忘れられるはずがない〜ドクターに恋して〜
第一章

3月の寒さ

コートは水を含んで何十キロもあるような気がする。重さが体にまとわりつくが手がかじかんで脱ぐことができない。葵は草の上に躰を持ち上げ、地面を這うように前進した。もうここが何処なのか、何が起こっているのかさえ考えられない。ただ水から逃れなければ、地面に這い上がらなければという事だけを考えた。水が届かない所まで来ると草の上にそのまま倒れ込み、そして意識を失った。

目が覚める。寒いというより体中が痛かった。息ぐるしいなと思い薄目を開けると、周りは水色だ。頭からビニールシートのようなものにすっぽりとくるまれているようだった。
救助されたんだとホッとした。そして葵はまた目を閉じた。

「……おい、動けるか?」

男性の声に起こされる。寒い。体が冷たくなっているのが自分でも解る。
誰かが私の体をゆすっている。辺りは真っ暗で何も見えない。

「痛いところはないか?ケガしてない?」

「……はい」
痛いところは体全身だ。全てが痛すぎて、自分が怪我をしているかどうかなんてわからない。だが葵は大丈夫だと答えた。

「悪いけど、俺も凍死したくないからシートの中に入れてくれ」

彼はそう言い葵の体にぐるぐる巻かれていたブルーシートの中へ入ってきた。
その時自分が裸同然だという事に気がついた。パンティーは履いているが上は何も着ていなかった。男性もTシャツと下着のボクサー姿。どうなったのか知りたかったが言葉が出ない。彼はとシートをめくって、のそのそ私の横に入ってくる。
彼のシャツは湿っていて凍ったように冷たかった。男性は葵の体を後ろから抱きしめるように包み込むと、太ももの間に葵の足を挟み込んだ。

ああ、この状態は救助されたわけじゃないんだと思った。もう何も考えられない。
まだ3月だ気温は下手したら零下になる場合もある。葵はダンゴムシのように丸まって、何も言わずに男性の大きな硬い体に包み込まれた。氷のように冷たかった彼の体は葵の体温で少し温まったようだった。

しばらくするとお互いが発する熱でブルーシートの中の寒さは和らいだ。

「救助された訳じゃなかったんだ……」
独り言のように葵がつぶやく。

男性は何も言ってはくれなかった。そのまま深い寝息が聞こえてきた。




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