【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
17.魔札の本
床も壁も天井も、あちこちヒビと穴だらけで、今にも崩れそうな建物に恐怖を覚える。だけど、絶対に捕まりたくないと、竦みそうになる足を懸命に動かして、私は月明りを頼りに瓦礫を飛び越え、壁の穴から部屋に入ったり出たりしながら、必死になって逃げ回った。
「おい、どこに行った!?」
「くそ、お前達はそっちから行け! 俺はこの部屋を確認してから行く!」
「暗くてよく見えないな。誰か灯りを持ってきてくれ!」
どうやら、追っ手は私の姿を見失ったみたいだ。少し肩の力が抜ける。
前方に比較的被害が少なそうな部屋を見つけた私は、その部屋に駆け込み、壁に隠れて息を整えた。
(どうしよう……。このまま逃げ回り続けるなんて、流石に無理よね……)
夜のうちは暗闇を利用して、上手く姿を隠せるかもしれないが、夜が明けて手分けして捜されたら、すぐに見つかってしまうだろう。こうなったら夜の間にネーロ国を脱出して、森に逃げ込みたい所だけれど、手元にある分の魔除けのおまじないだけでは、ヴェルメリオ国に辿り着く前に効果を使い切ってしまい、魔獣に襲われて一巻の終わりだ。それに、アガタさんをここに残したまま、私だけ逃げる訳にもいかない。
だけど、このままだと私は追っ手に捕まり、ヴァンスの寝室に連れ戻されてしまう。
それだけは嫌だ。絶対に捕まる訳にはいかない!
「いたか!?」
「いや、こっちにはいない!」
追っ手の声が少しずつ近付いてきた。もうすぐここにも捜しに来るだろう、と私はその場を離れかけて、あちこちに散らばっている大量の本に気付いた。よく見ると、部屋の奥には沢山の本棚がある。
(ここ……図書室か何かだったのかしら?)
月明りに照らされている、開いたまま落ちている本の一冊が、私の目に留まった。おまじないとよく似ている模様が描かれている本を、私は思わず拾い上げる。
(これは……『魔獣結界の魔札』……?)
本に書かれている文字は、以前魔法研究所でエマ様に見せてもらった資料にあった、ネーロ国の古代文字で書かれているみたいで、殆ど分からなかった。だけど、所々現代語に訳されている部分があり、私もその模様の効果は、何となく想像ができた。
「そっちはどうだ!?」
「いや、この部屋にはいない!」
いつの間にか追っ手の声がすぐ近くまで迫ってきていて、ついつい本に見入ってしまっていた私は、我に返って慌てる。倒れかけている奥の本棚と瓦礫の間に小さな隙間を見つけて逃げ込み、落ちていた本を本棚に並べたり、床や瓦礫の上に積み上げたりして、少しでも身を隠そうとした。
「この部屋を頼む。俺はあっちの部屋を調べる」
「分かった」
部屋の入り口から灯りが揺らめきながらこちらに向かって来て、私は身を縮めて息を潜める。
(どうか、見つかりませんように!)
足音が徐々に近づいてきて、私は全身を硬直させて息を詰めた。
「うわっ!?」
ドサァッ!
何かにつまずいたのか、叫び声と転んだような音がした直後。
ガラガラガラッ!!
「グァッ!!」
何かが崩れるような音と呻き声が聞こえて、辺りはシーンと静かになった。
(え……!? まさか、壁か何かが崩れて、その下敷きになったとか……!?)
私は恐る恐る、本を少しずらして、その隙間から周囲の様子を窺う。灯りが床に落ちていて、瓦礫の下に倒れている男性が照らし出されていた。
「……!!」
私は思わず隙間から飛び出て、男性に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
男性に話しかけながら、上に乗っている瓦礫を取り除いていく。だけど、男性の反応はなく、頭部からは血が流れ出していた。
「おい、何か大きな音がしたけど、大丈夫か!?」
入口の方から声がして、私は叫ぶ。
「男の人が瓦礫の下敷きになっています! 助けてください!!」
「何っ!? ……え、サラ様!?」
部屋に入って来た男の人達に驚かれて、そういえば私は逃走中なんだった、と思い出した。だけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「頭を怪我しているみたいなんです! 皆さん手伝ってください!」
「わ、分かりました!」
「おい、大丈夫か!?」
「他の奴らも呼んできてくれ!」
皆で力を合わせて、次々に瓦礫を取り除いていく。後から数人の男性達も加わってくれて、程なくして男性の上に乗っていた瓦礫は、全て取り除くことができた。
「おい、しっかりしろ!」
「とりあえず、怪我の手当てを!」
「あの、ここにお医者様は!?」
私が尋ねると、皆顔を暗くして首を横に振る。
「ここにはいない。できる範囲で手当てをして、ベッドに運んで寝かしておくしか方法はないな」
「そんな……!」
返ってきた答えに、私は愕然とする。
「……だったら、私が治癒のおまじないを描きます。急いで部屋に戻って描いてくるので、その人をベッドに運んであげてください!」
私が宣言すると、皆一様に驚きの表情を浮かべた。
流石に月明りだけで、ペンもないこの状況では、おまじないは描けない。急いで部屋に戻ろうとしたけれど、一人の男性が慌てたように私の前に立ちはだかった。
「い……いやいやいや、そう言ってまた逃げるつもりなんじゃないですか? 俺達みたいな平民に、魔札を描いていただくなんて……有り得ないですし」
「え……?」
「そ……そうですよ。魔札はとても貴重なんだ。魔傷治癒の魔札なんて、自由に使えるのは王族の方々くらいで、高位貴族だって大金をはたいて、やっと一枚もらえるかどうかだってのに……」
戸惑いを浮かべながら、他の人達も私を逃がさないように徐々に囲み始める。
(人の命がかかっていて、一刻を争う事態なのに……!)
言い争っている時間が惜しくて、私は男の人達を睨みつける。
「ここでのおまじないの価値なんて、私は知りませんし、大怪我している人を、このまま見過ごすなんてできません! 疑うなら部屋までついて来て見張ってくれても構いませんから、私の邪魔をしないでください!!」
私が語気を強めると、皆が少し怯んだ。その隙に、私は男の人達の間をすり抜けて走り出す。
「その人を、安全な場所に運んでおいてください!!」
そう言い捨てて、私は自分の部屋を目指して走った。少し遅れて、誰かが追いかけてくるような足音が聞こえてきたけれども、構うものか。
私はそのまま部屋に駆け込み、明かりをつけて紙とペンを取り出し、治癒のおまじないを描き始めた。
「おい、どこに行った!?」
「くそ、お前達はそっちから行け! 俺はこの部屋を確認してから行く!」
「暗くてよく見えないな。誰か灯りを持ってきてくれ!」
どうやら、追っ手は私の姿を見失ったみたいだ。少し肩の力が抜ける。
前方に比較的被害が少なそうな部屋を見つけた私は、その部屋に駆け込み、壁に隠れて息を整えた。
(どうしよう……。このまま逃げ回り続けるなんて、流石に無理よね……)
夜のうちは暗闇を利用して、上手く姿を隠せるかもしれないが、夜が明けて手分けして捜されたら、すぐに見つかってしまうだろう。こうなったら夜の間にネーロ国を脱出して、森に逃げ込みたい所だけれど、手元にある分の魔除けのおまじないだけでは、ヴェルメリオ国に辿り着く前に効果を使い切ってしまい、魔獣に襲われて一巻の終わりだ。それに、アガタさんをここに残したまま、私だけ逃げる訳にもいかない。
だけど、このままだと私は追っ手に捕まり、ヴァンスの寝室に連れ戻されてしまう。
それだけは嫌だ。絶対に捕まる訳にはいかない!
「いたか!?」
「いや、こっちにはいない!」
追っ手の声が少しずつ近付いてきた。もうすぐここにも捜しに来るだろう、と私はその場を離れかけて、あちこちに散らばっている大量の本に気付いた。よく見ると、部屋の奥には沢山の本棚がある。
(ここ……図書室か何かだったのかしら?)
月明りに照らされている、開いたまま落ちている本の一冊が、私の目に留まった。おまじないとよく似ている模様が描かれている本を、私は思わず拾い上げる。
(これは……『魔獣結界の魔札』……?)
本に書かれている文字は、以前魔法研究所でエマ様に見せてもらった資料にあった、ネーロ国の古代文字で書かれているみたいで、殆ど分からなかった。だけど、所々現代語に訳されている部分があり、私もその模様の効果は、何となく想像ができた。
「そっちはどうだ!?」
「いや、この部屋にはいない!」
いつの間にか追っ手の声がすぐ近くまで迫ってきていて、ついつい本に見入ってしまっていた私は、我に返って慌てる。倒れかけている奥の本棚と瓦礫の間に小さな隙間を見つけて逃げ込み、落ちていた本を本棚に並べたり、床や瓦礫の上に積み上げたりして、少しでも身を隠そうとした。
「この部屋を頼む。俺はあっちの部屋を調べる」
「分かった」
部屋の入り口から灯りが揺らめきながらこちらに向かって来て、私は身を縮めて息を潜める。
(どうか、見つかりませんように!)
足音が徐々に近づいてきて、私は全身を硬直させて息を詰めた。
「うわっ!?」
ドサァッ!
何かにつまずいたのか、叫び声と転んだような音がした直後。
ガラガラガラッ!!
「グァッ!!」
何かが崩れるような音と呻き声が聞こえて、辺りはシーンと静かになった。
(え……!? まさか、壁か何かが崩れて、その下敷きになったとか……!?)
私は恐る恐る、本を少しずらして、その隙間から周囲の様子を窺う。灯りが床に落ちていて、瓦礫の下に倒れている男性が照らし出されていた。
「……!!」
私は思わず隙間から飛び出て、男性に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
男性に話しかけながら、上に乗っている瓦礫を取り除いていく。だけど、男性の反応はなく、頭部からは血が流れ出していた。
「おい、何か大きな音がしたけど、大丈夫か!?」
入口の方から声がして、私は叫ぶ。
「男の人が瓦礫の下敷きになっています! 助けてください!!」
「何っ!? ……え、サラ様!?」
部屋に入って来た男の人達に驚かれて、そういえば私は逃走中なんだった、と思い出した。だけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「頭を怪我しているみたいなんです! 皆さん手伝ってください!」
「わ、分かりました!」
「おい、大丈夫か!?」
「他の奴らも呼んできてくれ!」
皆で力を合わせて、次々に瓦礫を取り除いていく。後から数人の男性達も加わってくれて、程なくして男性の上に乗っていた瓦礫は、全て取り除くことができた。
「おい、しっかりしろ!」
「とりあえず、怪我の手当てを!」
「あの、ここにお医者様は!?」
私が尋ねると、皆顔を暗くして首を横に振る。
「ここにはいない。できる範囲で手当てをして、ベッドに運んで寝かしておくしか方法はないな」
「そんな……!」
返ってきた答えに、私は愕然とする。
「……だったら、私が治癒のおまじないを描きます。急いで部屋に戻って描いてくるので、その人をベッドに運んであげてください!」
私が宣言すると、皆一様に驚きの表情を浮かべた。
流石に月明りだけで、ペンもないこの状況では、おまじないは描けない。急いで部屋に戻ろうとしたけれど、一人の男性が慌てたように私の前に立ちはだかった。
「い……いやいやいや、そう言ってまた逃げるつもりなんじゃないですか? 俺達みたいな平民に、魔札を描いていただくなんて……有り得ないですし」
「え……?」
「そ……そうですよ。魔札はとても貴重なんだ。魔傷治癒の魔札なんて、自由に使えるのは王族の方々くらいで、高位貴族だって大金をはたいて、やっと一枚もらえるかどうかだってのに……」
戸惑いを浮かべながら、他の人達も私を逃がさないように徐々に囲み始める。
(人の命がかかっていて、一刻を争う事態なのに……!)
言い争っている時間が惜しくて、私は男の人達を睨みつける。
「ここでのおまじないの価値なんて、私は知りませんし、大怪我している人を、このまま見過ごすなんてできません! 疑うなら部屋までついて来て見張ってくれても構いませんから、私の邪魔をしないでください!!」
私が語気を強めると、皆が少し怯んだ。その隙に、私は男の人達の間をすり抜けて走り出す。
「その人を、安全な場所に運んでおいてください!!」
そう言い捨てて、私は自分の部屋を目指して走った。少し遅れて、誰かが追いかけてくるような足音が聞こえてきたけれども、構うものか。
私はそのまま部屋に駆け込み、明かりをつけて紙とペンを取り出し、治癒のおまじないを描き始めた。