幼なじみの脳外科医とお見合いしたら、溺愛が待っていました。
 だから冷やかしではないけれど、今はそれよりももっと気になることがあった。

「秀一郎さんは、なぜそんなに結婚を急いでいるのですか?」

 私の素直な質問に、秀一郎さんは鬱陶しそうにため息を吐いた。

「父が病気がちで、代替わりを急いでいる」

 うつむき加減に発すると、細めた目を桜の木に向ける。

 お父様が今日いらっしゃらなかったのは、ご病気だったからなんだ……。

 頭の中を整理して、私は口を開いた。

「それでは秀一郎さんは病院を継ぐために、ただ形式だけの結婚がしたいのですか?」
「ああ。院長になる者は身を固めていること、との昔ながらの祖父の意向は無視できない」

 秀一郎さんの綺麗な横顔を見つめながら、合点がいった。

 だから別に、お見合い相手が綾乃でも私でも、どちらでもよかったんだ。ただ形式上、妻にさえなってくれたら。

 桐谷総合病院は病床数四百を超える都内でも大きな特定機能病院だ。

 そんな大病院の跡取りとなると、他者からの意向やしがらみがあって、結婚相手もタイミングも自分では決められないのだろう。

 私も、代役をやると決めたのは自分だけれど、結婚を希望してここに来たわけではない。

 気持ちがわかると言ったらおこがましいかもしれない。だけど、少しだけ寄り添えるのではないかと思ったとき。

「だから、きみでも誰でもいい」

 秀一郎さんは私の心情など意に介さず、冷たく言い放った。

 顔を見た瞬間、中学時代の淡い恋心を思い出し、胸の中に込み上げるものがあった。

 叔父の家に引き取られるため引っ越す際、最後に手紙を渡したかったのに、来てくれたのはお母様だけで秀一郎さんは現れなかった。

 だから今日会えてうれしかったのに……。

 厳しい顔つきの秀一郎さんを前に、懐かしくて甘酸っぱい感情が一気に霧散した。

「そう、ですか……」

 そのひと言を絞り出した後はまったく会話はなく、ただ中庭を一周歩いただけでふたりの時間は終わった。
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