妹と駆け落ちしたあなたが他国で事業に失敗したからといって、私が援助する訳ありませんよね?

63.帰って来た彼

 私はアドール、リヴェルト様、それからストーレン伯爵とともにヴェレスタ侯爵の屋敷の玄関にやって来ていた。
 私達の目の前には、見知った男がいる。髭を伸ばしたその顔が以前とは少し違う印象を与えてくるが、それはまず間違いなくアドラス様だ。

「……ただいま」

 アドラス様は、アドールの方を見ながらそう呟いた。
 まるで今朝出掛けて戻って来たかのように自然なその挨拶に、私達は呆気に取られてしまっている。
 彼は一体、何を考えているのだろうか。それが三年も見捨てていた子供にかける言葉なんて、にわかには信じられないことである。

「……あなたは父上ですか?」
「ああ、僕はアドラスだ。少し変わってしまっているけれど、わかるかい?」
「ええ、あなたの顔を忘れてなんていませんよ」

 アドールは、特に表情を変えることもなくアドラス様の言葉に答えていた。
 その口調は平坦だ。私にはわかる。アドールはとても怒っているのだと。
 彼は今まで、アドラス様への怒りを口にしてきた。それは嘘偽りなどではない。彼の中で、この父親というのは許せない存在なのである。

「そうか……良かった」
「良かった?」
「しばらく離れ離れになっていた訳だが、やはり親子の繋がりというものは切れていないものみたいだな」

 アドラス様は、そんなアドールの怒りをまるで理解していないようだった。
 父親であるというのに、これがわからないものなのだろうか。ここまでわかりやすいというのに、私には信じられない事柄である。
 まさか彼は、本気でアドールに情が残っているなんて思っているのだろうか。それはなんとも、愚かしきことである。

「勝手に家を出てしまったことについては、すまなかったと思っている。ただ、アドールはその試練を乗り越えてくれると思っていたんだ。そのために、妻も迎え入れた」
「……っ!」
「だけど、少し失敗してしまってね。そう、海の向こうの国で事業に失敗してしまったんだ。その補填をアドールに頼みたい」

 アドラス様の言葉に、アドールの表情は歪んでいた。
 彼のそのような表情は、初めて見る。今までだって怒ったことはあった。だが、今の彼はこれまでとは違う。
 その表情を見て、私の心は震えていた。別に恐怖を感じているという訳ではない。ただアドールが、何に対して怒っているのか理解できたのだ。

「補填なんて、する訳がないでしょう」
「……何?」
「僕はあなたを許さない、父上……いや、アドラス!」

 アドールは、父親に対して指を差して言葉を発した。
 いや、既にアドラス様は彼の父親ではないのだろう。息子の鋭い視線は、敵に向けるものだ。最早アドラス様は、怨敵でしかないのだろう。
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