捨てられた邪気食い聖女は、血まみれ公爵様に溺愛される~婚約破棄はいいけれど、お金がないと困ります~【書籍化+コミカライズ準備中】
01 婚約破棄は別にいいんですけど、お金がないと困ります
私の朝は早い。
顔を洗いブラウンの髪をとかし、神殿に仕える者のために用意された服に袖を通した。そして、最後に顔を隠すための黒いベールを頭からかぶる。
部屋の外に出ると、私の吐く息が白くなった。神殿内の空気は、不思議といつもひんやりしている。
誰もいない廊下を歩き、私は今日の祈りを捧げるために聖堂に向かった。その途中、大声で呼び止められた。
「エステル!」
黒いベール越しに青年を見ると、どこかで見たことがあるような顔だった。
えっと、誰だったかしら?
私をにらみつけている青年は、サラサラの金髪に驚くくらい整った顔をしていた。
神殿内のこの区域は誰でも入れる場所ではない。だから、ここに入れるこの青年の身分は高いということになる。でも、貴族社会にくわしくない私は、この青年が誰だったのか思い出せないでいた。
神殿に入る前、私は男爵家の長女だった。だけど、領地が貧しかったので社交界デビューはしていない。社交界デビューの準備にかかるお金を払えるほどの余裕が家にはなかったから。
私が対応に困っていると、身分が高そうな青年は、いきなり私の黒いベールを乱暴にはぎとった。
「あっ!」
「あいかわらず、醜い姿だな」
――醜い姿。
その言葉でこの青年のことをやっと思い出せた。
「……第三王子のオグマート殿下」
二年前、オグマート殿下に初めて会ったときも、私を見たオグマート殿下に同じ言葉を吐き捨てるように言われた。さすがにショックだったので覚えている。
「私の名前を呼ぶな。穢(けが)れが移る」
嫌悪を隠さないオグマート殿下の言葉で、私は鏡に映った自分の顔を思い出した。
皆は私を聖女と呼ぶけど、邪気の影響で体中に黒い文様が皮膚に浮かび上がった姿はたしかに醜い。
「どうして、おまえが私の婚約者なんだ?」
そんなことをいわれても、私だって好きでオグマート殿下の婚約者になったわけではない。
聖女は、家のためにやっているけど……。
私の実家が治める男爵領は、やせた土地だった。特産品があるわけでもなく、観光名所があるわけでもない。私たち家族も領民たちも生きていくだけで精いっぱい。
そんな暮らしの中である日、私に邪気を払う力があることがわかった。家族がとめるのも聞かず、私は迷わず聖女になった。
なぜなら聖女には、国と神殿から多額の援助金が支払われるから。そのお金があれば、大好きな家族が楽に暮らせるようになる。
だから私は喜んで聖女になり、自ら王都にある神殿に入った。だけど、私と入れ替わるように高齢だった先代聖女が亡くなってしまった。そして、今代(こんだい)聖女が私一人しか見つからなかったために、この国の王族と無理やり婚約させられてしまったのは予想外だった。
オグマート殿下に会うまでは、私も王子様にそれなりの憧れを持っていたのよね……。
でも、オグマート殿下に会ったとたんに憧れは音を立てて崩れ去った。美しいオグマート殿下が私を見る目は冷め切っている。
まぁ、私を毛嫌いするオグマート殿下の気持ちもわかるけどね。
私は邪気に蝕(むしば)まれた自分の手を見た。
邪気を浄化することができる聖女の力はさまざまで、歴代聖女達は、それぞれ異なった方法で邪気を浄化してきた。
過去には、手をかざすだけで邪気を浄化したり、歌で邪気を浄化したりする聖女もいたらしい。
でも、私の力は『邪気を自らの身体に取り込んで浄化する』というものだった。邪気を身体に取り込む影響なのか、体中に禍々しい黒文様が広がっている。そんなことになる聖女は私だけらしい。
聖女になって一年くらいは、黒文様は出ていなかった。しかし、二年目になると私の手足に黒文様が浮かび上がった。四年経った今では、黒文様が私の全身に広がり、最近は顔にまで出てきてしまっている。
神殿内でも気味悪がられるので、ベールをかぶって顔を隠しひっそりと過ごす日々。
オグマート殿下じゃなくても、誰だってこんな黒文様まみれの婚約者なんて嫌よね。
神殿に来たときに見たことがあるけど、第一王子と第二王子の婚約者は、どちらもとても美しい女性だった。
だから、その当時、まだ婚約者がいないという理由だけで、醜い邪気食い聖女を押しつけられてしまったオグマート殿下は可哀想だと思う。
私は目の前にいるオグマート殿下に深く頭を下げた。
「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
フンッと鼻で笑ったオグマート殿下は、私から奪い取った黒いベールを床に投げつける。
「おまえとの関係は今日までだ。この国に新しい聖女が現れた」
初耳だった。
「そうなのですか!?」
王都の邪気は増える一方なので、聖女が増えてくれたらとても嬉しい。
「そうだ。邪気食いのおまえとは違い、新しい聖女は手をかざすだけで邪気を浄化できる。おまえはお払い箱だ」
「そんな!」
聖女を辞めさせられると、実家が援助金を貰えなくなってしまう。そんな私を見てオグマート殿下は嘲笑(あざわら)っている。
「今さらあせってもムダだ! もちろん、私とおまえの婚約も破棄だ!」
それは別にいいんですけど……。
オグマート殿下は、急にうっとりとした表情を浮かべて語りだした。
「新しい聖女は美しい上に侯爵令嬢だ。彼女こそ私の婚約者にふさわしい。おまえとは大違いだ」
「……私はどうなるのでしょうか?」
遠慮がちに尋ねると、オグマート殿下の表情がとたんに冷たくなる。
「言っただろう? おまえはもういらないんだ」
でも、援助金がないと私の家はやっていけない。
もうすぐ弟がアカデミーに入学するし、妹の社交界デビューも控えているのに……。弟や妹には貧しさからくる苦労をさせたくない。
私は、オグマート殿下に必死にお願いするしかなかった。
「殿下、どうかご慈悲を……」
オグマート殿下の口元がニヤリと上がる。
「ふーん、そうだな。そこまでいうなら、再就職先を紹介してやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、おまえに似合いの醜い男がいる。そいつの元で下働きでもなんでもするがいい」
「ありがとうございます!」
「私から連絡してやろう。馬車も手配しておいてやる。だから、今すぐ私の前から消え失せろ!」
「はい!」
オグマート殿下に深く頭を下げると、私は床に落ちている黒ベールをひろいかぶり直した。そして、急いで神殿内にある自室に戻り荷物をまとめる。
私物なんてないから、カバンに着替えを詰め込むとすぐに神殿の馬車置き場に向かった。
私に気がついた馬車の御者が「オグマート殿下からお話を聞いています」と言って馬車に乗せてくれる。
「この馬車は、どこに向かうのですか?」
御者は「聞いていないんですか?」と驚いた。
「オグマート殿下より、聖女様を急ぎフリーベイン公爵領にお連れするようにと言われています」
「フリーベイン公爵領……」
たしか、国境付近にある領地で、頻繁に魔物が出るといわれている。その土地を治めるフリーベイン公爵は、残虐非道だそうで王都では『血まみれ公爵』と呼ばれていた。
血まみれ……でもまぁ、私も邪気食い聖女なんて呼ばれているし、ただのウワサだよね? 魔物が出るような危ないところなら、聖女の力も必要としてもらえそうだわ。
血まみれと邪気食いなんて、ちょっとお似合いかもしれないとのんきなことを考えてしまう。
それにもし、フリーベイン公爵が本当に非道な行いをしているのなら、誰かが止めなければいけない。
私は「よろしくお願いします」と御者に深く頭を下げた。
顔を洗いブラウンの髪をとかし、神殿に仕える者のために用意された服に袖を通した。そして、最後に顔を隠すための黒いベールを頭からかぶる。
部屋の外に出ると、私の吐く息が白くなった。神殿内の空気は、不思議といつもひんやりしている。
誰もいない廊下を歩き、私は今日の祈りを捧げるために聖堂に向かった。その途中、大声で呼び止められた。
「エステル!」
黒いベール越しに青年を見ると、どこかで見たことがあるような顔だった。
えっと、誰だったかしら?
私をにらみつけている青年は、サラサラの金髪に驚くくらい整った顔をしていた。
神殿内のこの区域は誰でも入れる場所ではない。だから、ここに入れるこの青年の身分は高いということになる。でも、貴族社会にくわしくない私は、この青年が誰だったのか思い出せないでいた。
神殿に入る前、私は男爵家の長女だった。だけど、領地が貧しかったので社交界デビューはしていない。社交界デビューの準備にかかるお金を払えるほどの余裕が家にはなかったから。
私が対応に困っていると、身分が高そうな青年は、いきなり私の黒いベールを乱暴にはぎとった。
「あっ!」
「あいかわらず、醜い姿だな」
――醜い姿。
その言葉でこの青年のことをやっと思い出せた。
「……第三王子のオグマート殿下」
二年前、オグマート殿下に初めて会ったときも、私を見たオグマート殿下に同じ言葉を吐き捨てるように言われた。さすがにショックだったので覚えている。
「私の名前を呼ぶな。穢(けが)れが移る」
嫌悪を隠さないオグマート殿下の言葉で、私は鏡に映った自分の顔を思い出した。
皆は私を聖女と呼ぶけど、邪気の影響で体中に黒い文様が皮膚に浮かび上がった姿はたしかに醜い。
「どうして、おまえが私の婚約者なんだ?」
そんなことをいわれても、私だって好きでオグマート殿下の婚約者になったわけではない。
聖女は、家のためにやっているけど……。
私の実家が治める男爵領は、やせた土地だった。特産品があるわけでもなく、観光名所があるわけでもない。私たち家族も領民たちも生きていくだけで精いっぱい。
そんな暮らしの中である日、私に邪気を払う力があることがわかった。家族がとめるのも聞かず、私は迷わず聖女になった。
なぜなら聖女には、国と神殿から多額の援助金が支払われるから。そのお金があれば、大好きな家族が楽に暮らせるようになる。
だから私は喜んで聖女になり、自ら王都にある神殿に入った。だけど、私と入れ替わるように高齢だった先代聖女が亡くなってしまった。そして、今代(こんだい)聖女が私一人しか見つからなかったために、この国の王族と無理やり婚約させられてしまったのは予想外だった。
オグマート殿下に会うまでは、私も王子様にそれなりの憧れを持っていたのよね……。
でも、オグマート殿下に会ったとたんに憧れは音を立てて崩れ去った。美しいオグマート殿下が私を見る目は冷め切っている。
まぁ、私を毛嫌いするオグマート殿下の気持ちもわかるけどね。
私は邪気に蝕(むしば)まれた自分の手を見た。
邪気を浄化することができる聖女の力はさまざまで、歴代聖女達は、それぞれ異なった方法で邪気を浄化してきた。
過去には、手をかざすだけで邪気を浄化したり、歌で邪気を浄化したりする聖女もいたらしい。
でも、私の力は『邪気を自らの身体に取り込んで浄化する』というものだった。邪気を身体に取り込む影響なのか、体中に禍々しい黒文様が広がっている。そんなことになる聖女は私だけらしい。
聖女になって一年くらいは、黒文様は出ていなかった。しかし、二年目になると私の手足に黒文様が浮かび上がった。四年経った今では、黒文様が私の全身に広がり、最近は顔にまで出てきてしまっている。
神殿内でも気味悪がられるので、ベールをかぶって顔を隠しひっそりと過ごす日々。
オグマート殿下じゃなくても、誰だってこんな黒文様まみれの婚約者なんて嫌よね。
神殿に来たときに見たことがあるけど、第一王子と第二王子の婚約者は、どちらもとても美しい女性だった。
だから、その当時、まだ婚約者がいないという理由だけで、醜い邪気食い聖女を押しつけられてしまったオグマート殿下は可哀想だと思う。
私は目の前にいるオグマート殿下に深く頭を下げた。
「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
フンッと鼻で笑ったオグマート殿下は、私から奪い取った黒いベールを床に投げつける。
「おまえとの関係は今日までだ。この国に新しい聖女が現れた」
初耳だった。
「そうなのですか!?」
王都の邪気は増える一方なので、聖女が増えてくれたらとても嬉しい。
「そうだ。邪気食いのおまえとは違い、新しい聖女は手をかざすだけで邪気を浄化できる。おまえはお払い箱だ」
「そんな!」
聖女を辞めさせられると、実家が援助金を貰えなくなってしまう。そんな私を見てオグマート殿下は嘲笑(あざわら)っている。
「今さらあせってもムダだ! もちろん、私とおまえの婚約も破棄だ!」
それは別にいいんですけど……。
オグマート殿下は、急にうっとりとした表情を浮かべて語りだした。
「新しい聖女は美しい上に侯爵令嬢だ。彼女こそ私の婚約者にふさわしい。おまえとは大違いだ」
「……私はどうなるのでしょうか?」
遠慮がちに尋ねると、オグマート殿下の表情がとたんに冷たくなる。
「言っただろう? おまえはもういらないんだ」
でも、援助金がないと私の家はやっていけない。
もうすぐ弟がアカデミーに入学するし、妹の社交界デビューも控えているのに……。弟や妹には貧しさからくる苦労をさせたくない。
私は、オグマート殿下に必死にお願いするしかなかった。
「殿下、どうかご慈悲を……」
オグマート殿下の口元がニヤリと上がる。
「ふーん、そうだな。そこまでいうなら、再就職先を紹介してやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、おまえに似合いの醜い男がいる。そいつの元で下働きでもなんでもするがいい」
「ありがとうございます!」
「私から連絡してやろう。馬車も手配しておいてやる。だから、今すぐ私の前から消え失せろ!」
「はい!」
オグマート殿下に深く頭を下げると、私は床に落ちている黒ベールをひろいかぶり直した。そして、急いで神殿内にある自室に戻り荷物をまとめる。
私物なんてないから、カバンに着替えを詰め込むとすぐに神殿の馬車置き場に向かった。
私に気がついた馬車の御者が「オグマート殿下からお話を聞いています」と言って馬車に乗せてくれる。
「この馬車は、どこに向かうのですか?」
御者は「聞いていないんですか?」と驚いた。
「オグマート殿下より、聖女様を急ぎフリーベイン公爵領にお連れするようにと言われています」
「フリーベイン公爵領……」
たしか、国境付近にある領地で、頻繁に魔物が出るといわれている。その土地を治めるフリーベイン公爵は、残虐非道だそうで王都では『血まみれ公爵』と呼ばれていた。
血まみれ……でもまぁ、私も邪気食い聖女なんて呼ばれているし、ただのウワサだよね? 魔物が出るような危ないところなら、聖女の力も必要としてもらえそうだわ。
血まみれと邪気食いなんて、ちょっとお似合いかもしれないとのんきなことを考えてしまう。
それにもし、フリーベイン公爵が本当に非道な行いをしているのなら、誰かが止めなければいけない。
私は「よろしくお願いします」と御者に深く頭を下げた。
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