だ。和眞の住まいを調べるなどお手の物だろう。
それよりも、と思う。
京との会話で二人とも淳也が破談を決めたと言うと決め込んでいることに笑いがこみ上げてきた。
(決まってねぇっての。けど、京がその前提だってのは心強い)
アメリカには行かない、璃桜と結婚する――そう言いにきたのかもしれないのだ。
二人の縁談は単に年頃で家同士釣り合いが取れるとか、知人を介して紹介を受けたから段取られたものではないのだ。政治家と企業家による利益を見込んだ、昔風に言えば政略結婚なのだ。
そして金銭的に大きな後ろ盾を得た坂戸淳也は、未来において国会議員として権力を得続けることが約束されたも同然で、一時の感情で決定を覆すなど周囲が許さない状況にある。
エレベーターが止まり、シュッという音とともに開く。そこから住人以外でも出入りできる広いロビーに進んだ。この時間なので照明はかなり落とされているものの、暗くて困るまでではない。
和眞はロビーに置かれているソファに淳也を見つけた。背を向けて座っているが、落ち着かないのか頭がせわしなく動いている。和眞が近づけば、気配に気づいたようで顔を向け、立ち上がろうとした。それを手で止める。
「俺も座るからいいよ。あ、なにか飲む?」
「いえ、すぐ帰りますから」
「そ。じゃあ、始めようか」
和眞の言葉に淳也は頷き、大きく息を吸い込んだ。
「結論から申し上げます。華原璃桜さんとのことは破談にして、交際相手と二人でのアメリカ行きを望んでいます。お力をお貸し願いたい」
満額回答だ。和眞はほっと肩を揺らして安堵した。
「ありがたい。断ると言われたらどうしようかと心配だった」
「……そんなこと、思っていないくせに」
口を尖らせて言うと、淳也はふとわずかに笑った。
「いえ、断るつもりでしたよ、本当に本気で。そんな簡単な話じゃありませんからね。政治家は選挙で負けたらただの人どころかサル以下だ。さらに、強い政治家は黒星なんてつかない。田舎は世襲ガッチリで安泰ですけど、都会はなかなかそうはいかない。世襲だって厳しいです」
「だな。オートマチックライティング、なんて言うんだから」
地方の選挙区で、代々その区を治めている政治家の場合、住人は自分の意識とは関係なく、自動的にその政治家の名を書くという都市伝説だ。本当かどうかはわからないが、それだけ地盤が固いということだろう。
「親はもちろんですが、後援会の面々を説得するのは無理です。大きな後ろ盾ができて安泰の未来が約束されているのに、他に好きな人がいるから破談にする、なんて言ったって受け入れるわけがない。怒るどころか相手にすらしないだろうし、話を聞きもしないでしょう。全部投げ出して逃げるしかない。今までは……僕一人では情けないけど無理でした。せっかく得たチャンスなので掴みたいと思います」
和眞が、うんうん、と頷く。
「なにもなく渡米しても、京がうまくやってくれるだろう。とはいえ、それにしたって仮住まいとかなんとか段取りは必要だ。あ、ちょっと待って」
手に持っているスマートフォンをタップした。
「京、Done!だ。二人が落ち着いて生活できるセッティングまでどれくらいいる? それから二人の仕事にアテは?」
淳也が複雑なまなざしで見つめてくる中、和眞は了解了解と繰り返し言いながら何度も頷いている。そして電話を切った。
「カノジョのほうはネイリストだから、そっちの方面で仕事先を探すと言ってる。問題は君のほうで、どんな仕事ができるかで変わってくる。そのあたりは京と直接やりとりして決めてもらえればいいけど、あっ、俺たちはずっとボストンに住んでいたから、このあたりにコネが多い。ショップでもするかってな感じならロスとかお勧めかな。日本人が多いから住みやすい思う。ニューヨークはあんまお勧めしない。魅力ある街だが、とにかく物価が高い」
「そうですか。僕は企業で務めたことがないのでビジネスでは難しいかと思います。彼女の仕事を考えたら、ロスのほうがいいかもしれません」
「わかった。いずれにしても、二週間から三週間くれって言っていた」
「そんなにすぐに?」
驚く淳也が小気味よかったのか、和眞にんまりと笑った。
「京のことをいたく気に入ってる爺さんがいるんだが、その爺さん、ホワイトハウスにも顔が利く大物でさ、いろいろ協力してくれる。俺も二、三回会ったことがある。ま、こっちのことは任せろ。で、君はどう処理するつもりなんだ?」
「説得は無理なのでそちらの段取りに合わせて動きます。僕ができることと言ったら、ホテルに行って式の申し込みをキャンセルするくらいかな。あとは気づかれないよう荷物をまとめて消えておきます」
「了解。璃桜への説明は俺がする」
「お願いします。どんな言い方でもかまいませんよ。彼女がなるべく傷つかないように盛ってもらって大丈夫です」
「わかった。スマホ出して、俺と京の連絡先送るから」
淳也もポケットからスマートフォンを取り出し、連絡先を送り合えば話は終わった。淳也は立ち上がって礼儀正しく頭を下げると帰っていった。
最難関は突破した。あとは璃桜の心を解きほぐし、受け入れさせるだけだ。とはいっても、璃桜がもっとも気遣っている華原史乃は味方なのだから難しい問題ではない。
和眞はホッと安堵し、胸を撫で下ろしたのだった。