忘れられるはずがない〜ドクターに恋して〜
久しぶりに立ち上がったせいか頭がくらくらした。自分が眠っていた毛布の所まで行き、近くに置いてあったペットボトルのドリンクを飲んだ。
ありがたい。それは市販のジュースだった。糖分が取れる美味しい。むせながら一気に飲むと同時に小屋の扉が開いた。
「おぅ。気がついたか……体の具合はどう?」
彼は長靴を履いてヤッケのような厚手の合羽を着ていた。
「はい。ずいぶん楽になりました。ありがとう」
彼は上着を脱ぐと、キッチンというにはお粗末な水道の所まで歩いて行き手を洗った。
「カップ麺と、レンジで温めるタイプの米があるけど、レンジは使えないから鍋で煮る。食べられそう?」
そう聞かれたので首を縦に何度も振った。
卑しさこの上ない。急に自分が恥ずかしくなった。洋服だって着ていないし、爪の中まで泥が入ってきて真っ黒だ。髪もばさばさで固まっている。
食事の準備をしている彼を見ると、とても清潔だった。着ている物も綺麗だし、シャワーを浴びたのかもしれないと思った。
彼をじっくり観察する。イケメンの部類に入るだろう彼は、あちこち傷だらけだった。Tシャツの袖から出る腕はたくましく、全体的に鍛え上げている感じに見えた。顔はそれとは逆に、すっきりした鼻筋が通ったインテリ系だ。背も高い。
彼は鍋の中に水を入れてカップ麺のスープを入れ麺とお米をそこに投入した。
「水は出る。ガスもプロパンで使える。ただ電気がない。停電か、もしくは止めてるんだろう。電話は繋がらない。食料は缶詰とか、賞味期限の長いキャンプする客に販売しているようなものがある。非常食っぽい米とか。缶ジュースやペットボトル類のドリンクは倉庫で箱ごと発見した」
彼は今自分たちがどういう状態なのかを報告した。
「シャワー、シャワーは?」
生きるために必要な物ではなくシャワーの有無を聞いてしまった。
彼は苦笑いする。
「良かったな。使えるぞ」
自分の不潔さに嫌気がさすのだ仕方がない。
「あの、ごめんなさい。あなたが奇麗にしていたから、お風呂があるのかと思って。贅沢よね。本当にごめんなさい。それから……命を助けてくれてありがとう」
葵は深々と頭を下げた。
彼はわずかに肩をすくめて、ああ、と言った。
彼があまり葵の方を見ないので、不思議に思い自分を見ると、完全に上半身が毛布から出ていた。すっ裸で汚れている。まるで原始人のようなんだろう。
今更だけど葵は毛布を肩にかけなおした。
「これを食ったら、風呂に入るか?湯船に浸かりたいだろうがシャワーで我慢して。かなり熱が高かったから、さっと浴びる程度にした方がいい」
贅沢は言えない。勿論シャワーで十分だ。
話によると、葵は2日間眠っていたようだ。彼は時折水分と薬を与えたと言っていた。救急箱の中に市販の頭痛薬が入っていたらしい。
計算すると、バスから川へ転落してから6日が経過したという事になる。足の状態が前よりずいぶん良くなっている。ゆっくりなら十分歩けそうだ。寝すぎで体力が落ちているだろうし、少し元気を取り戻したら下山できるんだ。葵はそう思った。
「今見てきたけど、雪が昨夜から降っていて結構凄い積雪量だ。30~50㎝くらいだな。今日明日は、助けを呼びに行くことはあきらめる」
一気に気が沈む。でも、生きているだけで十分だし。今は食べ物も寝る場所もある。自分の体力も回復させなければならない。急いては事を仕損じるだ。
「わかりました」
深く頷いて、葵は椀の中に入っているラーメンおじやをすべて平らげた。
世の中にこんなおいしい食べ物があったのかと感動した。
家に帰ったら必ず作ろうと心に決めた。