【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

14.ネーロ国

 キンバリー辺境伯領から攫われて三日後、私達はようやく森を抜け、見通しの良い草地に出た。

(森を抜けたということは、とうとうネーロ国に入ったのかしら? でも、人がいる様子は全くないわね……)

 馬車から見える景色は、どこもかしこも草が生え放題になっている土地が広がっている。所々に廃墟や、民家か倉庫が破壊された後のような瓦礫が見えるが、人の気配は全くない。数十年前に滅びたとは聞いているが、本当にここがネーロ国なのだろうか?

「ここは……ネーロ国なのかしら?」
「民家だったような建物はありますけど、草だらけですね……」
 戸惑った表情のアガタさんも、同じ感想を抱いたようだ。

「数十年前に魔獣に襲われてから、長い間放置されていたからな。俺がやっとの思いで魔獣を追い払えるだけの魔札を作り、少人数でこの土地に帰って来られたのも、つい最近のことだ」
 ヴァンスの声色は、どこか悲しげだった。

(ここが、お母さんが生まれ育った地……)

 馬車の中から荒れ果てた畑を眺めていると、やがて風景は廃れた街に変わり、城壁が壊され、建物にも幾つか穴が開いている、崩れかけた城に到着した。

「着いたぞ。降りろ」

 ヴァンスに命じられ、渋々アガタさんと一緒に馬車を降りる。私達の到着に気付いたのか、城の中から数人の男女が姿を現した。白髪交じりの人もいるが、殆どが黒い髪と目をしている人々の中、一人だけ茶色の髪と目をした、赤ちゃんを抱いた若い女性が目に留まる。彼女と目が合ったかと思うと、何故か私は鋭く睨まれてしまった。

「「「お帰りなさいませ、ヴァンス陛下」」」
「今日から住民が二人増える。こっちの女は魔札が使える。部屋に案内してやれ」
「畏まりました」
 一人の女性が進み出てきて、私達と視線を合わせて微笑む。

「私はキーラと申します。宜しくお願い致します」
「……サラ・キンバリーです」
「……アガタです」

 キーラと名乗った、ハンナさんと同じくらいの五十代に見える女性は、何処となくキーランに似ていた。もしかしたら親子なのかもしれない、と思いながら、キーラさんに案内され、城の中に足を踏み入れる。廊下は所々壁に穴が開いていて、そこから見える庭は、畑になっていた。

「城内の瓦礫は片付け終わっておりますが、現在あちらこちらの損傷を修復している所ですので、足元にお気を付けください」
「……はい」
「こちらの建物はまだ形を保っておりますが、あちらの建物は倒壊する恐れがあるそうですので、近付かないでください」
「……はい」

(以前は立派なお城だったのでしょうけれど、今はどこもかしこもボロボロだわ。途中の民家だったような建物にも、人がいないみたいだった。人がいるのは、おそらくこのお城の中だけ。本当にこんな状態の国を、ヴァンスは再建するつもりなのかしら)

 階段の踊り場からは、数人が庭の畑で作業しているのが見えたけれども、城内の人も圧倒的に少ない。歩きながら観察しているうちに、目的地に辿り着いたようで、キーラさんが足を止めた。

「こちらがサラ様のお部屋になります」

 案内された部屋は、殺風景だが思ったより広く、元は客室だったように思えた。ベッドや机は古びてはいるが、綺麗に掃除されている。窓もあるが、錆び付いていて開かないみたいだ。

「サラ様にはこの部屋で、魔札を作っていただきます」
「……」

 つまり、私はこの部屋で、ヴァンスの思惑通り、ずっとおまじないを作らされるという訳だ。
 牢屋に閉じ込められる訳でも、部屋に鍵をかけられる訳でもないようだが、この城から脱出することは容易でも、周囲を魔獣が出現する森に囲まれたこの国から逃げ出すことは困難だ。行動範囲は広そうだが、監禁されていることに変わりはない。

「アガタさんは、他の場所をご案内いたしますのでこちらへ。それではサラ様、また後程参ります」
 キーラさんはアガタさんを連れて出ていった。

 彼らの言いなりになるのは癪に障るが、ここから脱出し、キンバリー辺境伯領に帰る為にも、魔除けのおまじないは必要だ。私は仕方なく机に向かい、今日の分を描き始める。

 数枚描き上げ、一息ついた所で、扉がノックされた。

「失礼致します。お茶をお持ち致しました」
 キーラさんがアガタさんを伴って入室してきた。

 用意してもらったお茶を口に含む。何かの薬草のお茶だろうか。苦くて美味しくなく、思わず顔を歪める。

「申し訳ございません。この辺りでは、あまり良い茶葉が育たないのです。こちらの薬草なら、この辺り一帯に自生しているので……。味は良くないのですが、疲労回復には効果があるので、移動でお疲れになったお身体には良いかと……」
 眉を下げるキーラさん。

「……そうなのですね」
(少なくとも、この人は私を持て成そうとしてくれているのかしら)

 誘拐されてから、ずっと神経を尖らせて警戒していたが、ネーロ国の人達全員が敵、という訳ではないのかも知れない。
 少しだけ肩の力が抜けた私は、苦みを我慢して、何とか薬草茶を飲み干した。

「……ご馳走様でした」

 私がカップを置いて口にすると、キーラさんは目を丸くし、懐かしそうに微笑みを浮かべた。

「サラ様は、マヤ様に似ておられますね」
 その言葉に、私は目を見開く。

「……母のことを、知っているんですか?」
 私の問いに、キーラさんはカップを片付けながら、ゆっくりと頷く。

「もう昔のことですが、私はこの王城で侍女として、王族の方々のお世話をしておりましたので。マヤ様のお世話もさせていただいたことがあります」
「そうだったんですね……。あの、母は、どんな人だったんですか?」
 私は思わず身を乗り出して尋ねていた。

 私はお母さんの過去を聞いたことがない。私が知っているお母さんは、フォスター伯爵領の大衆食堂で、ウエイトレスとして働いていた姿だけだ。お母さんが亡くなってから、私の父が当時のフォスター伯爵だったことを知ったし、お母さんがネーロ国の王族だったことを知ったのも、つい最近だ。
 お母さんと一緒にいたのは十年間だけだったとはいえ、あまりにも私はお母さんのことを知らなさすぎる。

(小さい頃は、お母さんの過去のことなんてあまり気にしていなかったし、お父さんのことを尋ねた時は、困ったような顔で微笑んで、大きくなったら教えてあげるから、って言われたものね……。お母さんを困らせたくなくて、それ以上は聞かなかったけど……)

 果たしてお母さんは、過去を聞かれたくなかったのか。それとも、私が大きくなったら本当に話してくれるつもりだったのか。今となっては、もう分からないけれど。

「そうですね。マヤ様は、とても芯の強い方でした」

 そう言って、キーラさんはお母さんのことを語り始めた。
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