📚 本に恋して 📚 第七回:『心の窓』 沢木耕太郎著
第1回:『空と星と風の歌』
📚 本に恋して 📚
📖 プロローグ 📖
心に沁みる物語、
救ってくれた言葉、
ヒントを与えてくれたビジネスワード、
誰もが多くの本から感動と救いとヒントをもらっています。
でも、まだまだ知らない本がいっぱいあります。
そんな、有名ではないけれどグッとくる本をご紹介できればと思っています。
📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖
第1回『空と星と風の歌』(小手鞠るい著、堀川理万子絵:童心社)
空に浮かぶ椅子と本が印象的な表紙です。
この本を見つけたのは、ある図書館の入り口の特設コーナーでした。
表紙とタイトルに惹かれたのです。
目次は、
・空を見上げて ―――― わたしって、だれ?
・星を数えて ―――― 愛って何?
・風に吹かれて ―――― 生きるって、どういうこと?
です。
お気づきの通り、「空」と「星」と「風」が入っています。
それだけではなく、それぞれの主人公にも「空奈」「美星」「風太」という名前が付き、タイトルに連動しています。更に、物語の中にも『空と星と風の歌』という詩集が登場します。すべてが「空」と「星」と「風」に統一されているのです。
では、内容のご紹介を始めたいと思いますが、最終章の『風に吹かれて』から始めさせていただきます。
小学6年生の風太は、春休みの1週間、私的交換留学で姉と共にアメリカの東海岸の町、ハドソンにホームステイしています。(風太の家にはホームステイ先の2人の息子が滞在しています)
アメリカに来て一番驚いたこと、それは、自分の姿を見ても誰も驚かないことでした。
車椅子に乗っているのに、普通に接してくれて、決して障害者とは見られないのです。それどころか、道を尋ねてくる人もいます。それは日本ではあり得ないことです。車椅子に乗った可哀想な人という見方をアメリカ人はしないのです。つまり、特別視されていないということです。そのことから彼は気づきます。
アメリカでは、障害者は、健常者なんだと。
障害者と健常者は日本では反対語なのに、アメリカでは同義語になっていることに衝撃を受けます。
更に、最近のアメリカでは障害者という言葉自体を使わないことを知ります。「挑戦者=チャレンジャー」という人が多いのです。
それは、驚きと共に、心の中にストンと落ちてきました。何故なら、読書が好きな彼は、足で野原を駆け回る代わりに想像の世界の中であらゆる場所を走り回っているし、現実には歩けなくても、想像の世界では空を飛んでいるからです。常に何かに挑戦しているのです。
ある日、ホームステイ先のアンソニーから「奇跡の物語」を聞くことになります。それは彼の自伝で、「在日」についての話でした。在日というのは、過去に何らかの事情があって朝鮮半島から日本にやってきて、もしくは、無理やり連れてこられて、そのまま住み着いている人のことで、アンソニーの父親もその一人でした。在日一世。だからアンソニーは在日二世です。
本名は安裕。
アンソニーという名前は、アメリカに渡った時、アメリカ人が覚えやすくて呼びやすいように自分で勝手につけた名前だといいます。
彼は韓国には一度も行ったことがないし、韓国語はまったく喋れません。日本語しか話せないのです。だからずっと日本人だと思っていました。日本で生まれて、育って、日本の教育を受けきたからです。でも、日本は彼のことを好きになってくれませんでした。差別を受けたのです。排除しようとされたのです。それは、かつて植民地化して支配していた民族に対する蔑みが原因でした。
だから、日本から逃げるしかなくなり、アメリカへと渡りました。
生きるために何でもやったといいます。根性だけで這い上がっていくしかなかったからです。でも、素晴らしいアメリカ人女性に巡り合うという幸運に恵まれました。その上、2人の男の子にも恵まれました。奇跡が起こったのです。
彼は言います。
「なんのために生きるのか? それは、生きるために決まっている。生きているだけで儲けものやないか」
それを聞いて、風太の心の中に何かが膨らんでいく感触がありました。それは風船のような感覚でした。膨らんだり萎んだりする風船。
それを希望と言い換えてもいいのではないかと思いました。胸の中で膨らんだり萎んだりする希望。そして、それをするのは他人ではありません。膨らませるのも、萎ませるのも、自分自身なのです。そう気づきました。
生きるために、生きる。
それでいいんだ。
障害のある人もない人も、生きるということは同じなんだ。
違いはあるけど同じ。
それが多様性ということなんだ。
それは、将来作家になりたいという夢が現実になった瞬間でした。
「日本と韓国、日本と朝鮮がもっと仲良くなれるような努力をしよう」と思えるような小説を書くことが目標になったのです。
📖 プロローグ 📖
心に沁みる物語、
救ってくれた言葉、
ヒントを与えてくれたビジネスワード、
誰もが多くの本から感動と救いとヒントをもらっています。
でも、まだまだ知らない本がいっぱいあります。
そんな、有名ではないけれどグッとくる本をご紹介できればと思っています。
📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖 📖
第1回『空と星と風の歌』(小手鞠るい著、堀川理万子絵:童心社)
空に浮かぶ椅子と本が印象的な表紙です。
この本を見つけたのは、ある図書館の入り口の特設コーナーでした。
表紙とタイトルに惹かれたのです。
目次は、
・空を見上げて ―――― わたしって、だれ?
・星を数えて ―――― 愛って何?
・風に吹かれて ―――― 生きるって、どういうこと?
です。
お気づきの通り、「空」と「星」と「風」が入っています。
それだけではなく、それぞれの主人公にも「空奈」「美星」「風太」という名前が付き、タイトルに連動しています。更に、物語の中にも『空と星と風の歌』という詩集が登場します。すべてが「空」と「星」と「風」に統一されているのです。
では、内容のご紹介を始めたいと思いますが、最終章の『風に吹かれて』から始めさせていただきます。
小学6年生の風太は、春休みの1週間、私的交換留学で姉と共にアメリカの東海岸の町、ハドソンにホームステイしています。(風太の家にはホームステイ先の2人の息子が滞在しています)
アメリカに来て一番驚いたこと、それは、自分の姿を見ても誰も驚かないことでした。
車椅子に乗っているのに、普通に接してくれて、決して障害者とは見られないのです。それどころか、道を尋ねてくる人もいます。それは日本ではあり得ないことです。車椅子に乗った可哀想な人という見方をアメリカ人はしないのです。つまり、特別視されていないということです。そのことから彼は気づきます。
アメリカでは、障害者は、健常者なんだと。
障害者と健常者は日本では反対語なのに、アメリカでは同義語になっていることに衝撃を受けます。
更に、最近のアメリカでは障害者という言葉自体を使わないことを知ります。「挑戦者=チャレンジャー」という人が多いのです。
それは、驚きと共に、心の中にストンと落ちてきました。何故なら、読書が好きな彼は、足で野原を駆け回る代わりに想像の世界の中であらゆる場所を走り回っているし、現実には歩けなくても、想像の世界では空を飛んでいるからです。常に何かに挑戦しているのです。
ある日、ホームステイ先のアンソニーから「奇跡の物語」を聞くことになります。それは彼の自伝で、「在日」についての話でした。在日というのは、過去に何らかの事情があって朝鮮半島から日本にやってきて、もしくは、無理やり連れてこられて、そのまま住み着いている人のことで、アンソニーの父親もその一人でした。在日一世。だからアンソニーは在日二世です。
本名は安裕。
アンソニーという名前は、アメリカに渡った時、アメリカ人が覚えやすくて呼びやすいように自分で勝手につけた名前だといいます。
彼は韓国には一度も行ったことがないし、韓国語はまったく喋れません。日本語しか話せないのです。だからずっと日本人だと思っていました。日本で生まれて、育って、日本の教育を受けきたからです。でも、日本は彼のことを好きになってくれませんでした。差別を受けたのです。排除しようとされたのです。それは、かつて植民地化して支配していた民族に対する蔑みが原因でした。
だから、日本から逃げるしかなくなり、アメリカへと渡りました。
生きるために何でもやったといいます。根性だけで這い上がっていくしかなかったからです。でも、素晴らしいアメリカ人女性に巡り合うという幸運に恵まれました。その上、2人の男の子にも恵まれました。奇跡が起こったのです。
彼は言います。
「なんのために生きるのか? それは、生きるために決まっている。生きているだけで儲けものやないか」
それを聞いて、風太の心の中に何かが膨らんでいく感触がありました。それは風船のような感覚でした。膨らんだり萎んだりする風船。
それを希望と言い換えてもいいのではないかと思いました。胸の中で膨らんだり萎んだりする希望。そして、それをするのは他人ではありません。膨らませるのも、萎ませるのも、自分自身なのです。そう気づきました。
生きるために、生きる。
それでいいんだ。
障害のある人もない人も、生きるということは同じなんだ。
違いはあるけど同じ。
それが多様性ということなんだ。
それは、将来作家になりたいという夢が現実になった瞬間でした。
「日本と韓国、日本と朝鮮がもっと仲良くなれるような努力をしよう」と思えるような小説を書くことが目標になったのです。