お相手の一般女性
【十八歳進路】

 私と文哉は地元の同じ高校に進学した。毎朝駅で待ち合わせして同じ電車に乗って、学校に行った。
 学校ではお互い別々の友達がいたし、学校では喋らない日だってあった。でも、中学の時と違って通学を一緒にしていたから全く喋らない日はなくなっていた。
 駅のホーム、十一月の末ともなるともう新潟は風と共に雪がボトボト落ちてくる。
「寒い」
「東京は今日十度もあるらしいよ」
「いいなぁ。雪かきのない日々」
「ハネちゃんは来年から雪かきしなくて済むんじゃない?」
 私は東京の板橋にある歯科技工士の専門学校に合格していた。
「冬休みになったらこっちに帰って来るもん。雪かきからは逃れられないよ」
「俺たちの宿命だよな」
「玄関と車庫の前は雪どかさないと生きてけないもんね」
「あのさ、俺も受験結果来たんだ」
「え、今日だったの?」
「俺もメール見てびっくりした」
 コートに入れっぱなしだった文哉の手にはスマホが握られていて、ちょっと画面を操作すると、私にスマホを渡してきた。ほんのりスマホは温かかった。
「千代文哉様、この度は……」
「恥ずかしいから読み上げないで」
「あ、ごめん」

 千代文哉様、この度は日本ボイスクリエイティブアカデミー 声優科への合否通知をお知らせさせていただきます。厳正なる審査の結果、当校の、声優科 特待生として 合格とさせていただきます。おめでとうございます。下記のURLとご自宅にお届けする資料をご確認の上、返信をよろしくお願いいたします。

「受かってんじゃん。ってか特待生って凄いんじゃない?」
「うん。二年間の授業料が免除」
「無料ってこと?……すご」
「うん」
「嬉しくないの?」
 文哉は東京の新宿にある声優の二年制の専門学校に合格した。しかも特待生だ。でも、ニコリともしてなかった。私が先月、歯科技工士の専門学校に合格した時は、自分のマフラーを外して振り回してくれるくらい喜んでくれたのに、何が不満なんだろう。
「ハネちゃんはさ、俺の顔どう思う?」
「顔?声じゃなくて?」
「うん」
「正直に言ってもいい?」
「うん」
 私は冷えたスマホを彼に返した。
「我々新潟血統の血を色濃くひいた、素晴らしい骨格と肌と目鼻立ちはしてると思う。歯並びもいいし、背も高い方だし、指も綺麗だし、出会った中学一年生の時からは想像できない程、第二次成長の成功例だと思う。髪の毛もいつの間にか長岡駅まで行ってお高めの美容院に行ってるんでしょ?」
「なんで知ってるの?」
「フミママが教えてくれた」
「母さんかぁ。なんでも話しちゃうんだから仲が良すぎるのも困るよ」
 この頃にはもう、私は文哉のお母さんをフミママと呼び、お父さんをフミパパ、文哉の兄のことをフミアニと呼ぶようになっていた。
 ちなみに文哉は私の母のことはハネママと呼び、父のことはハネパパと呼んでいる。
 付き合ってからこの日までの六年間、私たちは家族も公認する仲になっていた。フミ家とハネ家と家族は呼び合い、庭で夏はバーベキューもするし、長岡の花火大会も車一台で一緒に行くくらい良好な関係だ。
「特に三年生になってから、私には常に七人の敵がいたよ。付き合ってるってはっきり言わない私たちも悪かったんだろうけど」
「ああ、まぁ急にモテだした感じはしてたよ?でも、俺はさハネちゃんを一番大切にしたいと思うんだよね」
「あざーす」
「ちょ。急に拗ねないで」
「拗ねてないけど、アイコが最近ダルイ」
「米田アイコな。ちょっとアイツだけ攻撃的だよな」
 米田アイコ。高校に入って初めて現れた恋敵だった。まだ前髪が鬼太郎みたいだった文哉をオタクと弄るような発言をしつつも、文哉の飲みかけのペットボトルのお茶を飲んだり、体育の時にジャージを忘れたと言って、勝手に違うクラスだった文哉ジャージを着ていってしまったりするような女だった。
「俺がハネちゃん以外好きになるわけないのにな」
「まぁ、確かに文哉が誰かに取られるようなビジョンは私もないんだよね」
 想像力の欠如。
思い出の欠陥。
修正できない過去。
今思えば、私たちは米田アイコを放置してはいけなかったのだ。どこかで徹底的にマウントでも取っておけばよかった。
だけど、高校生になる時、私から提案してしまったのだ。文哉が声優になった時、彼女がいたなんて歴史をファンは知りたくないだろうから、あえて付き合ってるというのは避けようと。高校生の間、周りには、大島羽根がカノジョらしいと察してもらおうと。本当のことは秘密にしてしまえばいい。今思えば浅はかな悪知恵だった。
私たちが付き合ってると、はっきりさせなかったせいで、卒業アルバムを使って米田アイコはやりやがった。
クラスの寄せ書きに米田アイコは『フミくん三年間ありがとう!これからもよろ!』と書きやがったのだ。
あからさまな匂わせ行為。まるで三年間付き合っていたようにもとれる文と、今後も付き合い続けるような文。この文章が、私と文哉にとって時限爆弾として投下された一撃で、騒ぎになるのにそう時間はかからなかった。
文哉が声優の専門学校で次の年のパンフレットの表紙に選ばれ、資料請求が始まった頃、忘れかけていた米田アイコのSNSに文哉の表紙のパンフレットの写真がアップされているのを文哉が発見した。そこには一言『フミくんしか勝たん』と書いてあった。
もっと怒り狂えばよかったのだろうか。私が文哉のカノジョだと、コメントしたりすればよかったのだろうか。
ううん。そんな勇気なかったから、私も文哉も無視して米田アイコを野放しにした。
彼女がアップする写真にはいつも文哉が薄っすら存在しているようなものばかりだった。故郷の駅や街並み。文哉の通う新宿の声優の専門学校付近のカフェのメニュー。
米田アイコも東京の大学に進学したのに、故郷の風景には誰かと一緒にいるような、文哉と来ているような、そんな想像をさせるような新潟の写真、どうやって撮っているかは謎だったが、自撮りではなくまるで恋人が撮ってくれたオフショットの写真ばかりアップしているだけなのに、何故かそこに文哉を感じた。そう仕向けられているとわかっていた。『忙しいのに予定空けてくれるの、いつもありがとう!』とか『今日は私には余裕あるけど、同行者様が時間ギリギリだから東京に戻るのだ!』とか、そんなコメントが添えられてるだけなのに、恋人とか彼氏という単語を使わないだけで、文哉かもしれないと察してしまう人が多くいるような気がしてならなかった。
新宿に来る理由も、まるで文哉に会いに来ているような、そんな写真ばかりだった。
でも、私は相手にしなかった。だってどんなに文哉の香を写真につけたって、見た人が匂わせだと思ったって、文哉は私の隣にいつもいた。
いつもそばにいてくれた。

病室のドアが開く音がした。ぼんやりと、夜の暗さだけが視界に入った。
「ハネちゃん」
 文哉の声。
 来るのおせーよ。とも思ったし、なんで来たんだよとも思った。
視線を声の方に向けたら、私がプレゼントした黒いバケットハットをかぶって黒いマスクをした文哉らしいものが見えた。
 だけど、もう一人の声がした。
「起こすなよ」
 誰の声だっけ。最近よく聞く声。
「寝顔見たら帰るって言ったろ」
 ああ、声優の水戸錬太くんだ。文哉より五つ年上の人気声優。今期のアニメは確かレギュラーが四つ。主人公級のキャラで今、アニメ映画も放映中。でも、全部見れていない。
 だけど、私と文哉の関係を知っている数少ない人間の一人。
「ハネちゃん……また来るから」
 文哉と水戸錬太は二人でラジオ番組をやっている。この前、一周年記念公録イベントがあった。観に行けなかったけどDVDになるからって、文哉が言ってた。予約しなくてもイベントDVDが手に入るなんて恋人特権だなって思ったのを覚えてる。
「退院の時も来るから」
 情けなく、今にも泣きそうな文哉の声を聴いて深い眠りについた。
 次の日の朝、目を覚まし、やっと腕に力が入って。上半身を起こすと、想像とは違う立派な個室の病室だった。四人掛けのソファーとテーブル。大きなテレビに、立派な柱時計。でも、まだ朝の五時。会社に行くときに起きる時間と同じ。けど、今日も仕事に行けそうにない。もう、働けるかもわからない。
 意識がやっとハッキリした。こういう時ナースコールとか押した方がいいのかな。いや、朝食の時間になれば誰か来てくれるだろう。むやみに誰かを私の為に働かせたくない。
 立ち上がってみようか。そんな軽い気持ちで起こした上半身をひねって脚をベッドから出した時、傍にあった机の上にいくつかの紙と印鑑を見つけた。
 千代文哉の記入済み婚姻届けと、私の印鑑だった。
 添えてあったメモには文哉の文字で『今は何も考えちゃダメ!』という一言と、声優デビューが決まった時に私と一緒に考えた文哉のサインが書いてあった。
「考えるなって、無理だし」
 そうつぶやいて、婚姻届けを隠すように小さく折りたたんで机の引き出しに追いやった。
 なんで寝ている間、人生の岐路になった文哉の合否発表と米田アイコのことなんて思い出したんだろう。
 机にはもう一枚便箋が残っていた。
 母の字だった。
『いつか私の入れ歯を作って欲しい。そんなことを言いましたが、取り消します。弱音を吐かない羽根のことが心配でたまりません。喋れるようになったら電話ください。戻って来いとは言いません。でも、戻る場所はちゃんとあるからね。今回はフミくんが泣きながら連絡をくれたおかげで羽根のことを知ることが出来たけど、羽根の為に涙を流してくれるのは会社の人かフミくんか、それくらいはわかってあげてもいいと思う。ゆっくり考えてね』
 ゆっくり考える。やっぱりなんか考えないと人間はいけないんだと思った。けど、そんな時間あるのだろうか。会社に、あの技工所に私の居場所はまだ残っているだろうか。文哉の、人気声優の恋人の席にまだ私は座れているのだろうか。
「考えなきゃ」
 たくさん、いろんなこと、予測して、考えて、答えを出さなきゃ。でも、今の私がしなきゃいけないことはきっと、たくさん寝てたくさん食べるところからだ。
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