【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

12.思慕

 馬車はどんどん森の奥に進んでいく。

「……フィリップさんは無事なの? この馬車の御者をしてくれていた人を、貴方達はどうしたのよ?」
 馬車の中でふんぞり返っているヴァンスを睨みながら、私は尋ねる。

「フン。あの男なら、馬車を乗っ取る時に頭を殴って気絶させた。運が良ければ生きているさ」
「ッ……!」

 ヴァンスの答えが本当なら、フィリップさんは大怪我をしているに違いない。だけど、今の私達にはどうすることもできない。せめて、命だけは助かっていてほしい。

「……ハンナさんは? 馬車から外に出た女の人には、手を出していないでしょうね?」
「転がり落ちていた女のことなら、そのまま放っておいた。有り難く思え」

 確かに、馬車の中にいた私達からは、ハンナさんがヴァンス達に何かされたようには見えなかった。馬車から転げ落ちた時に、怪我をしてしまったかもしれない。だけど、きっと命には別状はないだろう。そうであってほしい。

「大丈夫です、奥様。きっと義母がフィリップさんを介抱して、助けを呼んでくれています」
 アガタさんがこっそりと私に耳打ちする。

「アガタさん、ごめんなさい。私が狙われていたのに、アガタさんまで巻き込んでしまって……」
「何を仰いますか、奥様。悪いのはこの男達です。奥様が責任を感じる必要はありません」
 小声でアガタさんと会話する。

「何をひそひそ話している。助けを期待しているなら無駄だぞ。魔獣誘引の魔札の効果で魔獣がひしめく森の中に、どうやったら助けが来るんだ? 安易に森に足を踏み入れれば、魔獣に襲われて死ぬのがオチだ。諦めて俺に従った方が身の為だぞ」
「……」

 自信満々に鼻で笑うヴァンスに、唇を噛み締める。
 確かにヴァンスの言う通りだ。馬車の外は魔獣がうろつく森。私達が馬車から逃げ出して、森を抜けてヴェルメリオ国に帰ることは難しい。助けだって、魔獣達を倒しながら森を進まないといけないのだ。どう頑張っても、きっとすぐには来られないだろう。
 悔しいけれど、今はこの男達に従うしかないのかもしれない。だけど、絶対に諦めるものか。

 馬車は森の中をずっと進み続け、日が沈みかける頃、古い山小屋の前で止まった。

「今夜はここで一泊だ。逃げようなんて考えるなよ。魔獣に襲われて死ぬだけだからな」
 ヴァンスに念押しされ、山小屋の二階の一室に押し込められる。

「それから明日までに魔獣排除の魔札を作っておけ。お前が作れるのは一日に十枚だそうだな。これから毎日作り続けてもらうぞ」
「……」
 私は拳を握り締める。

(この人達、私のことをどこまで知っているんだろう)

「分かったな!?」
「は……はい」
 私が返事をすると、ヴァンスは部屋から立ち去った。

 ヴァンスの足音が遠ざかったのを確認し、改めて部屋の中を見回してみる。
 部屋の扉には鍵がかけられている。窓は一つあるけれども、ここは二階。仮に脱出できたとしても、魔獣がひしめく森の中を抜け、ヴェルメリオ国に……キンバリー辺境伯領に、セス様の所に戻れるだろうか。

(どちらにしろ、魔除けのおまじないは必要だわ……)

「奥様、これからどうしましょう……」
 アガタさんが不安げに尋ねてくる。

「私は魔除けのおまじないを作るので、アガタさんは先に休んでください」
「そんな、奥様が頑張っておまじないを作られるのに、私だけ先に休むなんて……!」
「アガタさん、今のうちにアガタさんに休んでもらわないと困るんです」
 困惑した様子のアガタさんに、私は微笑む。

「私は明日までにおまじないを作らないといけなくなりました。きっと夜遅くまでかかって、明日馬車で移動させられる間、うっかり寝てしまうかもしれません。もしそうなってしまったら、アガタさんには絶対に起きていてもらわないと、あの男達の思うがままにされてしまいます。アガタさんには今のうちにしっかり休んでもらって、明日に備えてもらいたいんです」
「……分かりました、奥様」

 アガタさんに先に休んでもらって、私は机に向かい、おまじないを作り始める。

(セス様……。きっと助けに来てくれますよね? それまで私、頑張りますから……!)

 心の中ではセス様に助けを求めながらも、私は自分でできることを考えながら、おまじないを描いていった。

 翌朝。

「魔獣排除の魔札はできているだろうな」

 開口一番におまじないを要求してきたヴァンスに、私は作った分を渡す。

「……おい、七枚しかないぞ! 残り三枚はどうした!」
「私が一日に十枚までしか作れないのは知っているのよね? 昨日の朝に三枚作っていたから、七枚までしかできないわ」
「本当にそうなのか? 嘘じゃないだろうな」

 嘘だ。
 だけど、本当のことはヴァンスには分からないだろう。疑いの目で見てくるヴァンスの目を、しっかりと正面から睨み返す。

「……まあいい。三枚くらい隠し持っていた所で、魔獣がひしめく森を抜けるには到底足りる訳がないからな。今日は見逃してやるが、明日からは必ず十枚出してもらうぞ」
「……」

(三枚、じゃなくて、五枚だけどね……)

 私が昨晩作ったおまじないは、十二枚だ。セス様に貰った、魔力を増強する効果のある魔石と、魔力不足の症状を軽減する効果がある魔石を使ったブローチは、今も私の胸元にある。魔石の効果を頼りにしすぎるとあまり良くないと分かっているが、この非常事態ではそうも言っていられまい。毎日少しずつ、隠し持っているおまじないを増やしていけば、いつかこの男達から逃げ出し、魔獣がいる森を抜けて、キンバリー辺境伯家に……セス様の所に、帰ることができるかもしれない。

 キーランが採取してきたらしい、その辺に生えている山菜と干し肉で作られたスープを胃に流し込むと、今日も馬車に乗せられる。

「ネーロ国までまだ距離がある。昨晩は魔札製造であまり寝ていないだろう。今晩も魔札を作るのだから、今のうちに寝ていてもいいぞ」
「……」
 薄気味悪い笑みを浮かべるヴァンスを睨みつける。

 こんな男がいる前で寝たくはなかったが、意地を張って無理して起きていたら、きっと徐々に憔悴していくだけだろう。逃げ出すにも体力がいる。いざと言う時の為に、できるだけ温存しておきたい。

「奥様、私が盾になりますので、どうぞ休んでください」
「ありがとうございます、アガタさん」

 ヴァンスの視線を避けるように、私はアガタさんの背後に隠れ、馬車に積んであった布にくるまって目を閉じた。

(緊張で眠れる気がしないけど、今のうちに寝ておかないと……)

 私はセス様を思い浮かべる。
 優しく微笑むセス様。頭を撫でてくれるセス様。温かく抱きしめてくれるセス様。
 昨日はサンドウィッチを食べて褒めてくれた。気を付けて帰れと言ってくれた。あの後、こんなことになってごめんなさい。今頃きっとハンナさんから知らせを聞いて、心配してくれているんだろうな……。

(大丈夫、セス様なら、きっと助けに来てくれるはず。魔獣なんか敵じゃないくらい、とても強いんだもの)

 セス様を想って、少し緊張が解れた私は、昨日の疲れが出たのか、そのままゆっくりと意識を手放していった。
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