婚約者と仕事を失いましたが、隣国ですべてバージョンアップするようです
 ありがとうございます、と言うのは胸の内だけに留め、アリサは多くを語らずにっこり微笑んだ。
「殿下、王都からの退去、聖女剥奪、婚約破棄、それはご命令ですね?」
 勅命である、と、踏ん反り返りながら王子は演説を続ける。が、アリサは聞いてはいなかった。胸元につけていた聖女の徽章を外して王子に渡す。
「ソフィア嬢と、どうぞお幸せに。わたくしのことは、忘れてくださって構いません。ではごきげんよう」
 完璧なカーテシーをして、アリサはその場を小走りで立ち去った。

 そのまま、王立大神殿に取って返す。神殿入り口には呆れ顔の大神官が立っていた。両親のいないアリサの父親がわりの人物だ。
「大神官さま、申し訳ございません。婚約者とお仕事を同時に失くしてしまいました」
 聞いた聞いた、と大神官が頷いた。80歳に近い老体だがいまだ魔力は健在で、しっかり王都を守っている。
「アリサ嬢、まったくわかっておらぬ王族で済まぬ」
「わたくしに婚約者がいたことを、婚約破棄の場ではじめて知りました」
「すまんな、アリサ嬢をどこぞの貴族に独占されぬよう、王家が勝手に手を回して婚約者を定めておったらしい。わしもさっき国王陛下に聞かされて仰天したところじゃ」
 自分の婚約に、そんな事情があったとは。というか、自分にそこまでの価値があったとは思いもよらないアリサである。
「しかしあんなアホ王子に嫁ぐ必要はないわい。婚約破棄で正解じゃ。以降は、国のことも気にせず、好きに生きれば良いぞ」
 ほい、と、大神官は皮袋をアリサにわたした。
「わ、重たい……大神官さま、これは?」
「そなたのご両親が生前貯めていたお金を運用して、増やしておいた。その一部じゃ。アリサ嬢の嫁入りの際に渡すつもりじゃたが……今がよかろう」
 ありがとうございます、と、アリサはそれを大事そうに抱えた。朧げな記憶しかない両親だが、確かに愛を感じる。
「それから、わしからの餞別じゃ。わしの持っておる爵位のひとつ、ヒューズ子爵とその領地を譲る。ほとぼりが冷めるまで、そこで魔力に磨きをかけておくといいぞ」
 ヒューズ領は、王都から南に馬車で半日ほどの位置にある小さな領地だ。
 緑豊かで農業の盛んな土地だが、魔力に満ちた土地でもある。神官や魔導師が数多く輩出され、同時に魔物や強力な魔獣も生息している。
「大神官さま……ありがとうございます! 聖女の制約もなくなったのでこれで思いっきり……」
「うむ。何かあればいつでも、わしを呼ぶがよいぞ。そなたは、我が娘ゆえな」
「はい!」

 こうしてアリサは、婚約破棄から三日と経たぬうちに、空飛ぶ馬車で王都からヒューズ領へと移っていった。

「うーん、心地いいわ!」
 領主の館に到着したアリサは、シンプルなワンピースに着替えて領地へと飛び出した。王都からさらに南に位置するため、陽射しは強く空気は乾いている。
 聖女として王都を守護する必要がなくなった今、アリサは『魔力の塊』と化していた。
 長らく空き家だった領主の館を、一回手を叩くだけで綺麗にした。建物の時間を巻き戻して新築当時までさかのぼったのだ。
 そして、一瞬にして持参したドレスを春用のそれから夏用のものへと変え、ついでに枯れそうだった大樹を元気にする。
「これで涼しくなるわ」
 そして、屋敷の傍らに流れる細い川の水が淀んでいるのを見ると、それも浄化し、ついでに水路として整える。
「水遊びが出来るほどの幅はないわね、残念ね」
 一気に魔力を使ったからだろう、小さな妖精たちが興味津々で近寄って来るし、竜たちは巨大な魔力の気配を察して警戒している。
「あらあら、あなたたちは光の妖精ね! ミラにリーン、ヘンリーっていうのね? よろしくね」
 妖精たちが驚いたように飛び回った。
「そうよね、ここまで魔力のある人間は珍しいと思うわ。仲良くしてね」
 桁外れの魔力に目を付けた先代聖女に引き取られ、聖女見習いとして働きだしたのは五歳だったか。
 それ以来、胸元にいつもつけていた徽章、あれがアリサの魔力を聖属性へと変換し、ひとりで王都を守護していたのだ。そのため、アリサは物心ついてから十八になる今まで、自由に魔力を使ったことがない。
 その任務から解放された今、アリサは自由に魔力を使える。それが楽しくて仕方がない。
「さて……誰も連れてこなかったから……お手伝いしてくれる子たちを呼びましょう」
 ぱちん、と指を鳴らせばアリサの足元に魔法陣が浮かぶ。詠唱することなく――クラシックなメイド服を着た美少女が数人、姿を現した。いずれも白い髪と紫の目で、個性はあるものの全員、人形のように整った顔をしている。
「……わたくし、シルキー妖精を呼んだつもりだったんだけど……」
「はーい、あたしたちシルキーですよー」
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