ごきげんよう

決意


 そして4月のうららかな日、ハルカが生まれた。
 初めての出産も育児も大変だったが、夫は協力的で優しかった。
 ただ、この頃からほかの女の影が見え隠れするようになった。
 私の妊娠中に遊んでいた名残か、進行形で何かあるのか、それを追及するには心身ともに疲れていたので、放置せざるを得なかった。

 その3年後の6月にナツキを授かるが、彼女を出産した後、だんだんと様子がおかしくなってきたように思う。
 ナツキはハルカより体が弱く、手がかかりがちだったが、「2人目だから楽なものだろう?」と言われ、協力も助力も期待できない状態になっていた。

 それだけならまだしも、私の行動への過干渉、ちょっとした種で大輪の疑惑の花を咲かせたような「浮気しているのか?」攻撃、身体的な暴力が出るようになったのもこの頃だ。
 一方で、女性の影の隠し方も雑になった。完璧に(わたし)を軽んじ、なめきっていたのだと思う。

***

 同じころ、お世話になっていた産婦人科の先生が、私が少し情緒不安定なのを心配し、ピルの服用を勧めてくれた。

「あんまり嫌な想像はしたくないんだけど、多産DVって言葉があるのよ」
「多産DV、ですか」
「避妊に非協力的というのが一番の原因だけど、のべつ妊娠させて、女性の退路を断つっていう意味もあると思うの」
「あ…」
「男性はピルの知識があまりない人が多いから、月経不順の治療と言っておけばいいわ。駄目なら私から説明するから」

 先生の読み通り、夫はそれで納得してくれたのだが、実のところ、避妊の面倒がなくなったくらいにしか捉えていなかったろう。

***

 幸い子供たちに手を出すことはなかったので、私は、暴力を受けた場合にできる限り写真を撮る、病院で診てもらうなどして証拠を残し、日記を詳細につけ、状況が許せば録音なども録った。ついでに夫と女性たちとの「お付き合い」の記録も、できる限り残した。

 実家の母だけに話すと、一も二もなく離婚を勧められたが、ハルカが小学校に入学したばかりだったため、環境を急変させることに抵抗があり、もう少し様子を見ることにした。
 今にして思えば、そのとき決断すべきだったのだろう。3年経ってナツキも同じ小学校に入学し、前よりもむしろ身動きがとりにくくなったが、夫の状態は悪くなるばかりだった。

 私はまだ小4のハルカに、何から話すべきかと迷ったが、「ママ、実はパパとお別れしたいんだ…」と思い切って打ち明けた。
 すると、「ママが壊れる前にそうしてほしい」と力強い返事があった。
 夜の寝室でも時々は修羅場が繰り広げられたのだ。勘のいいハルカなら気付いていてもおかしくなかった。

「ごめんね…学校…転校しないと…」

 私はハルカを抱き締め、声を上げて泣いた。

「ママ!私たちの心配してる場合じゃないよ!まずは自分のことを考えて?」

 いくら聡明でしっかり者でも、子供にこんなことを言わせるのは母親失格だろう。
 しかも、「こんないい子を持って幸せだ」と思ってしまうのだから。
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