君が贈ったチューリップの色
03.紺色の虎
2人の興奮が落ち着いた頃には、クロニスは座って優雅に紅茶を飲んでいた。
ふかふかのソファー。目の前のテーブルにはお菓子と紅茶が並び、美味しそうな匂いに釣られて、お腹が鳴ってしまいそうだ。
「座りなさい。折角の美味しい紅茶が冷める」
「はーい」
正面のソファー座ると、クロニスは翠を見て言った。
「翠。君ならば、幾らでも此処に居て構わないぞ」
「へ?」
「笑えない冗談はやめて下さい」
「冗談などではない」
「……尚のことやめて頂きたい」
言い合いが始まった2人を尻目に、翠はお菓子に舌鼓を打つ。転移魔法にさえ巻き込まれなければ、今頃は自宅で晩ご飯を食べ、ゆっくり過ごしていたに違いない。空腹と疲労が甘いお菓子により満たされていく。
沢山食べて落ち着いてきたタイミングで、総司が決定的な事を言った。
「スイは、アトリス星に連れて帰ります」
此処に居続けても何も出来ない。
だからと言って地球に戻っても狙われるだけだろう。
あの黒い渦に狙われ続けるのは避けたい。
めちゃくちゃ酔う。
「元々アトリス星に帰るつもりだったの?」
「いえ。主は厄介事を解決し地球に戻る手筈でした。ですが、腐っても所詮は王族……手強いみたいで」
皇太子妃の執着に寒気を感じずにはいられない。
( 足手纏いになるのは嫌だ。会えるのは嬉しいけど……そのせいでパパ達が不利にならないか心配だわ)
翠は自分が両親の弱点になり得てしまうのでは、と不安が押し寄せていた。今回は、運良く総司のお陰で事なきを得たが、学校に1人でいる時を狙われたら……と思うと恐ろしかった。
「であれば、帰る前に其方の魔力解鍵をしてやろう」
「え?なにそれ?」
「クロニス様!」
「どうせ後々するのだろう?いつしても同じだ」
飄々と言い放つクロニスを総司は慌てて止めている。
「魔力解鍵って何?」
「元来、お前には莫大な魔力が備わっている。今はルクスにより封印されているだけだ」
「え?それ本当?!」
ボソッ「……ッチ……ペラペラ喋りやがって」
総司は珍しく感情的になり、必死に止めに入る。
決して反対をしてる訳ではない。
だが、どうしても乗り気になれない理由があった。
「簡単な理由で、封印を施してる訳ではありません」
真剣な表情でジッと見つめてくる顔には、解鍵するべきか否かの葛藤が見え隠れしている。封印する位だから、何か問題があったのは察する事ができた。
だが翠にも『足手纏いになりたくない』という強い思いがある。総司に一歩も引くつもりはなかった。
しばらくの間、お互い無言で見つめ合っていた。
翠の覚悟を察したのか、総司は深い溜息をつく。
「スイの魔力量はルクス様の若き頃と同様か、もしくはそれ以上になります。万が一にも魔力が暴走しないようにと、ルクス様が自ら封印したのです」
「ふむ?過保護もやり過ぎは、本人の為にならんぞ」
「分かっています。ですが……ルクス様は幼少期に自身の魔力量が多い事で悩んでおられた。ご自身と同じ苦労をさせたくなかったのでしょう」
一概に魔力は多い方が得、という訳でもないらしい
いくら力が欲しくても過剰すぎるが故に、自身が手に負えないのであれば本末転倒だ。だが、何もせず指を咥えて見てるだけなんて、もっと性に合わない。
(うーん。やる前から悩んでいてもね)
「よし!クロニスさん。解鍵お願いします」
「……スイ」
「ソウちゃん大丈夫。絶対になんとかするから」
心配で堪らない、という顔をしている総司の手を握り、明るく振る舞って元気づける。
過保護な同居人は、心配する気持ちが暴走すると行動を制限しようとしてくるから。
それは、以前の出来事が関係している。
中学生時代。
弓道部に入って間もない頃、部員から盗撮されているのに気付いた。悩みに悩んで総司に相談し盗撮行為は収まったが、部活を続ける事は出来なかった。
それから、高校に入学と同時にバイトを始めた時。
バイト先の先輩が親切だった為に、完全に信用して疑っておらず。
車で送ると言われ、危うく誘拐されかけてしまう。
この時も、総司の活躍で大事には至らなかった。
信号待ちをしている車に近寄り、運転席の窓ガラスをぶち破って救出してくれたのだ。
下校の際も、変な人が後ろに付いて来る事は屡々。
部活も、バイトも、1人での下校も……。
その出来事が原因で、出来なくなってしまった。
今回、心配させて解鍵を止められるのはかなり困る。
翠はどうしても力が必要で、必死にニコニコした笑顔を向けると納得したのか……もしくは諦めたのか。
ソファーの元居た場所に座り何も言わなくなった。
「では、こちらに座れ」
クロニスの隣に移動すると、向き合って座るように指示される。どんな方法で行われるのだろうか……痛いのは勘弁して欲しいと緊張していた。
ふと顔に影が差したので、顔を上げる。
至近距離に端正な顔が近付いてきており、ギョッとして反射的に体を後ろへと引いた。
「こら。何故逃げる?」
「え?だって、ちか……チカイデス」
訴えているにも関わらず、さらにパーソナルスペースを無視してくる。
「いやいや、聞いてる?近いって言ったよね?」
オロオロしている間にも、綺麗な顔は近づいてきた。
段々と心臓の鼓動は早くなり、変な汗が出てくる。
美形がスローモーションのようにゆっくり近付き、お互いの鼻先が触れてしまう!と目前に迫ってきた所。
…………流石に、耐えきれなくなってしまって。
クロニスの顔を、ガシッ!と両手で掴んだ。
「セクハラだー!!」
( こう見えても、幼稚園から女子校育ちなんだけど?!異性に全く免疫ないのに、この距離は拷問でしかないっつーの!!無駄に顔が良くて生き地獄だよ!)
パニック寸前の所を、必死に抑え深呼吸した。
思考は徐々に落ち着いてきて、クロニスの姿を見据える。すると……私の他に、もう一つ手があった。
正面に座っていた筈の総司は、いつの間にか此方のソファーの後ろに立ち、クロニスの頭を物凄い形相で鷲掴みにしている。
「お前達、何を勘違いしている!額を添えるだけだ」
「へー。添えなくても、できる筈ですよね?」
「深層心理に深く干渉するには、この方法が確実だ。ルクスの大切な娘に無体を働く訳がなかろう!」
「当然です。無体を働こうものなら……その時は、この部屋ごと消滅させます」
『崩壊』ではなく『消滅』という辺りが恐ろしい。
塵一つ残らず消し去るつもりだ……。
総司は物騒な捨て台詞を吐き、一旦は離れていった。
しかし、距離を置いているものの、監視しているかのように座らず立って見ている。
立ち姿を見る限り、咄嗟に動ける姿勢をキープしている気がした……昔から用心深い人なので、あながち外れてないと思う。
外野(というか総司ただ一人)の強い視線が、チクチクと痛くて気になるけれど……。
気を取り直し『すみません、お願いします』と言うと、クロニスは微笑みながら額をくっつけてきた。
案の定――その瞬間、横の人物が微かに動く気配はしたが、今そっちを気にしたら負けだ。
(間近で見る美形の微笑み……破壊力が、エグい!)
目を閉じ、目前の顔を意識しないように、無心で羊を数えた。こちらの戸惑いなど、微塵も気にしていないクロニスは、呪文らしき言葉を唱えている。
すると……徐々に、じんわりと額が暖かくなってきた。次第に揺籠に揺られているような感覚と共に、意識が混濁し始める。
(もう夢の中?……まだかな?……すっごく眠い……)
ぬるめの温泉に浸かっているような心地良さに、うっとりする。ずーっと漂っていたい……誘惑に負けてしまいそうだったが、己を律して意識を繋ぎ止めた。
漠然とだが夢の奥深くに堕ちていく感覚に、不思議と自分が寝ているのだけは鮮明に分かった。
先程までは眠くて仕方なかったのに、今度は次第に頭が冴え渡ってくる。初めての体験で当たっているか不明だが、恐らく心理に辿り着いたのだろう……。
閉じていた目をパッと開いた。
「ぉお……心理の中?」
時計もランタンも……どころか何一つ物は無く、とても殺風景だ。辺りには薄っすらと霧もかかっているため、見通しが悪い。
そもそも、解鍵のやり方を聞いていないのに、どうすればいいの?
勝手なイメージだけれど……
解鍵という言葉からして箱とか扉があるのかな?
少し歩いて探してみるか、と真っ直ぐ進んでみる。霧で良く見えないし、それらしいモノも無いなー。
(……なにアレ?)
進む先に大きな黒い影が見え始め、恐る恐る近付く。
視界の悪い中、急に姿を現したのは大きい紺色の虎。
噛みつかれやしないか?とビクビクしていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。どうやら、ぐっすりと寝ているようだった。
心理の中だから私が作り出したの?
うーん……考えた事なかったけど、実は虎に憧れがあったのかもしれない。あの大きな足の肉球とか触ってみたいし。
「この子、1人でここに居るのかな」
「……」
「紺色の虎って初めて見た〜。なんか感動」
「…………」
「君、凄く毛並み綺麗だね?」
「…………っ」
「寝てるし、肉球触ってみて良いかな?失礼しまー」
「うるさいな。喋りすぎだよ」
「へ?!虎が喋……った……」
虎は『煩くて寝れない』と言って、のそりと起き上がると猫の様に伸びをする。
閉じていた瞼を開けて見えたのは、虹色の瞳だった。
虎は、その綺麗な瞳を翠へと真っ直ぐに向けてきた。
「久しぶり、マスター。待ちくたびれちゃったよ」
「マスターって、、私?……会ったことないよ?」
「君が生まれ変わる、ずーっと昔にね」
(あ〜。それは流石に覚えてないわ。うん)
覚えてないのも無理はない、と顔に出ていたのか。
虎は、面白くなさそうに目をスッと細めた。
「ふーん?」
「……な、なに?」
「僕、ずーっと待ってたんだけど?まさから何も思い出さないのを、当たり前〜とか思ってないよね?」
「へ?!え〜っと……」
(バレた……完全に拗ねちゃってる)
前世の記憶を思い出せ!と言われても無理がある。
漫画の世界だったら……こういう場面で記憶が戻るのは定番なんだけど、そんな兆候も無い。
もし後々に戻るんだったら、この瞬間に戻って欲しい。とにかく沈黙が気まずい。
(もしかして……前世の記憶を思い出さないと、魔力が戻らないの?それは困るな)
「う〜ん??」
頑張って過去を振り返っても、幼少期ばかりが浮かんでくる。いくら頭を捻っても、何も出てこない。
魔力は諦めるしかないのかも……と落胆してしまう。
一人で散々唸った後、見るからに落ち込んでしまう。
そんな姿を見て、虎は下を向くと肩を震わせた。
「……ぷっ!あはははー!」
「ぅわっ!ちょっ、なんで笑うの?!」
拗ねて機嫌を損ねていた筈の虎が、声を上げて笑い転げた。お腹まで見せて…………無防備すぎん?
「冗談だよ〜!昔からマスターがこき使ってくるから、お返ししたくってさ」
騙せたのが愉快で仕方ないのか、笑い続けている。
散々笑い飛ばし、満足したのか上機嫌になっていた。
(笑い転げている姿を見る限り、絶対に記憶を戻してはいけない気がする)
虎の姿をぼんやり眺めていたら、忘れていた本来の目的をふと思い出した。
(いやいや!此処には魔力を解鍵しにやって来たんだよ!ぐずぐずしている場合じゃなかった)
「君が魔力の解鍵に関係しているの?」
「まあね、魔力関連は僕が任されている。すっごく昔にマスターと契約を交わして以降は、君の魔力が僕の命の源になっているから」
「え?!魔力封印してたけど大丈夫だったの?」
「支障はない。エネルギーの源ってだけで、命そのものじゃないからね。いつもマスターが死んで次に生まれ変わるまで、眠って魔力を温存してるから」
(いつも?……そんなに昔から契約してるんだ)
「封印って言っても魔力は消えた訳じゃないからね」
「そっか……じゃあ、どうやったら解鍵できるの?」
「僕の首よく見て。見える?」
( 鎖?毛がモフモフで全然見えなかった)
虎の首には鎖が巻かれていて、南京錠で固定してある。拘束しているように見えて、良い気分はしない。
外してあげたいが、付近を見る限り南京錠の鍵は見当たらない。見つけてこい、という事なのだろうか?
「鍵を探してくればいいの?迷子になったら捜索してくれますか……」
「迷子になる前提?やだよ、捜索なんて面倒くさいし。鍵は探しに行くんじゃなくて、頭で思い浮かべるのさ。そしたら現れるから」
「え?!思い浮かべる?現物を見た事ないけど」
「大丈夫。見てなくても、マスターにならできるよ」
初めて会ったのに、過剰な期待をされていて戸惑う。
私の気持ちを気にもせず、虎は自信満々な様子だ。
(はぁ〜。しょうがない。当たって砕けるか……)
目を閉じオーソドックスな南京錠を思い描いてみた。
すると、驚く現象が起こり始める。
想像している真っ暗な世界に、徐々に細かな光の粒子が集まりだしたのだ。
意識した訳ではないのに、光の粒子は少しずつ鍵の形を形成していった。
勝手に頭の中で作られていく感覚が、テレビを観ている時と似ていて、とても不思議だった。
頭の中でゆっくりと鍵が完成していく。
目を開けてみると……右手が暖かくて、それから金属の硬さも感じる。
握りしめていた手を、そっと開いてみると――
「嘘……本当にできてる。凄〜い!!」
翠の手の中には、金色の鍵が輝いていた。
握りしめた鍵を手に、紺色の虎に近付く。
南京錠の鍵穴に差し込み回すと、カチャッと鍵が開き鎖が消えた。
……
…………
「…………これで終わり?まさか失敗したの?」
「成功してる。実体は変化が起きてるんじゃない?」
( 呆気なくて、拍子抜けしちゃった)
「じゃ、いいや。早く戻ろ?」
「雑!つまんないって顔しないでよね。そんなに変化が見たいなら、さっさと起きるよ!」
「はーい」
「僕に乗って」と面倒くさそうに言われ、虎の背中にしがみついた。ゆっくり動き出すが、徐々にもの凄いスピードで走り出し思わず目を瞑る。
恐怖心は全くない。
何故なら、モフモフを堪能しまくっていたので、怖がる暇もなかったから。
(モフモフ最高ー!はぁ〜癒される〜)
※※※