ごきげんよう
クリスマスコンサート 【終】
12月某日。
私とハルカ、ナツキの3人はクリスマスコンサートに行くことになっていた。プラネタリウムで開かれるもので、クラシックからポップスまで幅広い演目が発表になっていたし、星が好きなハルカも、音楽が好きなナツキも楽しみにしていた。
というのは陽動作戦。
夫は年末は休日出勤が当たり前になる。
かなりギリギリではあったが、「その日」に合わせてフレキシブルに対応してくれる引っ越し業者を探し、こっそり手配した。
「パパはお仕事なのに、いいご身分だな、お姫様方」
夫はそう言いながら、ナツキの小さな鼻をつまんでからかった。いつもなら嫌そうな顔をするナツキも、「えへへ」と笑うだけだった。
ハルカの顔をちらっと見ると、一応笑ってはいるが、少し緊張が見られる。
行先は親戚が持っている小さな一軒家で、少し田舎なので、今のお友達とは会いにくくなるし、学校も転校になる。
私の都合でそんな状況を作ってしまったことは心苦しいが、かといって、娘を置いて逃げる気はなかった。
「パパ、ご苦労様です。行ってらっしゃい」
ハルカにそう言われた夫は、「お前たちも楽しんでおいで」と極上の笑みを残し、上機嫌で家を出ていった。
朝一のコーヒーはきちんとドリップし、食後の緑茶も丁寧に急須で淹れた。
みそ汁、だし巻きの味、卯の花、鮭の皮の焼け具合、ホウレンソウのお浸し、浅漬け。
休日出勤ということで、時間にゆとりがありそうだったので、デザートにリンゴもむいた。
最後に理想的な家族の朝をショーアップできたかな?
***
業者さんの手慣れた作業に舌を巻き、家を出る前に私は殴り書きの手紙をダイニングのテーブルの上に置いた。
「突然ですがお別れです。もうあなたと暮らし続けていくのは無理だという結論になりました。
“お友達”のエリさん、アサミさん、ミナさん、ユウナさんによろしく。
(ほかにもいたらごめんなさい。私が知っている方だけ書きました)
偉そうにと思うかもしれませんが、本当に見るべきは妻の周りの疑惑の種などではなく、妻本人だったと思います。
今後愛する人ができたときの参考にしてください。
ごきげんよう」
後々何かと面倒なことになるのは分かっている。
でも、今より幸せになる、そして娘たちを幸せにするための面倒ごとなら、いくらでも受けて立とう。
根拠なくナツキと自分の親子関係を疑ったあの人へのあてこすりに、義兄の所業にも触れようかと思ったが、やめておいた。
ハルカもナツキも「私」の子供だという事実だけでいい。
ああ、そういえば、彼が見せてくれたネット記事に書いてあったっけ。
「托卵する女性の多くは、本当に好きな男性の子供が欲しい、より優秀な遺伝子を残したいという動機であり、罪悪感など持たない。『“私の”子供を黙って受け入れろ』という発想である」
とか何とか。
義兄にレイプされた段階で、離婚を申し出るべきだったのだろうか。
まだいろんなものが見えていない、ちょっと打算的な新妻に、その選択肢はなかったけれど。
***
引っ越しの車の中で、「ナッちゃん、コンサート行けなくてごめんね」とわびると、何かを悟ったように「…仕方ないよ、ご用ができたんだもん」と言われた。
ただ無邪気にコンサートを楽しみにしていたようにしか見えなかったけれど、ハルカに事前に何か聞かされていたのかもしれないし、ナツキなりに自分の父と母の関係について、思うところもあったのかもしれない。
子供というのは逆境で成長する。
こんな逆境、本当は与えたくなかったのだけど…。
「これから行くのは少し田舎だから、夜は真っ暗だし、空気が澄んでいるから、冬は特に星がきれいなんだよ。みんなで星を見ながら音楽を聞こうか?」
「ステキー!」
「さんせーい!」
張り切って冬の星座についてうんちくを語り始めるハルカを見て、涙が出そうになったが、「ママ、泣いてる場合じゃないでしょ?」という言葉を思い出し、ぐっとこぶしを握ってこらえた。
神様、今夜は晴れますように。
【了】
私とハルカ、ナツキの3人はクリスマスコンサートに行くことになっていた。プラネタリウムで開かれるもので、クラシックからポップスまで幅広い演目が発表になっていたし、星が好きなハルカも、音楽が好きなナツキも楽しみにしていた。
というのは陽動作戦。
夫は年末は休日出勤が当たり前になる。
かなりギリギリではあったが、「その日」に合わせてフレキシブルに対応してくれる引っ越し業者を探し、こっそり手配した。
「パパはお仕事なのに、いいご身分だな、お姫様方」
夫はそう言いながら、ナツキの小さな鼻をつまんでからかった。いつもなら嫌そうな顔をするナツキも、「えへへ」と笑うだけだった。
ハルカの顔をちらっと見ると、一応笑ってはいるが、少し緊張が見られる。
行先は親戚が持っている小さな一軒家で、少し田舎なので、今のお友達とは会いにくくなるし、学校も転校になる。
私の都合でそんな状況を作ってしまったことは心苦しいが、かといって、娘を置いて逃げる気はなかった。
「パパ、ご苦労様です。行ってらっしゃい」
ハルカにそう言われた夫は、「お前たちも楽しんでおいで」と極上の笑みを残し、上機嫌で家を出ていった。
朝一のコーヒーはきちんとドリップし、食後の緑茶も丁寧に急須で淹れた。
みそ汁、だし巻きの味、卯の花、鮭の皮の焼け具合、ホウレンソウのお浸し、浅漬け。
休日出勤ということで、時間にゆとりがありそうだったので、デザートにリンゴもむいた。
最後に理想的な家族の朝をショーアップできたかな?
***
業者さんの手慣れた作業に舌を巻き、家を出る前に私は殴り書きの手紙をダイニングのテーブルの上に置いた。
「突然ですがお別れです。もうあなたと暮らし続けていくのは無理だという結論になりました。
“お友達”のエリさん、アサミさん、ミナさん、ユウナさんによろしく。
(ほかにもいたらごめんなさい。私が知っている方だけ書きました)
偉そうにと思うかもしれませんが、本当に見るべきは妻の周りの疑惑の種などではなく、妻本人だったと思います。
今後愛する人ができたときの参考にしてください。
ごきげんよう」
後々何かと面倒なことになるのは分かっている。
でも、今より幸せになる、そして娘たちを幸せにするための面倒ごとなら、いくらでも受けて立とう。
根拠なくナツキと自分の親子関係を疑ったあの人へのあてこすりに、義兄の所業にも触れようかと思ったが、やめておいた。
ハルカもナツキも「私」の子供だという事実だけでいい。
ああ、そういえば、彼が見せてくれたネット記事に書いてあったっけ。
「托卵する女性の多くは、本当に好きな男性の子供が欲しい、より優秀な遺伝子を残したいという動機であり、罪悪感など持たない。『“私の”子供を黙って受け入れろ』という発想である」
とか何とか。
義兄にレイプされた段階で、離婚を申し出るべきだったのだろうか。
まだいろんなものが見えていない、ちょっと打算的な新妻に、その選択肢はなかったけれど。
***
引っ越しの車の中で、「ナッちゃん、コンサート行けなくてごめんね」とわびると、何かを悟ったように「…仕方ないよ、ご用ができたんだもん」と言われた。
ただ無邪気にコンサートを楽しみにしていたようにしか見えなかったけれど、ハルカに事前に何か聞かされていたのかもしれないし、ナツキなりに自分の父と母の関係について、思うところもあったのかもしれない。
子供というのは逆境で成長する。
こんな逆境、本当は与えたくなかったのだけど…。
「これから行くのは少し田舎だから、夜は真っ暗だし、空気が澄んでいるから、冬は特に星がきれいなんだよ。みんなで星を見ながら音楽を聞こうか?」
「ステキー!」
「さんせーい!」
張り切って冬の星座についてうんちくを語り始めるハルカを見て、涙が出そうになったが、「ママ、泣いてる場合じゃないでしょ?」という言葉を思い出し、ぐっとこぶしを握ってこらえた。
神様、今夜は晴れますように。
【了】