【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
23.ヴァンス・ネーロ
「その……悪かった」
部屋に三人だけになると、項垂れたヴァンスがぽつりと呟いた。
「俺のせいで、お前には怖い思いをさせた」
「……本当だわ」
いきなりこの男に誘拐され、奴隷扱いされた上に襲われかけ、魔獣に追いかけられる羽目になって命の危険さえ感じたのだから、謝られた所でそう簡単には許せない。だけど、傲岸不遜で人に頭を下げることなど到底しそうにないこの男が、意外にも謝ったことに関しては、多少は評価してもいいのかもしれない。
「……俺は自分を過信していた。俺は歴代の王族の中でも、魔札を作れる枚数が多いらしくて、幼い頃から天才だ神童だと持てはやされていたんだ。俺自身が物心ついた頃には、既にネーロ国は滅びていたから、正統なる王族だなんて、まるで実感がなかったんだがな」
項垂れたまま、少しずつ語り始めたヴァンスに、私は静かに耳を傾ける。
「生き残りの連中が、密かにネーロ国の再興を期待する声を耳にしているうちに、いつしか俺自身もその気になって、ネーロ国の国王という立場に執着するようになっていた。長い年月をかけて魔札を大量に作り、全員を連れてネーロ国に帰還したはいいが、俺一人が作る魔札だけでは、城周辺の国土の一部の維持がやっとだった。食料も少ない人数での自給自足では不足しがちで、これでは到底国の復興とは言えない現実を目の当たりにして、自分の力の無さを痛感した。そんな時、食料を求めて森を南下し、ヴェルメリオ国付近まで来た辺りで、俺のものではない魔札を目にしたんだ」
ヴァンスが言っているのは、魔獣がキンバリー辺境伯領に近付かないよう、国境付近の森に仕掛けられた、私のおまじないのことだろう。
「ヴェルメリオ国には、俺の他にも、ネーロ国王族の生き残りがいるのだろうと思った。ならばそいつをネーロ国に連れ戻し、国の再興に協力させればいいと考えたんだ」
「……それで私のことを調べて、誘拐して、ここに連れて来たという訳ね」
「ああ。だが、お前と二人でも、力不足だということが分かった。二人分の魔札を仕掛けても、魔獣に突破されてしまったからな。お前がヴェルメリオ国に帰ると言うのなら、俺達がこのままこの土地に留まっても、いずれは魔獣に襲われて全滅するだろう。もしかしたら、食料がなくて飢える方が先かもしれないがな」
「……」
以前とは別人のように、力無く語るヴァンスに、私も何だか胸が締め付けられてしまう。
「ネーロ国の再興は、俺の……俺達の悲願ではあったが、恐らく残りの連中も皆、夢のまた夢だったと、薄々気付いているだろう。このままここに留まって、魔獣の餌になるか飢え死にするよりは、お前達と一緒に、ヴェルメリオ国に連れて行ってはもらえないだろうか」
ヴァンスの頼みに、私はセス様を振り返る。セス様は黙って頷いてくれた。
「私達は勿論いいけれど……貴方は本当にそれでいいの?」
私の問いに、ヴァンスは唇を噛む。
「以前、あの人達は、貧しくても苦しくても、この土地に連れ戻してくれた貴方に、本当に感謝しているように見えたわ。ネーロ国の再建を目指す貴方の力になりたいって……。そんな人達が、ヴェルメリオ国への移住を、望むとは思えないのだけれど……」
私の言葉に、ヴァンスは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「俺だって……っ! 俺だって、再興できるものならしたいに決まっているだろう!! だが、現実はどうだ。お前の力を借りても、魔獣に侵入され、お前達の軍隊が来なかったら、俺達は魔獣に殺されて全滅していたんだ。これ以上この地に留まって再興を目指しても、先は見えている……!!」
悔しそうに拳を握り締め、心情を吐露するヴァンスを見ていれば、本心ではネーロ国の再興を目指したいことは伝わってくる。だけど、先日ネーロ国に侵入してきた魔獣達は、ヴァンスの心をへし折るには十分だったらしい。
「……お前達がそれでいいのであれば、俺達がとやかく言うことでもなかろう。俺達は明朝に出立する。同行したければ準備しておけ」
「……感謝する」
セス様の言葉に、ヴァンスが頭を下げた。
(あのヴァンスが、こんなに簡単に頭を下げるなんて……)
素直で殊勝な態度のヴァンスなんて、何だか調子が狂ってしまう。
ヴァンスの話が終わり、セス様と部屋を出ていこうとした所で、私はふと思い出した。
「ねえ、倒壊しそうな建物の中に、図書室みたいな部屋があったんだけど、そこの本を持って行ってもいいかしら?」
「本?」
ヴァンスが怪訝な表情で問い返してきた。
「おまじないについて書かれていた本よ。知らないおまじないが色々あって、勉強になるし試してみたいと思っているんだけど」
「魔札の本、だと……!?」
ヴァンスが目の色を変えて立ち上がる。どうやら本のことは、ヴァンスも知らなかったようだ。
「それはどこにある!? 俺にも見せろ!」
「え、ええ」
「それが人にものを頼む態度か?」
「み、見せて……ください」
ヴァンスの勢いに押されて、私は反射的に答えてしまったけれども、セス様に睨まれて、ヴァンスはもごもごと言い直していた。
私達三人は部屋を出て、壊れかけの建物に向かった。以前夜に逃げ込んだ時は、暗かったし無我夢中だったけれども、昼間に再度よく見てみると、あちこち穴だらけの瓦礫だらけで、今にも壁が崩れてきそうだ。咄嗟とは言え、こんな所に逃げ込んでいたのか、と今更ながら背筋が寒くなる。
「随分ボロボロだな。確かにいつ崩れてきてもおかしくなさそうだ。サラ、俺から離れるなよ」
「はい、セス様。ありがとうございます」
セス様が私の肩を引き寄せてくれた。セス様と一緒なら、大丈夫だと思えて心強くなる。
「どこの部屋だ?」
「ずっと奥の方だったわ」
建物に刺激を与えないように気を付けながら、瓦礫を避けて進んでいく。夜と昼では建物内部の印象が違って見えて、少し迷いそうになったが、何とか見覚えのある部屋に辿り着くことができた。
「ここよ。この本が散らばっている部屋。確か、この辺に……」
近付いてきた追っ手に気付いて、咄嗟に隠れた奥の場所を探す。確かあの時、本を持ったまま隠れて、壁が崩れる音を聞いて飛び出したから、ここに残っているはずだ。
「ええと……あったわ。これよ」
目当ての本を見つけて、中を確認する。セス様とヴァンスも覗き込んできた。
「色々な魔札があるな。魔札の種類って、こんなに多かったのか……」
私よりも多くのおまじないを知っているヴァンスが、感心している。この本は、私達にとって、本当に価値があるもののようだ。
「……! ちょっと見せろ!」
ヴァンスが私の手から乱暴に本を奪い取る。
「おい!」
セス様が声を荒らげたが、ヴァンスは真剣な表情で本を読み始めている。
「大丈夫か? サラ」
「セス様、私は大丈夫です」
「そうか。全く……」
ヴァンスを睨みつけるセス様を尻目に、私はヴァンスが持っている本に視線を移す。ヴァンスが開いているのは、以前私も気になった、『魔獣結界の魔札』のページだ。だけど、このおまじないにはとても多くの魔力が必要で、私では到底使いこなせそうにないな、と思っていたのだけれど。
(もしかして……ヴァンスなら、このおまじないを使えるのかしら?)
私は食い入るように本を読んでいるヴァンスを、暫しの間見守っていた。
部屋に三人だけになると、項垂れたヴァンスがぽつりと呟いた。
「俺のせいで、お前には怖い思いをさせた」
「……本当だわ」
いきなりこの男に誘拐され、奴隷扱いされた上に襲われかけ、魔獣に追いかけられる羽目になって命の危険さえ感じたのだから、謝られた所でそう簡単には許せない。だけど、傲岸不遜で人に頭を下げることなど到底しそうにないこの男が、意外にも謝ったことに関しては、多少は評価してもいいのかもしれない。
「……俺は自分を過信していた。俺は歴代の王族の中でも、魔札を作れる枚数が多いらしくて、幼い頃から天才だ神童だと持てはやされていたんだ。俺自身が物心ついた頃には、既にネーロ国は滅びていたから、正統なる王族だなんて、まるで実感がなかったんだがな」
項垂れたまま、少しずつ語り始めたヴァンスに、私は静かに耳を傾ける。
「生き残りの連中が、密かにネーロ国の再興を期待する声を耳にしているうちに、いつしか俺自身もその気になって、ネーロ国の国王という立場に執着するようになっていた。長い年月をかけて魔札を大量に作り、全員を連れてネーロ国に帰還したはいいが、俺一人が作る魔札だけでは、城周辺の国土の一部の維持がやっとだった。食料も少ない人数での自給自足では不足しがちで、これでは到底国の復興とは言えない現実を目の当たりにして、自分の力の無さを痛感した。そんな時、食料を求めて森を南下し、ヴェルメリオ国付近まで来た辺りで、俺のものではない魔札を目にしたんだ」
ヴァンスが言っているのは、魔獣がキンバリー辺境伯領に近付かないよう、国境付近の森に仕掛けられた、私のおまじないのことだろう。
「ヴェルメリオ国には、俺の他にも、ネーロ国王族の生き残りがいるのだろうと思った。ならばそいつをネーロ国に連れ戻し、国の再興に協力させればいいと考えたんだ」
「……それで私のことを調べて、誘拐して、ここに連れて来たという訳ね」
「ああ。だが、お前と二人でも、力不足だということが分かった。二人分の魔札を仕掛けても、魔獣に突破されてしまったからな。お前がヴェルメリオ国に帰ると言うのなら、俺達がこのままこの土地に留まっても、いずれは魔獣に襲われて全滅するだろう。もしかしたら、食料がなくて飢える方が先かもしれないがな」
「……」
以前とは別人のように、力無く語るヴァンスに、私も何だか胸が締め付けられてしまう。
「ネーロ国の再興は、俺の……俺達の悲願ではあったが、恐らく残りの連中も皆、夢のまた夢だったと、薄々気付いているだろう。このままここに留まって、魔獣の餌になるか飢え死にするよりは、お前達と一緒に、ヴェルメリオ国に連れて行ってはもらえないだろうか」
ヴァンスの頼みに、私はセス様を振り返る。セス様は黙って頷いてくれた。
「私達は勿論いいけれど……貴方は本当にそれでいいの?」
私の問いに、ヴァンスは唇を噛む。
「以前、あの人達は、貧しくても苦しくても、この土地に連れ戻してくれた貴方に、本当に感謝しているように見えたわ。ネーロ国の再建を目指す貴方の力になりたいって……。そんな人達が、ヴェルメリオ国への移住を、望むとは思えないのだけれど……」
私の言葉に、ヴァンスは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「俺だって……っ! 俺だって、再興できるものならしたいに決まっているだろう!! だが、現実はどうだ。お前の力を借りても、魔獣に侵入され、お前達の軍隊が来なかったら、俺達は魔獣に殺されて全滅していたんだ。これ以上この地に留まって再興を目指しても、先は見えている……!!」
悔しそうに拳を握り締め、心情を吐露するヴァンスを見ていれば、本心ではネーロ国の再興を目指したいことは伝わってくる。だけど、先日ネーロ国に侵入してきた魔獣達は、ヴァンスの心をへし折るには十分だったらしい。
「……お前達がそれでいいのであれば、俺達がとやかく言うことでもなかろう。俺達は明朝に出立する。同行したければ準備しておけ」
「……感謝する」
セス様の言葉に、ヴァンスが頭を下げた。
(あのヴァンスが、こんなに簡単に頭を下げるなんて……)
素直で殊勝な態度のヴァンスなんて、何だか調子が狂ってしまう。
ヴァンスの話が終わり、セス様と部屋を出ていこうとした所で、私はふと思い出した。
「ねえ、倒壊しそうな建物の中に、図書室みたいな部屋があったんだけど、そこの本を持って行ってもいいかしら?」
「本?」
ヴァンスが怪訝な表情で問い返してきた。
「おまじないについて書かれていた本よ。知らないおまじないが色々あって、勉強になるし試してみたいと思っているんだけど」
「魔札の本、だと……!?」
ヴァンスが目の色を変えて立ち上がる。どうやら本のことは、ヴァンスも知らなかったようだ。
「それはどこにある!? 俺にも見せろ!」
「え、ええ」
「それが人にものを頼む態度か?」
「み、見せて……ください」
ヴァンスの勢いに押されて、私は反射的に答えてしまったけれども、セス様に睨まれて、ヴァンスはもごもごと言い直していた。
私達三人は部屋を出て、壊れかけの建物に向かった。以前夜に逃げ込んだ時は、暗かったし無我夢中だったけれども、昼間に再度よく見てみると、あちこち穴だらけの瓦礫だらけで、今にも壁が崩れてきそうだ。咄嗟とは言え、こんな所に逃げ込んでいたのか、と今更ながら背筋が寒くなる。
「随分ボロボロだな。確かにいつ崩れてきてもおかしくなさそうだ。サラ、俺から離れるなよ」
「はい、セス様。ありがとうございます」
セス様が私の肩を引き寄せてくれた。セス様と一緒なら、大丈夫だと思えて心強くなる。
「どこの部屋だ?」
「ずっと奥の方だったわ」
建物に刺激を与えないように気を付けながら、瓦礫を避けて進んでいく。夜と昼では建物内部の印象が違って見えて、少し迷いそうになったが、何とか見覚えのある部屋に辿り着くことができた。
「ここよ。この本が散らばっている部屋。確か、この辺に……」
近付いてきた追っ手に気付いて、咄嗟に隠れた奥の場所を探す。確かあの時、本を持ったまま隠れて、壁が崩れる音を聞いて飛び出したから、ここに残っているはずだ。
「ええと……あったわ。これよ」
目当ての本を見つけて、中を確認する。セス様とヴァンスも覗き込んできた。
「色々な魔札があるな。魔札の種類って、こんなに多かったのか……」
私よりも多くのおまじないを知っているヴァンスが、感心している。この本は、私達にとって、本当に価値があるもののようだ。
「……! ちょっと見せろ!」
ヴァンスが私の手から乱暴に本を奪い取る。
「おい!」
セス様が声を荒らげたが、ヴァンスは真剣な表情で本を読み始めている。
「大丈夫か? サラ」
「セス様、私は大丈夫です」
「そうか。全く……」
ヴァンスを睨みつけるセス様を尻目に、私はヴァンスが持っている本に視線を移す。ヴァンスが開いているのは、以前私も気になった、『魔獣結界の魔札』のページだ。だけど、このおまじないにはとても多くの魔力が必要で、私では到底使いこなせそうにないな、と思っていたのだけれど。
(もしかして……ヴァンスなら、このおまじないを使えるのかしら?)
私は食い入るように本を読んでいるヴァンスを、暫しの間見守っていた。