狂気のサクラ
フロントに入り今井から業務を教わった。
2つ年上の今井は第一印象通りとても気さくな人で彼のことを相談しようかと思うほどだった。
何人かの従業員とは顔を合わせたけれど彼の姿はなく、今日のシフトにも彼の名前は見つけられなかった。
昼を過ぎた頃、直正が数人の友人を連れて現れた。従業員は半額になるという特権を使いに来たのだろう。
「え?凛ちゃ何してるの?」
驚きと失笑混じりて話しかけてきた。
「バイトです」
私も苦く笑って答えた。
バイトに入ることは伝えていなかった。知られてしまえば同じことだが、彼を追いかけて入ったと見抜かれると思ったからだ。
「マジか」
直正はそれ以上は何も言わなかった。
彼と一緒でなかったことは残念だったが、まだ顔を合わせる心の準備はできていない。
「香川さん三宅くんと知り合いなんだ」
その様子を見て今井が問いかけてきた。
三宅とは直正のことだ。
「高校の友達の彼氏でした」
「もしかして噂のあゆかちゃん?」
「あゆのこと知ってるんですか?」
「知らないけど、フラれたって三宅くん、相当落ち込んでたから」
「それ悠樹くんも言ってました」
その名を口にして胸が痛む。
「あー藤原くんとも知り合いなんだね」
「教習所が一緒でした」
「そっか。藤原くんってなんか不思議な雰囲気あるよね」
「それ、みんな言いますよね」
私は作り笑いで答えた。ここには彼との繋がりが沢山ある。もっと早くここに来ればよかった。たとえ届かない思いでも、彼が立った同じ場所に立つことが出来ればいい。同じ場所の空気を吸えるだけでいい。不思議だけれど、そう思う方が連絡を待つ毎日よりずっと楽になった。
高く望むのはやめよう。どうしても捨てられないこの気持ちに正直でいようと決めた。
< 39 / 48 >

この作品をシェア

pagetop