幼なじみの脳外科医とお見合いしたら、溺愛が待っていました。
 いつかもう一度会いたいと願い、再会したら今度こそ愛未の寂しさや悲しさもすべて包み込める度量のある大人になりたいと思った。

 それにはまず、彼女にも安心してもらうために、仕事を成功させて社会的地位を確固たるものにしなければならない。

 俺はひとり息子のため、実家の桐谷総合病院を継ぐのは盤石である。

 医大に進学した俺は、将来は桐谷総合病院を担い牽引するという意志を持ち、腕を磨くためアメリカに渡った。

 けれどもそこで待っていたのは無力感と絶望だった。

 手術を担当した患者を助けられず、子どもを亡くした患者の親から「もっと上手な先生に担当してもらいたかった」と言われたときは、これまでにないほど落ち込んだ。

 その後も慣れない環境で奮闘するなかで、ひとりでも多くの命を救うことに専心したが、脳の病気には後遺症が残ってしまうケースも多く、そうした患者が続いた。

 次第に自信のなさから手術中に手が震えるようになる。

 それは脳神経外科の医師にとって致命的だった。

 それでもプレッシャーに打ち勝とうと、経験を積むと同時に日進月歩で発展する医療の勉強漬けとなった。

 周囲とは一切のコミュニケーションを絶ちスキルアップに没頭したため、人間関係は希薄となり職場では冷酷な人間だと評価されていく。

 それでも別になんとも思わなかった。なぜなら医者は常に冷静でなければならないからだ。

 感情を抑制し、常に患者第一でなければならないと使命感を持ち、そのモチベーションは回復した患者の笑顔に助けられていた。

 そんなおり、アメリカの病院での勤務を終え帰国する直前、父に病気が見つかったとの報せを受けた。

 今すぐに命を脅かす病気ではないものの、代替わりを急ぎたい父からお見合いをすすめられた。

 数年前に亡くなった前院長である祖父の古い考えで、院長になる者は伴侶を得て身を固め、社会的な信用を得ることが条件となっている。

 桐谷総合病院は開院した七十年前から代々同族経営で続けられてきており、地域に根ざした最新医療の提供を目指してきた。

 父が祖父から受け継いだこの病院を、これからも守っていきたいと望んでいたのは、子どもの頃から言い聞かされていた。

 それに俺は多くの患者を救うべく、院長となるためにも形ばかりの結婚を厭わないつもりだった。
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