忘れられるはずがない〜ドクターに恋して〜

脱出

3日目の朝が来た。助けは来ない。

未明から降り続いた雨は、止む気配がなかった。

川が増水している。このままここにいるのは危険だ。体力があるうちに移動しようと思う。

彼の言葉を聞きあおいは頷いた。

少しなら歩けると思う。頑張ればゆっくりならなんとかなるだろう。雨が降り続いている。左足に力を入れて立ち上がった。ゆっくりと右足に体重をかける。痛みはあるか歩くしかない。

雨よけにしていたブルーシートは、重いし歩くのに邪魔だと途中でかぶるのをやめた。

足場が悪いところは、私が歩けるように彼が手を貸してくれた。

「山本だ」と彼は名乗った。

今更名前なんてどうでもいい。
二人しかいないんだから、話しかける時は、「あの」でも「ねえ」でもなんでも通じる。
苗字なんて必要ない。

葵は極力喉が乾かないように、言葉を発しなかった。
食べてないせいか体力も、もう限界だ。

体が熱い呼吸も荒くなっている。多分熱があるだろう。
それは彼も気づいているだろう。
私は足手まとい。できるなら放っておきたいと思っているに違いない。

見捨てられても決して恨まない。だから自分もう動きたくないと思った。

けれど彼はそれを許しそうになかったので、足を引きずりながら草むらの中を彼についていった。

歩くたびにズキズキ足首が痛んだ。
泣きごとは言えない。ゆっくりと前へ進むしなかった。

無駄な動きをせずに済むように、極力目的の場所まで最短ルートを取ろうと、彼は先を行く。

雨足が強まる。ずぶ濡れになりながら後に続いた。

「この先50メートルほどまっすぐ行くと、そこからは山道に入る。かなり急な上り坂だ。足場も悪い。そこまではゆっくりでいいから、時間はどれだけかかってもいいから、自分で歩いて。俺は先に行って道を確認してくる」

彼はそう言うと、小さく丸めたブルーシートを抱え、まっすぐ歩いて行った。

私を連れて歩くと時間がかかるだけで一人で先行ってもらった方がどう考えてもスムーズだ。

彼が一緒にいると自分も急いで歩かなくてはいけない。気を遣うのでかえってよかった。

一人になると、強くなる雨の音だけがやたら大きく聞こえる。

この時期だというのに雷の音まで聞こえてくる気がする。
幻聴だろうか……まだ昼間だというのに厚い雲に隠れた太陽の光はほとんど届かない。

彼が用意してくれた太い枝を杖代わりにし一歩一歩ゆっくりと前に進んだ。どうしても辛くなると立ち止まり呼吸を整える。一度座ってしまうともう立ち上がれる気がしなかった。

杖に捕まったまま、何十分も一歩も進めない状態を繰り返し、なんとか、ただ前を向きまっすぐ歩いた。

時間の感覚がなくなる。
多分もう何時間も歩いているかもしれない。彼が去った後の50メートルは果てしなく遠かった。




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