ごきげんよう

義兄


 私は自慢できるほど賢くはないが、かといって、自分に男を見る目がなかったとまでは思わない。

 夫は最初から「そういうふうに見える」男だったわけではない。全力で騙しにきた者に騙されただけだ。そう思っている。

 新婚当時は、神経質なところや細かいこだわりが気になるものの、今ほどのエキセントリックさはなかった。
 そして上品で優しいご両親と、彼とよく似た2歳年上の義兄。
 やや干渉気味ではあるものの、「よくしてくださっている」し、好印象を持っていた。大抵の女なら、ごく普通に良縁に恵まれたと思うだろう。

 私は仕事を続ける気だったが、早いうちに子供をもうけ、手がかからなくなったら再就職すればいいと、結婚とともに退職を勧められた。

「君はしっかり者で頭がいいからこそ、母親業に専念してほしいんだ」
「復職に有利になるスキルアップをしたいなら、協力するよ」

 この二つにころっと騙された。
 双方の実家がなまじ裕福だったこともあり、良くも悪くもガツガツできなかったし、このご時世、そういう人生も選択できる自分は幸せなのだと思わざるを得なかった。

 夫はいずれ家業を手伝う前提で、義父と縁のある企業で働いていた。超高給というわけではないが、夫の実家からの引き立てがあり、かなりゆったりと暮らせるし、若いうちに持ち家に住むこともできた。

 新築祝いの簡単なパーティーをして、身内と友人数人を招いたとき、独身の友人が義兄に目を付け、「仲を取り持ってくれない?」と頼んできた。

 キッチンでデザートの支度をしているとき、たまたま義兄が「お水、もらっていいかな?」と入ってきたので、友人の話をしてみた。

「お兄さんとてもステキだから、彼女の気持ちは少し分かります」

 社交辞令のつもりでそう言ったら、義兄が私の右わきにぴったりと体をつけ、私の腰を抱きながら、耳元でささやいた。

「そう思うなら、君が俺のものになってくれればよかったのに」

 ぞくっとした。色っぽいニュアンスではない。ただただ恐ろしい、嫌な予感がするという意味でだ。

***

 その数日後の日中、兄が訪ねてきた。平日なので夫はいない。
 先日のことがあり、同じ空間に2人きりというのはできれば避けたいが、自意識過剰だと笑われるか呆れられるかだろう。仕方なしに招き入れ、コーヒーを出すと、ひじのあたりをぎゅっとつかまれた。

「俺はコーヒーより、君のお友達より――君が欲しい」
「悪い冗談やめてくださいよ」

 あくまでジョークとして受け流すようにそう言ってみたが、そのまま長ソファに放り投げるように寝かされ、押し付けられた。

「さすが、あいつが選んだ女は上玉だな。そうやって目で誘ってくるか」
「や、めて…くだ…」

 私の口は、義兄の唇でふさがれた。
 強引に侵入しようとする舌を何とか阻止しようとするが、無理やりこじ開けるように入ってきた。
 息苦しく執拗なキスをされても、私の緊張は解けることはなく、ただただ苦痛で涙が出た。

 やっと唇を離したかと思うと、そのまま服の上から胸元にキスするよう滑らせた。

 口が解放された私は、言葉で抗議を試みるが、「あまり大きな声を出すと、ご近所に怪しまれるからおすすめしないけどね」と言いながら、下卑た笑みを浮かべ、私を見下ろした。

 私も結婚前に、夫以外の男性と関係を持ったことがある。
 お付き合いの中での行為はあくまでスキンシップ。
 私は特に男性にテクニック的なものは求めていないつもりだったが、やはり気になってしまうことがある。

 義兄の愛撫や**は、夫とのソレに非常に似ていた。

 「彼ら」はせわしくなく私の体をまさぐり、性急に自分の欲望を満たすだけ。
 魅力的な容姿で、俗にハイスペックと言われる要素を持っていると、それを何となく受け入れる女性も多いということだろう。

***

 全てが終わった後、「恨むならあいつを恨め。これは復讐のつもりだ」と言った。
 昔、義兄と付き合っていた女性が、夫に心変わりしたのだそうだ。
 夫はその人としばらく付き合って別れ、その後に交際を始めたのが私だった。

「今日俺が君にしたことを弟に言ったら、君に誘惑されたと言うよ?実際『お兄さんはステキ』なんて言っていたよね?人妻は言動を慎んだ方がいい」

 身勝手過ぎる言い分を残し、兄は立ち去った。
 本当に復讐だけが目的だったのか、その後、そういう形で家に来ることはなかった。

 私は例の友人に「義兄さんには結婚を前提に付き合っている人がいるらしい」と伝えた。

 その1カ月後、私の生理が止まった。

 同時期に夫とも妊娠目的のセックスがなかったわけではないので、確定はできないが、ざっくり計算してみると兄の子供である可能性が高い。
 当時はまだ緊急避妊(アフター)ピルというものの存在を知らなかった。

 夫も妊娠を喜んでくれたので、私は、墓場まで持っていく秘密のつもりで出産を決意した。
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