彼は意地悪なボイスアクター〜独占欲の強い彼に溺愛され狂いそうです〜
おそらくピッチャーに入った1リットルの水を氷ごとかけられた。

テーブルに蓋の開いた空のピッチャーがドンッと置かれる。


「あんた、入社早々、人の旦那取るってどういう神経してんのよ!!」


そこには綺麗な女性が私を睨み付けるように立っていた。

見上げると彼女はグッと私に顔を近づけて、こう言った。


「及川の妻ですけど!?」



私は今、いったい何を言われているのだろうか。



同期達は固まったまま動かず、私と目を合わせようとしない。

一瞬パニックにはなかったが、氷水の冷たさで冷静さを取り戻せた。


もしかして私、及川さんに騙されていた?

そんな疑問が頭をよぎった。

いや、この場合、奥さんがいるかどうかを確認しなかった私にも非があるのか。


及川さんとのことは、会社の人たちに内緒だった。


「新卒に手を出したって、からかわれるの嫌だから時が来るまで言わないでね」


そう言われたので会社の人たちには黙っていた。

もちろん同期にも内緒だ。

バレないように会社でも及川さんとは必要最低限の会話しかしてこなかった。

おそらく誰も気が付いていない。


私は及川さんのいう『時』というのは結婚のことだと信じていた。

まったくおめでたい脳である。


及川さんは結婚していて、この人は及川さんの奥さんだ。

ということは、私は不倫相手ということになる。


私がいけないのだろうか。

人というのは危機を感じると自分を守るために、こうも次から次へと色んなことを考えるものなのかと感心した。



今はお昼時で食堂では多くの人が食事をしていた。

いつの間にか音は消え、皆がこちらに注目しているのがよくわかる。

会社の人たちは私と及川さんの関係を知らないんだから、このまま何のことかと、とぼけてみようか。

そんなこと考え始めた時、今度はパラパラと写真がふってきた。

食べていたハヤシライスにそのうちの1枚が突き刺さる。

そこにはホテルに入っていく私と及川さんが写っていた。

もう言い逃れはできない。


「はぁ……」


私は大きく息を吐いた。

いつの間にか呼吸が浅くなっていたのだ。


「ため息つきたいのは、こっちなんだけど!」

(そうですよね。でも今は自分のことしか、考えられないんです。ごめんなさい。あなたが一番、辛いのはわかるし、私が悪者なのは誰がみてもわかります。でも結婚してるなんて、知らなかったんです)

そんな情けない言い訳を考えながら、思わず天井を見上げた。

すると、目線の先にさっと引っ込む人影を捉える。
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