【続】なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

24.魔獣結界の魔札

「どうだった?」

 本を見ながら真剣に何かを考え込んでいたヴァンスが、本から顔を上げたタイミングで、私が尋ねると、ヴァンスはハッとしたように私を見た。

「あ……ああ。確証は持てないが……この魔札なら、もしかしたら、ネーロ国を守れるかもしれない」
「本当なの!?」

 私では全然魔力が足りず、とても使えそうになかったおまじないだけど、やはりヴァンスなら使えるかもしれないらしい。

(やっぱり、ヴァンスの魔力って凄いのね……。このおまじないが使えるのなら、ネーロ国は、本当に再建できるのかもしれないわ)

 私はあの夜に少し読んだだけだが、私の記憶が正しければ、このおまじないは周囲に魔獣が侵入できない結界を作るもののようだ。魔除けのおまじないは、魔獣を寄せ付けない効果があるけれども、一度魔獣を追い払うと、その効果は無くなってしまう。だけど、この結界は込めた魔力が存在する限り、魔獣の侵入を許さないらしい。

「だが、問題は必要な魔力が多すぎることだな。そのせいで歴代の王族は誰も使えなかったようだが……」

 ヴァンスが自信なさげに俯く。やはりそこが懸念されるようだ。

「貴方でも難しいの?」
「ギリギリ、と言った所か。だが、試してみる価値はある」

 そう言って、ヴァンスは本を手に急いで戻っていく。私達も、その後を付いていった。
 部屋に戻ったヴァンスは、早速本を見ながら模様を描き始める。今まで見たどのおまじないよりも、繊細で複雑な模様を、ヴァンスは注意深く丁寧に描いていった。

「……よし、できた」

 暫くして、模様を描き終えたヴァンスは、一度深呼吸をして、慎重に魔力を込めていく。私達も、その様子を固唾を呑んで見守った。やはり相当魔力を消費するようで、見る見るうちにヴァンスの額に汗が滲み、息が荒くなっていく。

「クッ……!」

 ヴァンスの顔色が段々悪くなってきて、見ていられなくなった私は、ヴァンスに駆け寄った。

「サラ!?」
「おい、何を……!?」
「私も手伝うわ!」

 おまじないに触れ、成功するように祈りを込める。ヴァンスと比べれば些細な魔力だろうけれど、無いよりはマシな筈だ。今までになかった、どんどん魔力が吸い取られていく感覚がして、私は早々に膝をついてしまった。

「サラ! 大丈夫か!?」
「お前はもういい! 後は俺が……!」

 セス様に支えられながら、ヴァンスを見守る。暫くして、ヴァンスは荒い息を吐きながら膝をついた。

「ハァ、ハァ……」
「大丈夫?」
「ああ……何とかな……」

 酷く疲弊した様子のヴァンスだが、その表情はどこか満足げだった。

「できたのね?」
「……多分、な」

 ヴァンスの返答を聞いて、私は完成したおまじないを見つめる。

(これで、ネーロ国を魔獣から守れるのかしら? ネーロ国の人々の、この土地に留まりたいという願いが、叶えられればいいのだけれど……)

 おまじないに込められた魔力が、どれくらい持続するのか。そして、このおまじないをヴァンスが無理のないペースで作り続けられるのか。これらの問題が解決できないと、ネーロ国の存続は難しいだろう。

「……とりあえず、試してみるか……」

 まだ肩で息をしながら部屋を出ようとしたヴァンスだったが、扉を開けようとした所で、ふらついて転んでしまった。

「ちょっと、大丈夫!?」
「あ……ああ……」

 立とうとするヴァンスに、セス様が無言で手を貸す。

「……すまん」

(ヴァンスの消耗が激しすぎるわ。……仕方ないわね)
 少し迷ったけれども、私は胸元に着けていたブローチを外した。

「これ、少しの間だけ貸してあげるわ。私のとっても大事な物なんだから、絶対に返してよね! 傷一つ付けたって許さないんだから!」
「サラ……」
「……?」

 ぽかんとしているヴァンスの胸元に、ブローチを着けてやる。途端に私は身体が重怠くなってしまったが、ヴァンスの顔色は少し良くなったようだ。

「これは……?」
「魔力を増強する効果と、魔力不足の症状を軽減する効果がある魔石を使ったブローチだ。貴様如きには勿体ないがな」

 セス様が忌々しそうにヴァンスを睨む。だが、無理矢理取り上げようとしない所を見ると、私の意思を尊重してくれているようだ。

「……そうか。少し楽になった。……礼を言う」
「……後で、ちゃんと返しなさいよね」
「分かっている。これ以上お前の旦那に殴られたくないからな」

 私はセス様に支えられて、部屋を出たヴァンスの後をついていく。今までの無理が祟ったのか、足がもつれて上手く歩けない。すると、途中でセス様に抱き上げられてしまった。

「セス様!?」
「サラ、その様子では色々無理をしただろう。少し大人しくしておけ」
「すみません……」

 セス様に迷惑をかけてしまって申し訳ないな、と思いながら、大人しくセス様に身を任せる。ヴァンスは黙々と階段を上がっていき、やがて城の屋上に辿り着いた。

(昔は、ここからネーロ国の街並みが一望できていたんだろうな……)

 遠くに見える森がぐるりとネーロ国を囲む中で、あちこち崩れ、破壊された街を眺める。ヴァンスは少しの間、その場に佇んでいたが、やがて足を進め、屋上のほぼ中心に立った。

「頼むぞ。上手くいってくれ……!」

 小さく呟いたヴァンスは、おまじないを発動させる。ヴァンスを中心に、光が周囲に広がっていき、街跡をある程度覆った所で、光が見えなくなった。

「よし……!!」
「上手くいったの?」
「ああ。後はこの結界がどれだけ持つかだな」

 ヴァンス曰く、魔力も尽きかけている今、できるだけ長く結界を維持するため、小規模で展開したらしい。ヴァンスの魔力が完全に回復するまでの数日間、この結界を維持できるのならば、ヴァンス達はネーロ国に留まれるのだそうだ。

「お前のお蔭で希望が見えた。礼を言う」
 まだ顔色が優れないながらも、嬉しそうな笑みを浮かべるヴァンスに、私はセス様を見上げる。

「あの、セス様……」
 恐る恐る口を開く私に、セス様は軽く溜息をつく。

「分かっている。お前のことだ。帰るのはこの結界の結末を見てからにしたいのだろう?」
「は……はい」
「もう数日、ここに留まれるよう、部下達を説得しておいてやる」
「あ、ありがとうございます!!」

 セス様の優しさに、私は心から感謝する。

「礼はいい。俺も多少は気になるからな。それよりも……」
 セス様は私を抱き上げたまま、ヴァンスに歩み寄った。

「結界を張ったのなら、もういいだろう。サラにブローチを返せ」
「え。……もう少し、駄目か?」
「返せ」

 セス様に睨まれ、ヴァンスは渋々ブローチを外す。お蔭で私は一人で歩けるようになったのだけど、立ち上がるだけで精一杯になってしまったヴァンスは、呼び寄せたネーロ国の人達に両脇を支えられながら、長い階段を下りる羽目になったのだった。
< 24 / 33 >

この作品をシェア

pagetop