【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
16.氷の壁
「……その後のマヤ様のことは、私は存じ上げません。できることならもう一度、お目にかかりたいと思っていたのですが……」
キーラさんが残念そうに話し終え、口を噤む。
(そうだったんだ……)
お母さんの過酷な過去を聞いて、私は暫く何も言えなかった。
ずっと長い間、一室に閉じ込められ、まるで奴隷のような生活を強いられてきた人々は、どれ程辛かっただろう。殆どの人達が、無気力で、生気がなくなってしまう程だなんて。
だけど、そんな中でも、希望を胸にひたすら耐えて毅然と振る舞い、ネーロ国からの逃亡を成功させたお母さんを、私は誇りに思う。
(私とお母さんは、確かに似ているのかもしれないわね。絶対にここから逃げ出したいと思っている所とか、少しずつおまじないをためて機会を窺っていた所とか)
新たにお母さんの一面を知って、私は表情を緩める。
「ありがとうございます、キーラさん。母のことを知れて、嬉しかったです」
「お役に立てていれば、何よりです」
キーラさんは微笑みを浮かべて、一礼すると、アガタさんと共に退室していった。残された私は、再び机に向かい、決意を新たに、作業を再開する。
(私も、お母さんみたいに、必ずここから脱出するわ。絶対にセス様のもとに帰ってみせる!)
日が沈み、部屋が暗くなってきた頃、扉がノックされた。
「失礼致します。サラ様、夕食をお持ち致しました」
「ありがとうございます」
カチカチに硬くなったパンに、山菜が気持ちばかり浮かんだスープ、木の実や茸のサラダ、少しばかりのお肉。質素に思えるけれど、ここは食料を手に入れるだけでも大変そうなことを考えれば、豪華な食事なのかもしれない。
私は残さず平らげ、またおまじない作りに戻る。
(これで、十三枚……)
魔石のお蔭で、今日も多めに作ることができた。疲れは感じるけれども、もう一枚作れないかな、と思った時。
コンコン、とノックの音が響き、ビックリした私は咄嗟におまじないの一部を鷲掴みにして、服の中に隠す。
「失礼致します、サラ様。ヴァンス陛下がお呼びでございます」
入室してきたキーラさんの言葉に、私は思わず顔を引きつらせた。
「……どうして、わざわざ呼びつけるのかしら。おまじないなら、今日の分は作り終えたから、持って行ってもらえますか」
私を誘拐したヴァンスの顔なんて、もう見たくもないのだけれど。
「ですが、サラ様をお呼びで……。魔札も持ってくるようにと……」
困ったような表情のキーラさんを見て、私は小さく溜息をつき、仕方なく腰を上げる。そのままキーラさんにヴァンスの部屋まで案内してもらった。
「失礼致します。サラ様をお連れ致しました」
「入れ」
キーラさんが扉を開けると、昼間に会った、赤ちゃんを抱いた茶髪の若い女性が部屋から出て来た。目にうっすら涙を浮かべた女性は私に気付くと、思い切り睨みつけてきた。
「あんたさえ……あんたさえ来なければ!!」
「ブルーナ様、落ち着いてください」
キーラさんが素早く私の前に立つ。
「ウエェ……オギャアァッ」
「ああ……。ごめんね、驚いたね。よしよし……」
腕の中で泣き出した赤ちゃんをあやしながら、女性は私達に背を向けた。
「今の女性は……?」
立ち去る女性を見送りながら、私はキーラさんに小声で尋ねる。
「ヴァンス陛下の奥様のブルーナ様です。お二人のお子様のブライス殿下のお世話で、今は多少情緒不安定になっておられますが、お気になさらないでください」
「そ、そう……」
何故か敵意を向けられていたけれども、私だって、ヴァンスとキーランに無理矢理連れて来られたのにな、と肩を落とす。夜に、妻である自分以外の別の女性が、夫の部屋に入るのを快く思っていない、ということなのだろうか、なんて思いながら、キーラさんに促され、重い足取りで部屋に入った。
ヴァンスの部屋は、私の部屋よりも階上にあり、大分広いものの、古びた大きな机とソファーが置いてあるだけで、かなり殺風景だった。部屋に入らずに一礼して扉を閉めるキーラさんを横目に、机に向かっているヴァンスに歩み寄る。
「魔札は持ってきたか?」
ヴァンスに催促され、私はおまじないを取り出す。先程この部屋まで先導してくれるキーラさんの後ろを歩きながら、こっそり枚数を調整したので、十枚ぴったりをヴァンスに差し出した。
「フン……。確かに十枚だな」
ヴァンスは枚数を確認し、机の上に置く。
「用が済んだなら、もう部屋に戻ってもいいかしら」
「何を言う。魔札を回収する為だけに、わざわざお前を呼びつけたと思っているのか? 本当の用はこれからだ」
ヴァンスは立ち上がり、隣の部屋へと続く扉を開けた。
「入れ」
ヴァンスに命令されたけれども、私は青褪めて硬直したまま動かなかった。
隣の部屋には、大きなベッドが置かれている。つまり、寝室だ。こんな時間に、夫でもない男性の寝室になんて、絶対に入りたくない。
(ヴァンスの用って、まさか……!?)
嫌な考えが脳裏をよぎり、私は思わずヴァンスを睨みながら後退る。
「仕方ないだろう。俺だってお前みたいな貧相な女など抱きたくないが、王族の血が濃ければ濃い程、魔札を沢山作れる子が生まれるからな」
「ふざけないで!! 絶対に嫌よ!!」
怒りに駆られた私は猛抗議したが、ヴァンスはゆっくりと私に歩み寄って来る。
「貴方だって、奥さんも子供もいるでしょうが!! 一体何を考えているのよ!!」
「ブルーナは避難先の隣国の出身だ。王族の血が薄まる分、ブライスの魔力も弱いだろうな。現時点では、王族の血を引く俺とお前で、魔力が強い子を作るのが、ネーロ国再建への近道だ」
「冗談じゃないわよ!! 私に触れていいのは、セス様だけなんだから!!」
私は身を翻し、一目散に扉を目指す。だけど、開けようとした扉は、後ろから伸びてきたヴァンスの手に押さえつけられてしまった。
「ネーロ国の繁栄の為だ。諦めて大人しくしろ!」
「……ッ!!」
ヴァンスの手が伸びてきて、私がギュッと目を瞑った時。
バキイィィィン!!
以前聞いたような音がして、恐る恐る目を開けてみると、私とヴァンスの間には、氷の壁が展開されていた。
「な、何だこれは!?」
(セス様……!!)
すぐに、家宝のネックレスとイヤリングが、私を守ってくれたのだと気付いた。フォスター伯爵領でのセス様の言葉が、脳裏に蘇る。
『サラ、これからは毎日、魔石の装飾品は全て着けるようにしろ』
(ありがとうございます、セス様!!)
たとえそばにいなくても、セス様は、いつも私を守ってくれる。
ヴァンスが驚いている隙に扉を開け、廊下に脱出する。
「ッ! 待て!!」
(誰が待つもんですか! こんな所、もう一秒だっていたくないわ!)
ヴァンスの叫び声を後ろに聞きながら、階段を転がり落ちるように駆け下り、割り当てられた部屋に駆け込む。引き出しに隠しておいたおまじないも懐に入れ、部屋を出たら、ヴァンスがすぐそこまで追い付いてきていた。
「手間をかけさせやがって……! お前、いい加減にしろ!!」
「……ッ!!」
バキイィィィン!!
ヴァンスに腕を掴まれそうになった所で、また氷の壁がヴァンスを遮り、私を助けてくれる。
(セス様……! ありがとうございます!!)
魔石の効果はてっきり一回だけかと思っていたので、二回も氷の壁に守ってもらえたことに驚きながら、私は必死に廊下を走る。こんなことなら、何回氷の壁を出現させられるのか、セス様に詳しく聞いておけばよかった。
「クソッ!! 誰かいるか!? サラを捕らえろ!!」
ヴァンスが背後で叫ぶ中、私は階段を駆け下りて一階に辿り着く。だけど廊下には数人が出てきていて、私を見つけて走ってきた。無我夢中で壁の穴を通り抜けて庭に逃げるが、男の人達の足の方が圧倒的に速い。
(このままじゃ追い付かれる……!)
見通しの良い廊下や庭を走っていたのでは、すぐに追い付かれると思った私は、キーラさんに倒壊する恐れがあるから近付くな、と忠告された建物に駆け込んだのだった。
キーラさんが残念そうに話し終え、口を噤む。
(そうだったんだ……)
お母さんの過酷な過去を聞いて、私は暫く何も言えなかった。
ずっと長い間、一室に閉じ込められ、まるで奴隷のような生活を強いられてきた人々は、どれ程辛かっただろう。殆どの人達が、無気力で、生気がなくなってしまう程だなんて。
だけど、そんな中でも、希望を胸にひたすら耐えて毅然と振る舞い、ネーロ国からの逃亡を成功させたお母さんを、私は誇りに思う。
(私とお母さんは、確かに似ているのかもしれないわね。絶対にここから逃げ出したいと思っている所とか、少しずつおまじないをためて機会を窺っていた所とか)
新たにお母さんの一面を知って、私は表情を緩める。
「ありがとうございます、キーラさん。母のことを知れて、嬉しかったです」
「お役に立てていれば、何よりです」
キーラさんは微笑みを浮かべて、一礼すると、アガタさんと共に退室していった。残された私は、再び机に向かい、決意を新たに、作業を再開する。
(私も、お母さんみたいに、必ずここから脱出するわ。絶対にセス様のもとに帰ってみせる!)
日が沈み、部屋が暗くなってきた頃、扉がノックされた。
「失礼致します。サラ様、夕食をお持ち致しました」
「ありがとうございます」
カチカチに硬くなったパンに、山菜が気持ちばかり浮かんだスープ、木の実や茸のサラダ、少しばかりのお肉。質素に思えるけれど、ここは食料を手に入れるだけでも大変そうなことを考えれば、豪華な食事なのかもしれない。
私は残さず平らげ、またおまじない作りに戻る。
(これで、十三枚……)
魔石のお蔭で、今日も多めに作ることができた。疲れは感じるけれども、もう一枚作れないかな、と思った時。
コンコン、とノックの音が響き、ビックリした私は咄嗟におまじないの一部を鷲掴みにして、服の中に隠す。
「失礼致します、サラ様。ヴァンス陛下がお呼びでございます」
入室してきたキーラさんの言葉に、私は思わず顔を引きつらせた。
「……どうして、わざわざ呼びつけるのかしら。おまじないなら、今日の分は作り終えたから、持って行ってもらえますか」
私を誘拐したヴァンスの顔なんて、もう見たくもないのだけれど。
「ですが、サラ様をお呼びで……。魔札も持ってくるようにと……」
困ったような表情のキーラさんを見て、私は小さく溜息をつき、仕方なく腰を上げる。そのままキーラさんにヴァンスの部屋まで案内してもらった。
「失礼致します。サラ様をお連れ致しました」
「入れ」
キーラさんが扉を開けると、昼間に会った、赤ちゃんを抱いた茶髪の若い女性が部屋から出て来た。目にうっすら涙を浮かべた女性は私に気付くと、思い切り睨みつけてきた。
「あんたさえ……あんたさえ来なければ!!」
「ブルーナ様、落ち着いてください」
キーラさんが素早く私の前に立つ。
「ウエェ……オギャアァッ」
「ああ……。ごめんね、驚いたね。よしよし……」
腕の中で泣き出した赤ちゃんをあやしながら、女性は私達に背を向けた。
「今の女性は……?」
立ち去る女性を見送りながら、私はキーラさんに小声で尋ねる。
「ヴァンス陛下の奥様のブルーナ様です。お二人のお子様のブライス殿下のお世話で、今は多少情緒不安定になっておられますが、お気になさらないでください」
「そ、そう……」
何故か敵意を向けられていたけれども、私だって、ヴァンスとキーランに無理矢理連れて来られたのにな、と肩を落とす。夜に、妻である自分以外の別の女性が、夫の部屋に入るのを快く思っていない、ということなのだろうか、なんて思いながら、キーラさんに促され、重い足取りで部屋に入った。
ヴァンスの部屋は、私の部屋よりも階上にあり、大分広いものの、古びた大きな机とソファーが置いてあるだけで、かなり殺風景だった。部屋に入らずに一礼して扉を閉めるキーラさんを横目に、机に向かっているヴァンスに歩み寄る。
「魔札は持ってきたか?」
ヴァンスに催促され、私はおまじないを取り出す。先程この部屋まで先導してくれるキーラさんの後ろを歩きながら、こっそり枚数を調整したので、十枚ぴったりをヴァンスに差し出した。
「フン……。確かに十枚だな」
ヴァンスは枚数を確認し、机の上に置く。
「用が済んだなら、もう部屋に戻ってもいいかしら」
「何を言う。魔札を回収する為だけに、わざわざお前を呼びつけたと思っているのか? 本当の用はこれからだ」
ヴァンスは立ち上がり、隣の部屋へと続く扉を開けた。
「入れ」
ヴァンスに命令されたけれども、私は青褪めて硬直したまま動かなかった。
隣の部屋には、大きなベッドが置かれている。つまり、寝室だ。こんな時間に、夫でもない男性の寝室になんて、絶対に入りたくない。
(ヴァンスの用って、まさか……!?)
嫌な考えが脳裏をよぎり、私は思わずヴァンスを睨みながら後退る。
「仕方ないだろう。俺だってお前みたいな貧相な女など抱きたくないが、王族の血が濃ければ濃い程、魔札を沢山作れる子が生まれるからな」
「ふざけないで!! 絶対に嫌よ!!」
怒りに駆られた私は猛抗議したが、ヴァンスはゆっくりと私に歩み寄って来る。
「貴方だって、奥さんも子供もいるでしょうが!! 一体何を考えているのよ!!」
「ブルーナは避難先の隣国の出身だ。王族の血が薄まる分、ブライスの魔力も弱いだろうな。現時点では、王族の血を引く俺とお前で、魔力が強い子を作るのが、ネーロ国再建への近道だ」
「冗談じゃないわよ!! 私に触れていいのは、セス様だけなんだから!!」
私は身を翻し、一目散に扉を目指す。だけど、開けようとした扉は、後ろから伸びてきたヴァンスの手に押さえつけられてしまった。
「ネーロ国の繁栄の為だ。諦めて大人しくしろ!」
「……ッ!!」
ヴァンスの手が伸びてきて、私がギュッと目を瞑った時。
バキイィィィン!!
以前聞いたような音がして、恐る恐る目を開けてみると、私とヴァンスの間には、氷の壁が展開されていた。
「な、何だこれは!?」
(セス様……!!)
すぐに、家宝のネックレスとイヤリングが、私を守ってくれたのだと気付いた。フォスター伯爵領でのセス様の言葉が、脳裏に蘇る。
『サラ、これからは毎日、魔石の装飾品は全て着けるようにしろ』
(ありがとうございます、セス様!!)
たとえそばにいなくても、セス様は、いつも私を守ってくれる。
ヴァンスが驚いている隙に扉を開け、廊下に脱出する。
「ッ! 待て!!」
(誰が待つもんですか! こんな所、もう一秒だっていたくないわ!)
ヴァンスの叫び声を後ろに聞きながら、階段を転がり落ちるように駆け下り、割り当てられた部屋に駆け込む。引き出しに隠しておいたおまじないも懐に入れ、部屋を出たら、ヴァンスがすぐそこまで追い付いてきていた。
「手間をかけさせやがって……! お前、いい加減にしろ!!」
「……ッ!!」
バキイィィィン!!
ヴァンスに腕を掴まれそうになった所で、また氷の壁がヴァンスを遮り、私を助けてくれる。
(セス様……! ありがとうございます!!)
魔石の効果はてっきり一回だけかと思っていたので、二回も氷の壁に守ってもらえたことに驚きながら、私は必死に廊下を走る。こんなことなら、何回氷の壁を出現させられるのか、セス様に詳しく聞いておけばよかった。
「クソッ!! 誰かいるか!? サラを捕らえろ!!」
ヴァンスが背後で叫ぶ中、私は階段を駆け下りて一階に辿り着く。だけど廊下には数人が出てきていて、私を見つけて走ってきた。無我夢中で壁の穴を通り抜けて庭に逃げるが、男の人達の足の方が圧倒的に速い。
(このままじゃ追い付かれる……!)
見通しの良い廊下や庭を走っていたのでは、すぐに追い付かれると思った私は、キーラさんに倒壊する恐れがあるから近付くな、と忠告された建物に駆け込んだのだった。