『ようこそ 本屋へ 飲み物は無料です お気に召した本は差し上げます』
空の色
『ようこそ 本屋へ 飲み物は無料です お気に召した本は差し上げます』
そんな張り紙がドアに書いてあった。
木製の重そうなドアの割に片手で押すと、思っていたより軽かった。開けると同時にカランと耳に残る可愛いベルの音がした。
「いらっしゃいませ」
カウンターには黒髪を綺麗におかっぱに切り揃えた小柄な女性。童顔なのか少女にも見える。赤いえんじ色の着物に白いフリルのついたエプロンをつけている。
部屋を囲むようにずらりと並んだ飴色の本棚は圧巻だった。ギュッと詰まった本達。
座るためのフカフカのソファー、布張りの椅子、木目が美しいベンチ、ユラユラと揺らすことのできるロッキングチェア。そして、ハンモック。
落ち着いた色味のオレンジ色の優しい電球の明かりが店内に灯っている。
広々としているが、こんなに大きなお店だっただろうか?と外観との差に少し違和感を感じた。
ステンドグラスの窓から差し込む光とやかんの湯気が混ざり合う。挽きたてのコーヒー豆の香ばしい良い匂いがして、思わずスゥと吸い込んだ。
「どうぞお好きな席へお好きな本を手にとってご覧ください」
女性の声は落ち着いていたアルトの声質。
「こんなところに本屋のような喫茶店があるなんて知らなかったな」
この店に入った瞬間から、狐に化かされているような、不思議な気持ちになっている。そんな雰囲気の店だからだろうか。そもそも無料なんて怪しすぎるのに、疑いもなく何故はいったのだろう?
でも入ってしまったからには、すぐ出ていくことは失礼だろうと、カウンターの椅子に腰掛けた。ふぅ……と重いため息が出た。
「ずいぶんお疲れですね」
「うん。とても」
そう短く。答えた。何か飲みますか?と聞かれることがなく、スッとウインナーコーヒーを出してくれた。生クリームがたくさんのったコーヒーは甘そうでいて、苦い。
「……これ好きなんだ。なんでわかったの?」
ニッコリと赤い唇で笑みを作って答えてくれない。
「どうぞ。お好きな席へ行き、本も手に取ってくださいね」
そう勧められて、本棚のところへ移動する。小さなテーブルにコーヒーカップをそっと置いた。
ふと、目に止まった。空の写真集。手に取る。
開く。
そこには空の上の写真があり、まるで自分が空を飛んでいるような錯覚に陥る。
グッと上を向く。茶色の木の天井。空は見えない。もう一度、空の写真集に目を落とす。
オレンジ色に雲を染める夕方の空。星が見える宇宙に近い夜空の空。昼間の陽射しが刺すように強い空……涙がジワリ出てきた。
なんで忘れてたんだろう。
空が好きだった。飛ぶことが好きだった。だから自分で選んだ道だったのに、いつからか嫌になった。その理由はきっと……と思い、ウインナーコーヒーに目がいった。
涙を隠したくて、隅の方にあった、小さな一人がけのソファーに右手にカップ、左手に空の写真集を持ち、腰掛けた。
ウインナーコーヒーを一口飲んだ。上は雲のようにフワリとした生クリームがのっていて甘い。もう何口か飲んでいくと下にあった黒い液体が出てくる。少し酸味と深いコクのあるコーヒーだった。
ブラック派の自分はウインナーコーヒーの存在はずっと知らなかった。好きだったのは僕の大切な彼女だ。彼女が好きな飲み物だったから好きになった。
今、どうしているだろう?長引く戦争で手紙のやりとりも難しくなった。ずっと会っていない。
帰りたい。会いたい。抱きしめたい。
二人で行った喫茶店は今もあるだろうか?
パラリと写真集を開く。
うん。でも……やっぱり僕は空が嫌いじゃない。空の上の景色を見たくなる。飛びたくなる。
立ち上がる。
「お帰りですか?」
「うん。ありがとう。この本をもらっていいのかな?」
「どうぞ、お持ちください」
本を右手に持って、ドアを開けた。帰り道はわかっている。
そんな張り紙がドアに書いてあった。
木製の重そうなドアの割に片手で押すと、思っていたより軽かった。開けると同時にカランと耳に残る可愛いベルの音がした。
「いらっしゃいませ」
カウンターには黒髪を綺麗におかっぱに切り揃えた小柄な女性。童顔なのか少女にも見える。赤いえんじ色の着物に白いフリルのついたエプロンをつけている。
部屋を囲むようにずらりと並んだ飴色の本棚は圧巻だった。ギュッと詰まった本達。
座るためのフカフカのソファー、布張りの椅子、木目が美しいベンチ、ユラユラと揺らすことのできるロッキングチェア。そして、ハンモック。
落ち着いた色味のオレンジ色の優しい電球の明かりが店内に灯っている。
広々としているが、こんなに大きなお店だっただろうか?と外観との差に少し違和感を感じた。
ステンドグラスの窓から差し込む光とやかんの湯気が混ざり合う。挽きたてのコーヒー豆の香ばしい良い匂いがして、思わずスゥと吸い込んだ。
「どうぞお好きな席へお好きな本を手にとってご覧ください」
女性の声は落ち着いていたアルトの声質。
「こんなところに本屋のような喫茶店があるなんて知らなかったな」
この店に入った瞬間から、狐に化かされているような、不思議な気持ちになっている。そんな雰囲気の店だからだろうか。そもそも無料なんて怪しすぎるのに、疑いもなく何故はいったのだろう?
でも入ってしまったからには、すぐ出ていくことは失礼だろうと、カウンターの椅子に腰掛けた。ふぅ……と重いため息が出た。
「ずいぶんお疲れですね」
「うん。とても」
そう短く。答えた。何か飲みますか?と聞かれることがなく、スッとウインナーコーヒーを出してくれた。生クリームがたくさんのったコーヒーは甘そうでいて、苦い。
「……これ好きなんだ。なんでわかったの?」
ニッコリと赤い唇で笑みを作って答えてくれない。
「どうぞ。お好きな席へ行き、本も手に取ってくださいね」
そう勧められて、本棚のところへ移動する。小さなテーブルにコーヒーカップをそっと置いた。
ふと、目に止まった。空の写真集。手に取る。
開く。
そこには空の上の写真があり、まるで自分が空を飛んでいるような錯覚に陥る。
グッと上を向く。茶色の木の天井。空は見えない。もう一度、空の写真集に目を落とす。
オレンジ色に雲を染める夕方の空。星が見える宇宙に近い夜空の空。昼間の陽射しが刺すように強い空……涙がジワリ出てきた。
なんで忘れてたんだろう。
空が好きだった。飛ぶことが好きだった。だから自分で選んだ道だったのに、いつからか嫌になった。その理由はきっと……と思い、ウインナーコーヒーに目がいった。
涙を隠したくて、隅の方にあった、小さな一人がけのソファーに右手にカップ、左手に空の写真集を持ち、腰掛けた。
ウインナーコーヒーを一口飲んだ。上は雲のようにフワリとした生クリームがのっていて甘い。もう何口か飲んでいくと下にあった黒い液体が出てくる。少し酸味と深いコクのあるコーヒーだった。
ブラック派の自分はウインナーコーヒーの存在はずっと知らなかった。好きだったのは僕の大切な彼女だ。彼女が好きな飲み物だったから好きになった。
今、どうしているだろう?長引く戦争で手紙のやりとりも難しくなった。ずっと会っていない。
帰りたい。会いたい。抱きしめたい。
二人で行った喫茶店は今もあるだろうか?
パラリと写真集を開く。
うん。でも……やっぱり僕は空が嫌いじゃない。空の上の景色を見たくなる。飛びたくなる。
立ち上がる。
「お帰りですか?」
「うん。ありがとう。この本をもらっていいのかな?」
「どうぞ、お持ちください」
本を右手に持って、ドアを開けた。帰り道はわかっている。