【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
15.マヤ様
数十年前。
周囲を魔獣が出現する森に囲まれたネーロ国は、他国との交流が少なく、とても閉鎖的な国でした。北の地であるが故に、作物の実りも悪く、国民は皆貧しく、毎日細々と暮らしていました。
そんな生活に嫌気が差し、他国との物流を阻む魔獣を駆逐し、森を切り開いて国を広げ、豊かにしようと考えたのが、ヴァンス陛下の祖父である、当時の国王陛下でした。
ネーロ国は、王族にしか使えない魔札で守られ、森に棲む魔獣からの侵略を防いておりました。そこに目を付けた国王陛下は、魔札を量産し、魔獣を駆逐しようと考えたのです。
当然、その計画には大量の魔札が必要になります。そこで国王陛下は、王妃殿下だけでなく、側妃を大勢召し抱えられ、侍女達にも手を付け、沢山のお子様を作られました。王妃殿下や側妃の方々から生まれたお子様方は、魔札を作りながらも、王族としての教育も受けられたのですが、侍女達から生まれたお子様方は、最低限の教育しか受けられず、城の端に建てられた塔に閉じ込められ、一日中魔札を作らされていました。
侍女の一人から生まれたマヤ様も、塔で育ったお子様方のお一人でした。
あの頃、城で下働きの侍女だった私は、その働きを認められ、塔で過ごす王族の方々のお世話をする仕事に加えてもらえることになったばかりでした。
「本日からお世話させていただくことになりました、キーラと申します。宜しくお願い致します」
「……」
先輩方に連れられ、塔で過ごす王族の方々にご挨拶して回りましたが、皆様あまり生気がなく、無視をされたり、虚ろな目で一瞥されたりするだけで、ただ黙々と魔札を作っていらっしゃいました。
「……あの、皆様、あまりお元気ではないようにお見受けするのですが……」
「そりゃそうでしょうよ」
「王族なんて名ばかりで、塔の一室に閉じ込められて、毎日毎日魔札作りを強要される生活だものね……」
「あまり大きな声では言えないけれど、私だったら絶対にごめんだわ。気が狂いそう」
「……」
先輩方の言葉に心を痛めながら、最後のお一人のお部屋に伺いました。
「失礼致します。本日からお世話させていただきます、キーラと申します。宜しくお願い致します」
「そう。宜しくね」
無表情で、短い言葉ながらも、こちらを見ながらしっかりとした受け答えをしてくださったお姫様。辛い生活を強いられながらも、強い意志を秘めた瞳をされた、その方がマヤ様でした。
王族の方々に食事をお持ちしたり、お部屋をお掃除したり、でき上がった魔札を回収に伺ったりする中、他の方々は相変わらず無反応でしたが、マヤ様だけは、毎回挨拶をしたり、きちんとお礼を言ったりしてくださいました。
「失礼致します。お食事をお持ち致しました」
「ありがとう。そこに置いておいてちょうだい」
「畏まりました」
他の方々と同様、お辛い生活をされている筈なのに、それを感じさせないマヤ様を、私は密かに尊敬するようになりました。
「失礼致します。マヤ様、魔札を受け取りに参りました」
「はい、これが今日の分よ」
「ありがとうございます」
マヤ様を含む王族の方々が毎日作られる魔札のお蔭で、ネーロ国は順調に魔獣を追い払い、森を切り開き、徐々に領土を拡大していきました。他国との交流も、少しずつですが増えていきました。
「ねえ、あれは誰か知っている?」
ある日、お部屋にお伺いした時、珍しくマヤ様から質問をされました。マヤ様が差し示す窓の外を見てみると、見慣れない方が、大臣達に案内されながら、庭を散策していました。
「ああ、あの方は南にあるヴェルメリオ国から来られた、外交官のフォスター伯爵だそうです」
「そう……。外国の方が来られるなんて、珍しいわね」
「はい。魔札のお蔭で、隣国との行き来も今までよりしやすくなったそうで、今後の交易などについて交渉に来られたらしいですよ」
「ふうん……。ねえ、ヴェルメリオ国や、隣国について書かれた本ってないかしら? あったら読んでみたいわ」
「畏まりました。今度お持ち致します」
マヤ様に何かを頼まれることは初めてだったので、私は喜んで、ヴェルメリオ国や外国のことが詳しく書いてある本を探してお持ちしました。マヤ様は、毎日魔札を作り終えると、読書に励まれていたようです。
それから数年の月日が流れました。
ネーロ国の領土は拡大され、増えた土地では食料が実るようになり、生活は徐々に楽になっていきました。ネーロ国は、このまま豊かになっていく。皆、そう信じていたある日。
あのおぞましい日が、訪れてしまったのです。
当時は大混乱に陥り、状況が全く分からなかったので、後から聞いた話になるのですが、土地を奪われ、追いやられ続けた魔獣達が、魔札で守られた領土の外側、西の一ヶ所に多数集まったそうです。その結果、付近の魔札の効力が失われ、綻びが生じ、そこから魔獣達が一気にネーロ国に侵入してきました。
「キャアァァァ!?」
「何で魔獣達がここに!?」
「ウワアァァッ!? 誰か助けてくれ!!」
何の前触れもなく魔獣達に襲われ、皆必死で逃げましたが、大勢の人々が犠牲になりました。城でも、見張りが遠くから押し寄せてくる魔獣達に気付き、皆パニックに陥りました。
「へ、陛下!! 魔獣が押し寄せてきました!!」
「馬鹿な!? 魔獣排除の魔札がある限り、魔獣はこの国には入って来れんはず!」
「ですが、現に魔獣が襲ってきています!! お逃げください!!」
「何が起こっているのだ!?」
城中が上を下への大騒ぎになる中、私は塔の王族の方々に、急を知らせに走りました。
「魔獣が城に向かって来ています! お逃げください!!」
お部屋の扉を開けては叫び、開けては叫びを繰り返して、漸く全員に知らせ終わり、私自身も逃げようと、塔を脱出した時。
西から来る魔獣の反対側、東へと皆逃げる中、一人だけ南に逃げるマヤ様に気付きました。
(マヤ様!? 何故そちらに!?)
私は急いでマヤ様を追いかけます。
日々の労働で、私の足腰が鍛えられていたせいでしょうか。それとも、ずっと塔の一室に閉じ込められたマヤ様は、ろくに運動もできなかったせいでしょうか。私はマヤ様に、何とか追いつくことができました。
「マヤ様、何故そちらに逃げるのですか!? 皆と一緒にあちらに逃げましょう!」
「嫌よ! 私はもう、あんな所には戻らない!!」
それは初めて聞く、マヤ様の心からの叫びでした。常に感情を押し殺したような無表情だったマヤ様が、積年の怒りを隠そうともせず、必死の形相で声を張り上げます。
「私は自由になるの!! ずっと部屋に閉じ込められて、魔札を作るだけの奴隷なんて、もううんざりなのよ!! お願いよキーラ、見逃して! 私は魔獣に襲われて、死んだことにしてちょうだい!!」
「マヤ様……。ですが、森には魔獣が……。たったお一人で、隣国まで逃げられるなんて、とても思えません」
「大丈夫よ。こんな日がきた時の為に、数週間に一度、一枚だけ多く魔札を作って、ずっと隠し持ってきたんだから!!」
「……!!」
マヤ様の思いが痛いほど伝わってきて、私は思わず息を呑みました。
いつか、絶対にこの国から逃げる。
辛く苦しい日々の中、ただそれだけを希望にして、何年も前から少しずつ準備を重ねてきた、その覚悟が、マヤ様からは感じられました。
……私には、マヤ様のその思いを打ち砕くことは、とてもできませんでした。
「マヤ様……。どうぞ、ご無事で……!!」
「……! ありがとう、キーラ!!」
私は暫しその場に立ち尽くし、南の森を目指して懸命に走るマヤ様の背中を見送った後、踵を返して、東へ逃げる皆様に合流したのでした。
周囲を魔獣が出現する森に囲まれたネーロ国は、他国との交流が少なく、とても閉鎖的な国でした。北の地であるが故に、作物の実りも悪く、国民は皆貧しく、毎日細々と暮らしていました。
そんな生活に嫌気が差し、他国との物流を阻む魔獣を駆逐し、森を切り開いて国を広げ、豊かにしようと考えたのが、ヴァンス陛下の祖父である、当時の国王陛下でした。
ネーロ国は、王族にしか使えない魔札で守られ、森に棲む魔獣からの侵略を防いておりました。そこに目を付けた国王陛下は、魔札を量産し、魔獣を駆逐しようと考えたのです。
当然、その計画には大量の魔札が必要になります。そこで国王陛下は、王妃殿下だけでなく、側妃を大勢召し抱えられ、侍女達にも手を付け、沢山のお子様を作られました。王妃殿下や側妃の方々から生まれたお子様方は、魔札を作りながらも、王族としての教育も受けられたのですが、侍女達から生まれたお子様方は、最低限の教育しか受けられず、城の端に建てられた塔に閉じ込められ、一日中魔札を作らされていました。
侍女の一人から生まれたマヤ様も、塔で育ったお子様方のお一人でした。
あの頃、城で下働きの侍女だった私は、その働きを認められ、塔で過ごす王族の方々のお世話をする仕事に加えてもらえることになったばかりでした。
「本日からお世話させていただくことになりました、キーラと申します。宜しくお願い致します」
「……」
先輩方に連れられ、塔で過ごす王族の方々にご挨拶して回りましたが、皆様あまり生気がなく、無視をされたり、虚ろな目で一瞥されたりするだけで、ただ黙々と魔札を作っていらっしゃいました。
「……あの、皆様、あまりお元気ではないようにお見受けするのですが……」
「そりゃそうでしょうよ」
「王族なんて名ばかりで、塔の一室に閉じ込められて、毎日毎日魔札作りを強要される生活だものね……」
「あまり大きな声では言えないけれど、私だったら絶対にごめんだわ。気が狂いそう」
「……」
先輩方の言葉に心を痛めながら、最後のお一人のお部屋に伺いました。
「失礼致します。本日からお世話させていただきます、キーラと申します。宜しくお願い致します」
「そう。宜しくね」
無表情で、短い言葉ながらも、こちらを見ながらしっかりとした受け答えをしてくださったお姫様。辛い生活を強いられながらも、強い意志を秘めた瞳をされた、その方がマヤ様でした。
王族の方々に食事をお持ちしたり、お部屋をお掃除したり、でき上がった魔札を回収に伺ったりする中、他の方々は相変わらず無反応でしたが、マヤ様だけは、毎回挨拶をしたり、きちんとお礼を言ったりしてくださいました。
「失礼致します。お食事をお持ち致しました」
「ありがとう。そこに置いておいてちょうだい」
「畏まりました」
他の方々と同様、お辛い生活をされている筈なのに、それを感じさせないマヤ様を、私は密かに尊敬するようになりました。
「失礼致します。マヤ様、魔札を受け取りに参りました」
「はい、これが今日の分よ」
「ありがとうございます」
マヤ様を含む王族の方々が毎日作られる魔札のお蔭で、ネーロ国は順調に魔獣を追い払い、森を切り開き、徐々に領土を拡大していきました。他国との交流も、少しずつですが増えていきました。
「ねえ、あれは誰か知っている?」
ある日、お部屋にお伺いした時、珍しくマヤ様から質問をされました。マヤ様が差し示す窓の外を見てみると、見慣れない方が、大臣達に案内されながら、庭を散策していました。
「ああ、あの方は南にあるヴェルメリオ国から来られた、外交官のフォスター伯爵だそうです」
「そう……。外国の方が来られるなんて、珍しいわね」
「はい。魔札のお蔭で、隣国との行き来も今までよりしやすくなったそうで、今後の交易などについて交渉に来られたらしいですよ」
「ふうん……。ねえ、ヴェルメリオ国や、隣国について書かれた本ってないかしら? あったら読んでみたいわ」
「畏まりました。今度お持ち致します」
マヤ様に何かを頼まれることは初めてだったので、私は喜んで、ヴェルメリオ国や外国のことが詳しく書いてある本を探してお持ちしました。マヤ様は、毎日魔札を作り終えると、読書に励まれていたようです。
それから数年の月日が流れました。
ネーロ国の領土は拡大され、増えた土地では食料が実るようになり、生活は徐々に楽になっていきました。ネーロ国は、このまま豊かになっていく。皆、そう信じていたある日。
あのおぞましい日が、訪れてしまったのです。
当時は大混乱に陥り、状況が全く分からなかったので、後から聞いた話になるのですが、土地を奪われ、追いやられ続けた魔獣達が、魔札で守られた領土の外側、西の一ヶ所に多数集まったそうです。その結果、付近の魔札の効力が失われ、綻びが生じ、そこから魔獣達が一気にネーロ国に侵入してきました。
「キャアァァァ!?」
「何で魔獣達がここに!?」
「ウワアァァッ!? 誰か助けてくれ!!」
何の前触れもなく魔獣達に襲われ、皆必死で逃げましたが、大勢の人々が犠牲になりました。城でも、見張りが遠くから押し寄せてくる魔獣達に気付き、皆パニックに陥りました。
「へ、陛下!! 魔獣が押し寄せてきました!!」
「馬鹿な!? 魔獣排除の魔札がある限り、魔獣はこの国には入って来れんはず!」
「ですが、現に魔獣が襲ってきています!! お逃げください!!」
「何が起こっているのだ!?」
城中が上を下への大騒ぎになる中、私は塔の王族の方々に、急を知らせに走りました。
「魔獣が城に向かって来ています! お逃げください!!」
お部屋の扉を開けては叫び、開けては叫びを繰り返して、漸く全員に知らせ終わり、私自身も逃げようと、塔を脱出した時。
西から来る魔獣の反対側、東へと皆逃げる中、一人だけ南に逃げるマヤ様に気付きました。
(マヤ様!? 何故そちらに!?)
私は急いでマヤ様を追いかけます。
日々の労働で、私の足腰が鍛えられていたせいでしょうか。それとも、ずっと塔の一室に閉じ込められたマヤ様は、ろくに運動もできなかったせいでしょうか。私はマヤ様に、何とか追いつくことができました。
「マヤ様、何故そちらに逃げるのですか!? 皆と一緒にあちらに逃げましょう!」
「嫌よ! 私はもう、あんな所には戻らない!!」
それは初めて聞く、マヤ様の心からの叫びでした。常に感情を押し殺したような無表情だったマヤ様が、積年の怒りを隠そうともせず、必死の形相で声を張り上げます。
「私は自由になるの!! ずっと部屋に閉じ込められて、魔札を作るだけの奴隷なんて、もううんざりなのよ!! お願いよキーラ、見逃して! 私は魔獣に襲われて、死んだことにしてちょうだい!!」
「マヤ様……。ですが、森には魔獣が……。たったお一人で、隣国まで逃げられるなんて、とても思えません」
「大丈夫よ。こんな日がきた時の為に、数週間に一度、一枚だけ多く魔札を作って、ずっと隠し持ってきたんだから!!」
「……!!」
マヤ様の思いが痛いほど伝わってきて、私は思わず息を呑みました。
いつか、絶対にこの国から逃げる。
辛く苦しい日々の中、ただそれだけを希望にして、何年も前から少しずつ準備を重ねてきた、その覚悟が、マヤ様からは感じられました。
……私には、マヤ様のその思いを打ち砕くことは、とてもできませんでした。
「マヤ様……。どうぞ、ご無事で……!!」
「……! ありがとう、キーラ!!」
私は暫しその場に立ち尽くし、南の森を目指して懸命に走るマヤ様の背中を見送った後、踵を返して、東へ逃げる皆様に合流したのでした。